結月です。
やべ!スターウォーズ、早く観に行かないと終わっちゃうわ!
と、思い出したように映画館へ行く。
スターウォーズは第1作目から全部見てる。今回の3部作からルーカスでなくディズニー映画。
ディズニーになってからイマイチ感が強かったのと、金儲けのためにスピンオフを連発して、
「オエっ!」
って感じになっていた。
とはいえ、すごい優秀なスタッフが作っているから映画としてはやっぱりおもしろいし、よくできてるんだけどさ。
イマイチ感を抱えながらついに3部作の完結まできて、「スカイウォーカーの夜明け」を観て、
「やっとスターウォーズを観たって気がする!」
と、わたしはこの完結編には結構満足でした。
やっぱり何事も3回くらいやらないといいものはできないってこと?
第1作はやはり過去を踏襲しながら新しいものを作らなきゃ、でも世界観崩せないしっていう葛藤が脚本に満ちていた。
第2作から方向性が定まり出して、映画としてもよくはできていた。
そして、完結編でやりきったという感じかな。
ディズニーとはいえ、スターウォーズの世界観は崩せないのが難しいところだったと思うよ。
そんな中で主人公が女になったのは大変新鮮で、大正解だったね。
主人公レイを演じる女優がカワユイよ。アタシ、好き、あんな女。
すごくチャーミングだけど、イギリス人なんだよね。そこがアメリカ人でないから粗っぽさがなく、上質だった。
デイジー・リドリーって人らしい。新人だからスターウォーズくらいしか知られてない。
彼女のいいのはオッパイが小さいところ。
そこはディズニーのキャスティングも重要なチョックポイントだったはずだよ。だってジェダイの騎士になるの巨乳だったら!?
これは映画にならない。ライトセーバーを振り回す武士道がだね、巨乳じゃ成立しない。
それからふくらはぎを少しだけ出す衣装も狙ってる。あれはおそらくキャスティングが彼女の決まってからのアイデアだと思う。なんかアジア的なところがあるんだよね。
さて、完結編でやっとスターウォーズを観れた気がしたわたしだけれど、それも映画を芸術と捉えたら失敗だったと言える。だって新しいことができなかったってことだから。
ただ映画は娯楽だからね。すでに固定ファンもたくさんついている映画だし、そこは無理に壊すことはない。
しかし、途中で黒人の爺さんが出てきたと思ったら、それがカルリジアン将軍だったから笑ってしまった。
終盤ではハリソン・フォードまで幽霊で出ちゃうし、声だけマスターヨーダも出てくるし、将棋でいうと、駒台にある豊富な持ち駒を勝つのがわかってるのに全部打ち込んだって感じだった。
あそこまでしなくてもよかったかもしれないけど、そうしたほうがスターウォーズファンは喜ぶ。
カイロ・レンがレイに命を与えるところ。ああ、これはチューするよと思っていたら、やっぱりした。
わたしとしてはチューでなくて、強く抱きしめる演出がよかったよ。やっぱアメリカ人ってチューしないと成立しないのかな?
ジェダイだから粘液系のチューはやめてほしかった。そこはストイックにしてほしかったねぇ。
後半の構成はルーカスのスターウォーズの3部作の「ジェダイの帰還」そのままだったね。お約束的なところが逆に安心できたってのはある。驚きやドンデンはないところがね。
だからスターウォーズ観たって気がしたんだと思うよ。
でもさ、ディズニーは次を作るのかな? 多分、作るんだろうな。だって、最後にライトセーバーを砂に埋めたもん。あれは次で掘り出すために埋めてるんだから。
今回のヒロイン、レイがまた出てくるのか、もしくはまったく新しい世界で今回の3部作が伝説となり、その伝説のライトセーバーを見つけるところから始めるのか?
いずれにせよ、スターウォーズは金になるから作ると思う。
次の3部作がディズニーとして、ガチで新しい世界観を作れるかもしれないね。
宇都宮の劇場を出て、スターウォーズな気分になって結美堂に戻ったら、DVDでディズニーの3部作の第1作目を観てしまった。スペイン産のスパークリングワイン飲みながら。
やっぱスターウォーズは映画館の大きいスクリーンで観なくちゃ駄目ね。うちのテレビも50インチくらいで大きいほうだけど、映画館のリアルさは出ない。
そんな第1作目を見ていて、登場する役者たちがビミョーに老けていたことがわかってちょっと笑えた。そりゃそうだ。四、五年は経ってるから。
とまあ、ディズニーが次を作ったらまた観に行くよ。
でもディズニーにはスピンオフはもうやめてほしい。
だってね、映画っていうのは登場人物が映画に描かれていないときにどんな人生を歩んできたかっていうのが謎だからいいわけ。それをスピンオフでこうでしたってバラしたらダメだよ。もうそこに想像力が働かなくなるから。
それはバラすのではなく、正確には創作して決めちゃうことだけどね。
映画を見る人がハン・ソロはどんなことをして生きていたんだろうって想像するから映画がおもしろくなる。それをスピンオフで勝手に決めつけるのは暴挙だよ。いくらシリーズが金になるからってそれをやっちゃいけない。ディズニーはそういうところがあるからアタシは好きじゃない。
でもさ、映画的にはすごいよね、あんなものを作っちゃうんだもん。あれ、一体何カットあるんだろう? 何万とか何十万カット? いやそれ以上?
カメラもすごいし、ライティング(照明)もすごくよかった。あれだけのものを撮影してあれだけの数のカットを編集してつなげてるからね。
絵コンテなんか手で描いてたら間に合わないよ。
あの編集って、もうセンスでつなげていくものだね。それも編集ソフトが発達したおかげではあるけど。
その代わり映画でゆったりすることはなくなってしまった。ずっと覚せい剤って感じ。
あんなスピーディーな映画を見たら、タルコフスキーの映画が見たくなるね。
『惑星ソラリス』とか『サクリファイス』とかね。
やっぱいいなぁ、タルコフスキー。
わたしが古今東西、最も好きな映画監督はタルコフスキー。好きな監督を3人言えと言われたら、
「タルコフスキー、タルコフスキー、タフコフスキー」
って答える。
これはジャン=リュック・ゴダールがそう訊かれたとき、
「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」
って答えたのと同じ。
そう、溝口健二のことね。
今はゆったりとした映画、もう観る方が耐えられないだろうね。スピード社会だからさ。