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嫌悪感の挽回は難しい

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結月でございます。

秋篠宮さまが結婚を認める発言をして、その周囲にいる人の証言として、小室家への嫌悪感があるみたいな記事を読んだ。

それは推測で、秋篠宮さまがはっきりと「嫌悪している」なんて言うわけはないのだけれど、まあ、嫌悪感があるのは誰でもわかるよねという状態。

皇室の中で、ウブなまま頑固に育ってしまったがために、世間ならあんな男は願い下げにしそうなところを頑なに愛を感じてしまうのは、

「こりゃ、どーにもならんデ」

という感じ。

しかし、表に出ていない情報はたくさんあるわけで、小室圭さんも知らないところですごく誠実にしているのかもしれないし、そこは当人同士でしかわからない。

とは言え、母親も含めて、これだけ騒がれても一切無口で何の表明もしないのは、何やら物凄い執念であって、宮様をゲットできるとなれば何が何でもと思っているのか、そこもわからない。

ただ、側から見ればそう思われても仕方がない。

これは本物の純愛なのか、天下の詐欺なのか、それも時間が経てばわかるとはいえ、秋篠宮さまだけでなく、普通に考えて小室親子には嫌悪感を抱いてしまうのは自然なように思う。

それはマスコミがひどいということを差し引いても、執念のダンマリは好感度ダウンだから。

さて、秋篠宮さまを取り上げたのは、嫌悪感の話をしたかったから。

「嫌悪感」とは理性的な考え直しではどうにもできない皮膚感覚的なもので、一度をこれを抱いてしまうとなかなか払拭できないものなのである。

それは善悪以前の感情で、

「嫌なものは嫌」

であり、そこに至るにあたっては、秋篠宮さまのように最初は好青年だと思っていたら、とんでもねー奴だったという合理的にも理解できる嫌悪感もある。

一方、論理的に説明しても、合理的に考えてもらおうとしてもそれを一切受け付けず、

「嫌なものは嫌」

な嫌悪感もある。

それは中国や韓国の何から何までが大嫌いなネトウヨや安倍晋三や自民党が何から何まで大嫌いなパヨクであったり、同性愛が気持ち悪くて我慢ならないといったものなど。

この種の嫌悪感は余程のことがない限りは改善されることはなくずっと嫌いなままで、得てしてどーにもならない。

ちなみにわたしはセロリを生のままかじって食べる行為に並々ならぬ嫌悪感があって、それが好きな人がそう食べるのは否定はしないが、自分の視界の中ではやらないでほしい。

と、このように嫌悪感は嫌である説明を超えたものであって、そこに栄養素がどうとか、そんな話は受け付けないのである。

しかしながら、様々な勉強を重ねて、今までの自分の嫌悪感が間違いであったと理解できればその嫌悪感はなくなったりもする。

ただし、それができるようになるにはハードルが高い。

そもそもそんなハードな努力をするくらいなら、

「嫌なものは嫌」

のままでいたほうが心地いいし、楽なのである。

だから、わたしは自分がセロリを生でかじろうとは思わない。生のセロリなんか食べなくても死なないし困らないから。

ネトウヨやパヨクは趣味みたいなもので、それをSNSで発散させても、どうせ一般ピープルに過ぎないから政治的には何ら影響力はない。まあ、選挙のときに微かな1票を投じることくらいか。

しかしながら、家族など身内に嫌悪感を抱かせるものが混入するとこれは実に困る。秋篠宮さまの悩みはここにあって、しかもそれをもたらしたのは我が娘なのだから、身内がテロをしたようなもの。

どうでもいいような他人への嫌悪感なら、ネトウヨやパヨクのように趣味で済まされるものが、家族となるとそうはいかず、しかも自分の問いかけに対して相手がガン無視で何年も貫き通すという執念で呪縛霊さながらだからこれは困った。

そこに抱いてしまった嫌悪感はそう簡単には拭えるわけもなく、だから小室圭さんは結婚を強行しても義父から嫌われ続けるに違いない。

それを挽回するにはかなりの実績と結果が必要で、普通に考えればガン無視をやってのける相手だからそれはあまり期待できず、互いに連絡は取らない状態になりそう。

とまあ、身内の嫌悪感は如何ともし難く、兄弟や姉妹が強烈に仲が悪いなどもその典型。

ところで趣味的な嫌悪感はそれを逆立場側が矯正しようなどとは考えないほうがいい気がする。

それはネトウヨがパヨクを批判し、パヨクがネトウヨをこき下ろすような事例であり、これはあまりにも不毛だから。

互いが理解しあえるものでないのに相手をSNSでdisったりしてもこれは結果が出ない。時間の無駄。

ところがそんな趣味の人は熱くなって我を失う。なぜなら、それは正義感があるからで、各々が自分の説が正義だと信じている。

LGBTなどもそうだが、そういうのが皮膚感覚的に嫌いだという人に対して、理解を求めようとするのもどうかと思う。

なんだか生のセロリを無理やり食べさせられるようで、トランスのわたしは、

「嫌いだったら嫌いでいいんじゃね?」

と思っている。

要は嫌いだからというだけで差別的な攻撃を仕掛けてくることが困るわけで、それをしないのであれば嫌いのままでいいよって思う。

とはいえ、やっぱり攻撃してくるもので、でもそれに対抗してデモをしたりするのも相手にしてみれば生のセロリを口に押し込むような攻撃とも言える。

解決策としては、

「自分のことだけ考えて、自分のことをしっかりやろう」

に尽きる。

他人のことをどうこう言う暇があったら、自分のことをちゃんとやれ。

それは政治的意見も同じであって、アメリカに住んでないのにトランプがどうこうとか、香港に住んでないのに中国政府が香港に圧力をかけてるとか、そんなもんにニワカ知識で署名とかする暇があったら自分の国のことを考えろよ。

とまあ、嫌悪感とは趣味であり、何が嫌いだと言うことは快感なのである。ネトウヨは韓国の悪口を言うのが快感であって、パヨクは安倍晋三を憎悪するトークをするのが快感。

さてさて、わたしたちの人間関係においては、嫌われる勇気もかっこいいけれど、小室圭さんのように嫌悪感を抱かせるような振る舞いはしないほうがお得。

それは嫌悪感という皮膚感覚的なものは挽回が難しいからで、途方もない労力が求められるから。

嫌悪感を抱かせるならそれは徹底してやるべきで、その王道がトランプ大統領でしょう。しかも本人がそれを気にしてない。

しかしながら、普通は他人から嫌悪感を持たれてないかオロオロしたりするもので、その反動で無理に好かれようと余計なことをしたりする。

好かれようとする行為はむしろ嫌悪感を抱かせるものだから逆効果であるのに、思いの外、それに気づかぬ人は多い。

ともかく、嫌悪感とは生理的なものであるから、生理的に嫌われないようにするのが得策で、小室圭さんはそこんとこ、どう思っているのか興味がある。

会ってみたら超絶いい人かもしれないし、ガン無視の理由を聞いて、なるほど!と思うかもしれない。

でも、相手が宮様だから、やっぱりいいやり方とは思えない。

生理的にイヤ!となったら、もうそれを挽回するのはほぼ無理だと思ったほうがいい。

そして同時にすべての人から好かれることも不可能であり、ある一定数から自分が嫌われることは仕方がないし、それがないとおかしい。

まあそれよりも「好き!」をとことん追求できる性格のほうが「嫌い」を趣味にするより生産的で、やっぱり、

「他人のことより自分のこと」

ってことで。

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