結月でございます。
わたしは猫のことが好きすぎてたまらない。体のどの部分を切っても愛猫家の血が流れ出すほどで、いやいや、そもそも愛猫家であれば誰だってそんなもんなのである。
猫と過ごす時間が至福。
「アタシ、幸せになりたい!」
なんて言いながら、結婚紹介の業者に高い金払って登録してる奴の気が知れない。アホじゃないか。猫を飼えば幸せになれるというのに。
人間相手に結婚するよりも、猫と生活するほうがハッピーに決まってる。人間はクソ面倒だけれど、猫はネコ砂を取り換えたりするくらいの手間で、あとは面倒をかけることがないばかりか、添い寝をしてくれるときのマグナムスーパーウルトラメガトンマッハな幸せといったら何物にも替え難い。
ところでうちの猫たちも冬毛になって、特にターキッシュバンという日本では珍しい品種の猫はすっかりふわふわ全開で、抱っこすると気持ちいいったらない。
冬毛になった猫の醍醐味といえば、猫の頭や頬に鼻を押し付けて、
「スパー、スパー」
と吸い込むこと。
いわゆる「猫吸い」という行為で、愛猫家の定番。
猫を吸うとハッピーな気分になるのは、脳内から幸せホルモンが放出されるからであるらしい。そんなアホなことをちゃんと調べる脳専門の学者がいるのも笑える。
しかし、猫がもたらす幸せホルモンの放出量は人間の子供相手とは比較にならない。確かにうちの3歳の愛娘も可愛いものだが、猫による恍惚とするような幸せ感、いわば麻薬的な効果は子供にはそれほどない。
さて、猫の魅力はやはり猫が芸術的だからだろう。
まず猫の造形。あのなんとも言えぬ丸みを帯びた猫の形は芸術的で、さらにその肉体の柔軟さが「自由」を感じさせる。
犬だとどうも自由を感じさせることがなく、むしろ主従関係の堅苦しさがある。
まずもって猫は言うことを聞かない。好き勝手であり、ツンデレである。
勝手なくせに甘えてくるアンビバレントには思わず酔いしれてしまって、
「まったく、しょーがないなー」
と、両頬をモジョモジョと揉みまくる。
ところで猫吸いは中毒性があるもので、これはやめられなくなる。
出かけなければならない時間が迫って、
「さあ」
と、立ち上がろうとするときに限って、猫はどういうわけか膝の上に飛び乗ってきたりする。すると、その額にまたしても鼻を押し付けてしまって、
「スパー、スパー」
ああ、やめられない…
そういうわけで、猫がいると中毒的な心地よさから離れることができず、遅刻スレスレになることがしばしばあるわけで、やはり幸せというのは自堕落なものなのである。
ところで猫は恩返しもしない薄情な動物だと捉えられている。確かにその勝手ぶりからそう思われるけれど、これだけ幸せホルモンを放出させるものはそうあるものじゃない。
すなわち、猫はその存在そのもので飼い主に恩返しを日々しているのである。