結月でございます。
日曜の晩から今日までゲストが来ていた。それは初老の中国人マダムで北京から先週やって来た。
会ったのは2年ぶり。東京でレッスンを終えてから迎えに行くと、車に乗せて栃木まで連れて来た。
というわけで、昨日は日光へ日帰りで出かけた。
12月の日光は初めてで、気温が低くなったせいか、東照宮も観光客が少ない。駐車場を心配していたのにガラガラで、余計な心配がないのは楽でいい。
二荒山神社から東照宮に入った。
天気は快晴。肌寒いけれど心地いい。
東照宮まで歩く。
観光客もこの程度の数。紅葉シーズンや春先は大変な人混みと比べると違った風景に見える。
東照宮を見終わると、いろは坂を登り、奥日光へ。
と、思いながらクルマを走らせている途中に清滝にある養鱒場へ行って、栃木が開発し、栃木でしか手に入らない「ヤシオマス」を買って帰ろうと思い立つ。
このヤシオマスは一年中が旬という魚で、刺身でもいいし、焼いてもいい。上質な肉で、食感が優れている。
日光以外でも養殖していて、行ったことはないけれど那珂川あたりでも扱っているよう。
清滝の養殖場だから日光の水で育てられていて、日光が好きなわたしとしてはまずはここを押さえておきたいのである。
日光そばまつりの時以来、と言っても2週間ぶりくらいで養鱒場の人と話し、いつぞやは生きた丸1匹のヤシオマスをその場でシメて持ち帰り、結美堂で晩餐会をしたいと思っている。
さらには野外ディナーとしてこのヤシオマスを奥日光の星空の下で食べるというちょっと大きめのイベントもやりたい。
と、まもなく雪が本格的になる日光には愛車のノーマルタイヤでは行けないシーズンになるためしばらくは行けない。
そんなヤシオマスの半身を買うと、ありがたいことにハラスの部分を2パックくださった。
うちの愛娘はヤシオマスが好きで、特に皮が大好物なのである。ハラスを焼くと大喜びするだろう。
さて、そこからいろは坂を登る。
紅葉はすっかり終わっているけれど、空気が冷たいせいで澄み切っていて、風景は遠くまで突き抜けるように透明感がある。
日光が初めて、というより栃木が初めてというゲストがいるから華厳の滝へ。しかし、その前に昼食のために一度行ったことのある古い料理屋へ。
ここでは「乳茸そば」をオーダーした。
この店はいつも老婆が客引きをしている。店の中で話すと昭和10年生まれだという。ずっと奥日光で生活していたが、今は今市に住んでいて毎日奥日光まで仕事に来る。
肌つやもよく元気なのは接客しているからだろうと話していて、それはそうだと思う。人間は年齢に関係なく、引きこもると一気に老ける。でも毎日いろんな人に会っていると老けないものなのである。
わたしは本当は日光、それも奥日光に住みたいという話をして、でも奥日光には住む家はないんじゃないかと尋ねると、
「ありますよ」
とのこと。
しかし、ネットで不動産を見る限り、賃貸では見当たらない。おそらくあるというのは、自分はずっと住んでいるのだからあるよとの意味ではないか。
老婆だけれど意識鮮明な話を聞くと、華厳の滝は昭和61年に浸食作用で崖が崩れ、滝が短くなってしまったのだという。
店にはその老婆の兄が撮影したというモノクロ写真があって、昭和29年の華厳の滝。
見てみると確かに滝の長さが違う。と同時にずっとこの土地に住んでいるのだという人生の長さを感じさせられる。
乳茸そばを食べて外に出ると雪が吹雪いている。発泡スチロールを粉にしたような雪で、固くて小さい。
風は冷たく、葉を落とした木々が擦れ合って、力強くも不気味な音が響く。
見上げると男体山も枯れた色彩になっている。
華厳の滝の入り口も観光客は少なく、その周囲の店もところどころは閉めてしまっている。きっと開けても商売にならないのだろう。
それでも魚の塩焼きを売る屋台は営業していて、そばだけの寂しさから山女魚の塩焼きを買った。
すこぶるうまい。尻尾から頭まで全部食べられる。もう1匹食べようかと思ったほどだった。
そんな屋台のおっさんと雪のことを話していると、
「実はこっちでは降ってないんですけど、雪は群馬のほうから飛ばされて来るんですよ」
と、その雪に些か恨み節といった口調だった。
これはもしかして神話にある男体山と赤城山の戦いのせいだろうか。どうもそのニュアンスからは、群馬のやつ、何してくれてんだ的なものを感じた。
こういうところは奥日光に住む人に取材してみないとわからないが、大変興味深い。
しかし、思うに好きな土地に対してはそのすべてに興味がもてるものなのである。そして当然、興味がない土地には何の興味も持てないし、興味がないと住んでいても楽しくない。
これはすべてのことにおいて言えることで、すなわち興味とは愛。
そんな日光愛がわたしにはあるわけだけれど、日光に住めるのは小さな愛娘がいる都合、まだ先になりそう。
華厳の滝を出発し、竜頭ノ滝へ。
ここも観光客はほとんどいない。そして、戦場ヶ原へ。
冬の戦場ヶ原はおそろしく幻想的なのである。
しかし、ここは一人で歩きたい。背後で中国語がうるさいとどうもね。
行きつけのホテルは工事のため1週間ほど休業とのことだから訪れなかった。
帰りは夕方になっていない午後。その時刻、奥日光の陽射しの色彩は死後の世界に似ている。幽界のまま。
それを感じ取れる人と感じ取れない人がいる。
わたしはその中でじっと静かにしていたいけれど、クルマの中は中国語で賑やかで、しかもその話の内容は中国の家の古い納屋をどうしようかとか、そんな話だったので、まあ感じ取れない人とはそんなもの。でもこれが普通だろうと思う。
奥日光には何度も来ている。しかし、すべてのシーズンで来たことがないし、日々、風景の色合いが変わる。
よく富士山ばかりの絵を描く画家がいるのは、その人にとって富士山は同一の風景になることがないからであり、毎日同じ場所にいても富士山は毎日違っていることを知っているから。
わたしは富士山にはあまり興味がないけれど、奥日光であればその日々の変化を見たいと思う。となれば、やはり住むしかない。
この場所に住めたら最高だと思う。12月の奥日光はこれから雪に埋もれ、移動も苦労するのに住みたいと思う。
雪の前は寂れていて、お土産物屋も閉まっているのにときめくのは、人が少なくなるからむしろ静かに過ごせそうだからか。
観光客が避けるこのシーズン、イベントをやるにはむしろ最適かとも思った。
単純に観光客がいないからであり、これが紅葉シーズンとなるといろは坂は大渋滞、駐車場は満車、イベントどころではない。
寒いからこそ映える企画もあるはずで、それをやるには12月はいいかもしれない。
寒くてもその分、温泉に入る快感は倍増。星空は冬に限るし、多くの人が来ないからこそ、多くの人が見たことのないものが見られるわけで。
そんなことを考えていたら、やっぱりスタッドレスタイヤがほしくなった。普段は冬でも要らない地域に住んでいても、雪の奥日光に行きたい。凍りついた華厳の滝を見たい。雪山になった男体山を見たい。雪景色の戦場ヶ原を歩きたい。
やりたいことがたくさんあるのは、やっぱり幸せだよね。