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新しいものは生み出そうとしたって生まれない。

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結月でございます。

古いもので価値あるものはあれど、ただ古いのは古臭いのであって大した価値がない。だから新しいものがいいわけで、そのインパクトが世の中を変えていくし、進めていく。

元気がいい時代は新しいものがわさわさと生まれてくる代謝のいい時代で、元気がない時代は懐古趣味になったり、古臭いものが幅を利かせていたりする。

これは個人にも言えることで、元気な人は新しいものを取り入れるエネルギーがあり、元気がない人は古臭い考えや既存の価値観から離れられずに世の中を憂えたりするから元気がない。

ところで新しいものを取り入れることはそんなに難しいことじゃない。サービスだって誰か他人が作ったり、企業が作ったりしたものを申し込むだけでいい。買い物だって新製品を買いさえすればいい。

でも新しいものを生み出すのは容易でなく、要はどこにも売ってないものを自分で考えて作らなければならない。

そこまではわかる。わかっちゃいてもそれがあまりに容易でないから副産物、レプリカ、パクリが横行する。

イケてるものをなんとなく真似したり、その動機は最初からパクる気であったり、憧れであったりするとはいえ、真似は真似。二番煎じなもの。

当然、二番煎じはエネルギーが乏しい。本物の迫力はない。

さて、新しいものは生み出そうとしたって生まれない。それは考えて生まれてくるものじゃないのだろう。

当然、それは閃きであって、天から降ってくるとも言われる。無が在になる瞬間。

きっとそこにはエネルギーがあって、大袈裟に言えばビッグバンみたいなもので、ゼロ以前に、時間軸がゼロ以前にどこかに巨大なエネルギーがある。それがないと閃かないからパクリやレプリカがたくさん蔓延る。

それはいいとして、新しいものが生まれるエネルギー。その根源的なエネルギーは既存のものを見て、

「つまんねーことやってやがるな。馬鹿じゃね?」

という気持ち。いつまでそんな古臭いことやってんの?という呆れ。そして、いい加減にそういうの、もうやめようよ、という破壊的衝動。

古臭いことへの力強い嫌悪感。その嫌悪から破壊衝動が生まれる。これは美意識にも通じるかもしれない。美しくないからぶっ壊すという残酷な破壊。

古臭いものがでかい顔しているとぶっ潰したくなる。そんなエネルギーが芸術であり、新しいものが生まれる瞬間。

だから世渡り上手に媚びる人間はそういうのには向いてない。

見たことがないものを見たいよね!なんてこともよく聞く。だったらお前が見たことがないものを作れよって思う。だってそれ、他人任せだもん。

ともかく、古臭いものへの嫌悪感、さらには怒り、というか美意識から来る破壊的衝動。それがビッグバン以前のエネルギーなのだろう。

ちょっとみんな手抜きしすぎなんじゃないか。

既成のものを単に応用するだけで済ましすぎ。コピペをアレンジっていうか。そういうのが技術的に簡単になった時代ではある。

既存のものをなぞらえて、それでやった気になるのは虚しい。と思うけど、虚しいと思ってなくて、自分たちもそれでレベルアップと思う傾向がある。

いやいや、それ違うし。真似することが昔より技術的に簡単になっただけだから。

古臭いものを古臭いものとして認識するのも力なのかもしれない。そしてそんな古臭いものを徹底的に毛嫌いする能力。

最近は毛嫌いすることが良くないことにされたりしがちだから、みんなな〜んとなくいい人であることを自己演出したがる。

普段はそれでいいんだけど、それじゃ、新しいものは生まれない。

古臭いものはコテンパンにやっつけて、ボロカスに踏み潰し、ミンチにしてゴミにして捨てるくらいじゃないと。

これもまさしく美意識なんだけれど。

古臭いものに媚びるのは論外で、古臭いものに同調したり、そこに自分を置こうとするのもどうかなって思う。

まあ、世間を気にして生きるとそうなっちゃうけどね。

とにかく、新しいものっていうのは古臭いものへの大いなる嫌悪感から生まれるもの。

そういうエネルギーは社会にあった方がおもしろいものなんだよ。

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