結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

日本にいて、いいなってこと

【スポンサーリンク】

結月でございます。

東京より少し遅く桜が満開になった栃木も路上に花びらが舞い始めました。

桜は日本の代名詞みたいな扱いで、外国人観光客もそれを見たりしますが、注意しなくちゃいけないことは、わたしたち日本人が感じているほど外国人が桜に感動はしていないだろうなってこと。

国が違えば、育った環境が異なり、その風景も違うのでどういうものに美を感じるかも全く違うんですよね。

日本人はとやかく日本礼賛したがる。確かに桜はどこの国の人が見ても綺麗には違いなくても、日本人と同様というわけでないです。

日本人は富士山を美しいと感じたとしても、フランス人ならモンブランのほうが感動的な山かもしれない。

日本人がモンブランを見てもすごい山だなって思っても、富士山のような感銘はないでしょう。

それと同じように桜もきっとそうです。悪くはないけど、最上ではない。

パリに滞在していたとき、行きつけのキャフェでシャンパンを飲んでいると、背の高い給仕の兄ちゃんがわたしのテーブルにやって来た。すると、

「今日は太陽が出てる!最高な日だね!」

と、両手を広げて素晴らしい青空の熱弁をしました。

わたしは、

「そうだね」

くらいにしか答えなかったのは、それがただの青空だったからで、彼ほどの感動はなかったんです。

でも、どうして給仕の兄ちゃんがわざわざ熱弁するかというと、それは本当に晴れた青空を喜んでいたからで、つまりパリという街はボードレールに『巴里の憂鬱』という詩集がある通り、憂鬱な曇り空であることが多く、晴れる日は日本ほどないからです。

だから、夏のバカンスになれば南仏の地中海に太陽を求めていくのであり、詩人のアルチュール・ランボーは、

「また見つかった! 何が、永遠が! 海と溶け合う太陽が!」

という詩を書いたのもパリの不機嫌になるような曇り空のせいかもしれません。

パリっ子は性格が悪いとフランスでも言われていて、それはあの天候にあるのではというのが専らです。

しかし、日本の晴れ空に慣れているわたしはパリのピーカンの空には正直、なんとも思わない。

これは当たり前のことのようだけれど、どうも外国人に日本礼賛と押し付けるテレビ番組が人気だったり、オリンピックで日本らしさをアピールとかいう風潮を見ると、やはり日本人は視野が狭いのだと思う。

ヨーロッパのように地続きでないから異国文化との交流が乏しいせいもあって、海外に触れた経験が少ないからだろう。行ったとしても旅行くらいなもので、やはりある一定期間、住まないとそういった視野は身につかない。

イチローが引退会見で「アメリカでは自分が外国人であること云々」と言っていたけれど、それは本当にそうで、外国に住むと自分が外国人であることを痛烈に感じさせられ、思い切り自分自身というものを突きつけられる。

今はネットがあるから、現地情報も簡単に入手できるため、昔ほどではないだろうけれど。

わたしのフランス時代はネットがまだなかった。あの頃とても大変だった手続きも今ならネットで簡単にできてしまってさぞや便利だろうと思う。

ネットがないため、すべて自分というアナログの能力にかかっていて、役所での手続きや銀行口座の開設など、生活に必要な手続きをするのに大変な苦労をした。

さて、わたしは日本語のニュアンスがいまいち通じていない中国人の女と言葉をようやく話すようになった2歳児の女の子といて、栃木にいるのにフランスにいた頃のような気持ちになることがある。

要は日本でも育ちがまるで異なる異国人のフィーリングに対して日本でのルールやしきたりが思うように通じなかったり、通じていると思ったらやっぱり通じなかったりする。

2歳児はまだボキャブラリーが少ないから通じることも増えつつあっても、やっぱり手探りな感じがする。おまけに自分の意思が伝わらないと、2歳児は容赦なく泣き出して暴れたりするのだから、そこには、

「話せばわかる!」

が、根本的にない。

でもそういうものだと思っているし、わたしが中国へ行けば逆の立場なわけだし、ストレスほどはないけれど、サッと伝わらないというのはストレスにはなる。

日本人同士ならワンフレーズで通じるものも、説明が膨大になって、あちらの方向、こちらの方向、こんな比喩、あんな比喩を総動員して、さらに相手がわかるであろう単語を選ばなければならない。

2歳児にもいろんなことを話しかけることで言葉を覚えるからやはり言葉の数は多くなる。

先週、日光へ着物女子旅に出かけたときは、みんな日本人だし、さらに長い付き合いの人ばかりだから、話すことには何のストレスもない。それが当然なのに、

「ああ、楽だな」

なんて感じるのは、日々のコミュニケーションに負荷がかかっていることだと思った。

外国に行けば、通じない、伝えられないストレスはなかなかのもので、さらに異文化と異なる習慣、考え方までも入ってきて思うようにはいかない。

だから、日本にいていいなっていうのは、きっと最低限のことはストレスなく通じることだろう。

でもさ、仕事レベルだと同じ日本人で日本語を話しているのに、

「こいつ、全然わかってねーな!」

ってことは多々あるのは会社勤めの皆さんのほうが経験豊かだと思う。

いやいや、考えてみれば、夫婦関係だって何度言っても亭主がパジャマを脱いだら畳まずそのままとか、そういうこともある。

そう思うと、外国人であろうと、幼児であろうとあまり変わらないのかもしれない。

日本にいていいなっていうのは、日常生活レベルのことくらいなのかな、言葉が通じるレベルとしては。

でも、フランス語が通じない国で逮捕されてしまったゴーンさんは気の毒だと思うよ。もしあなたが日本語が通じない中国で逮捕されたと想像して、司法制度もまるで異なっていれば、どんな気持ちになるかな?

ゴーンさんにとっては激しいまでに過酷だけど、めげずに頑張ってほしいよ。それに容疑者っていう言い方も嫌だよね。

【スポンサーリンク】