結月でございます。
今朝、スーパーへ行くと、
「あっ、今日は11月の第3木曜日だったんだ」
と、ボジョレの解禁であることを気づく。すっかり今日はゴミ出しの木曜ばかり意識していた。
久しぶりに買うかと1本手に取る。
ここ数年、ボジョレはまともに飲んでいなかった。ボジョレは騒ぐわりにはワインとしては安酒で、しかも航空運賃が入っていて値段が高い。もう馬鹿らしくなったから。
ボジョレと同じ値段を出すなら、新酒でないものを買ったほうが断然、いいワインが買えるよ。
でもさ、11月のこの時期の、この冷たい空気を感じちゃうとね、ああ、ボジョレが来た(Le Beaujolais Nouveau est arrive !)ってちょっと感慨深い気分になっちゃうわけよ。
毎年毎年その過去の日は遠くなってしまうけれど、フランスのリヨンにいたとき、ボジョレ解禁の木曜午前0時にキャフェに飲みにいった。
アパルトマンで寝ているといきなりチャイムが鳴り、扉を開けると、年上の友人がいて、
「ボジョレ、飲みに行くよ〜」
って。
今なら事前にラインなんかで知らせそうなものだけど、当時はインターネット自体もないし。いや、ケータイすらなかった。
真夜中のリヨンは寒く、ローヌ川を渡って街へ出た。ベルクール広場を通り、ソーヌ川手前にある通りのキャフェが賑やかだった。そこにはLe Beaujolais Nouveau est arrive ! と書かれたテントがあって、樽からボジョレを飲んでいる人たちがたむろっていた。
それは0時前だったけれど、すでに飲んでいてみんな上機嫌。
通貨はユーロではなく、何フランだったか、確か日本円で1000円くらい払うと、入場料込みでテーブルに並べられたオードブルが食べられ、ワインはグラス一杯ごとに金を払う。
リヨンはボジョレ地区にもそう遠くないから解禁日はもっと街全体で騒いでいるのかと思ったらまったくそうではなく、いつものように静まり返り、夜中にボジョレが飲めるのはこのキャフェくらいだっただろうか。
その年のボジョレは当たりだったのか、ハズレだったのかは忘れてしまった。しかし、フランスの夜空の下で、地元の人たちがたむろする中で飲むヌーヴォーは格別だった。
日本に帰っても毎年ボジョレだけは飲み続けたのは、その記憶が美しいからで、毎年それは時間的に自分から離れていっても古臭くはならない。年に一度、リヨンのことを思い出す行事として飲んでいた。
日本では「ルイ・ジャド」というドメンヌのものを買っていた。これは百貨店などでしか扱われない高級品。いろいろヌーヴォーを飲んだけれど、ルイ・ジャドのものがおいしい。
しかし、ヌーヴォーのくせに5000円近くはするので、幾度かのハズレ年を飲んで、値段的に馬鹿らしくなってやめてしまった。
そして、数年ぶりに今日、スーパーで買って飲んでみた。ドメンヌはジョルジュ・デュブッフでサントリーが輸入を始めて、コンビニなどでも売られるようになったもの。
今回は格上のヴィラージュではなく、ノーマルのヌーヴォー。やはりあまり金をかけてまで飲むものでないという認識。
それでもヌーヴォーを買うと、家まで帰るのがときめく。そんなヌーヴォーをグラスに注いで飲んでみる。
「おっ!悪くない出来かもしんない」
安酒であることには変わりないけれど、結構よかった。もちろん同じ値段を出すなら、普通のワインを買ったほうがいいけれどね。
今年の出来栄えについてのリポートは見ていない。なぜなら、ボジョレは毎年、言葉を引っ換えながら悪い評価はされないし、それをすると売れなくなるからとはいえ、ボジョレの事前評価だけは当てにならない。
だから、今年はフランスでどういう評価なのかは知らないけれど、飲んでみた限りは悪くなかった。ジョルジュ・デュブッフのヴィラージュでないノーマルでこれだから、ルイ・ジャドならもっといいに違いない。
ところでスーパーには「令和初のボジョレ」ってポップがあった。フランスには令和って関係ないと思うんだけど、日本人って初物好きだよね。
でも日本もボジョレは流行らなくなって、年々、スーパーに並ぶ量は少なくなってる。売れないんだよね。
まあ、それは正常なことだけどさ。日本でボジョレで盛り上がるなんてアホなことだもん。
なんて言いつつ、いつぞは樽で仕入れて、結美堂ガールズみんなでヌーヴォーを盛大に飲みたいなんて思ってる。ヤシオマスをグリルしたらきっと合うよ。
栃木の11月の冷たい空気はちょっとリヨンに似てる気がするよ。リヨンと同じく海がないからかな。
リヨンっていうのは土の香りがするんだよね。