結月でございます。
男体山を登った肉体的ダメージはまだ残っていて、それは特に下りに使う筋肉が痛い。
しかしながら、下山してすぐに温泉に入ったこと、そしてその直後に必殺のエアーサロンパス2重塗りをしたせいか、思ったよりはひどくはない。
2重塗りとは、エアーサロンパスのデラックスとノーマルを一度で塗り重ねるという荒技で、この過激さはそれを施した部屋に人が入ると、あまりのエアーサロンパス臭でむせ返って呼吸ができないほどなのである。
あとはのべつ筋肉が火照っているせいか、日々のハイボールの量が多い。
とまあ、疲労は抜けきらず、まだまだ起き上がるのにも、
「どっこいしょ」
と言わねばならず、そこに2歳児がおもしろがって戯れてくる。
さて、年明けから今年は山ガール部で男体山と言っていたけど、その達成まで8ヶ月もかかってしまった。
つまり8ヶ月間も男体山のことを考えていたから、ひとまずそれから解放された気持ちがしてスッキリしている。
また夏も終わりになって涼しくもなってきた。おかげで夏が強烈に苦手なわたしはむしろ生命力が高まってくるわけで、
「さあ、そろそろなんかやろうかな」
って気分になってきた。
栃木に来て8ヶ月。その間、わたしは一つも企画をやっていない。その他のこともやっちゃいるけど、アイデアで生きている人間がなんの企画もやらないんじゃ、存在価値がない。
企画をやらなかったのは、
言い訳① 栃木がどんなところかわからなかった
言い訳② 栃木の気分にならなかった
言い訳③ 育児が忙しかった
という理由がある。
まず①だけれど、これまで栃木には週一くらいで東京からクルマで来る程度だったから、ここでの生活ってものがどんなものか、よくわからなかった。
周辺には巨大スーパーなどがあり、生活に必要なものがすぐに揃う環境であっても、地下鉄も通っていない田舎でクルマ生活というリアリティはすぐには身につかなかった。
それに栃木の人がどんな県民性で、どんな経済があって、それゆえにどういうものが受け入れられるかはさっぱり。
つまり、ニーズがわからないんじゃ、企画の立てようがない。
それに連動して②もあるわけで、いくら栃木が好きだなとは思っていても、やっぱよそ者だから同一性までは得られなくて、何かやろうという気分にならなかった。今でも自分は東京人だと思ってるし、それはきっと海外移住した日本人が現地でも、
「わたしは日本人です」
と言っているのと同じだと思う。
それに今までずっと東京で仕事してきたから、東京で求められるもの、東京で通用するやり方しか知らない。だからいきなりここで仕事考えろと言われてもできるようなものじゃなかった。
また、育児の都合で急に東京を離れることになったから、何の準備も心構えもなかったせいで、無理やり根っこごと引っこ抜かれてここに移植されたようなところがあり、根が張らないんじゃ、やりようがない。
しかし、最近やっと東京気分の抜けてきたかなって気はする。
③は本当のことで、ちょうど2歳になったばかりの愛娘の面倒をみるのは大変だった。その頃はまだ全然言葉も話さず、完全に教育が遅れに遅れていて焦った。わたしが来るまで健康や生活習慣の管理もなかったから、ホールでケーキを食べるという有様だし、まだ哺乳瓶で粉ミルクを飲まされていた。
そういう習慣に大粛清をかけ、悪い習慣は徹底的に廃止させた。
そこにイヤイヤ期も重なり、それはそれは大変だったけれど、毎晩、絵本を読み聞かせ、たくさんのパズルを導入し、絵本の図鑑で単語を教えた。
これはもうはっきりと、はっきりとわたしの実績と成果だと自負しているけれど、愛娘は急速に言葉を話すようになり、食生活もまともになり、半年で平均体重に収まるようになった。
実は前から検診で注意されていたのだけれど、愛娘はわたしが東京からこちらに来た時は、その体重が2歳になったばかりなのに4歳児の平均くらいあるデブだった。そりゃ、ケーキをホールで食うようなことをしていたんだから、そうなる。
また歯磨きもしていなかったから、早速前歯が虫歯になっていて、それは止めろと言われていた粉ミルクをやめなかったために吸い口が当たる前歯が予告通り虫歯になったのだった。
しかし、今は大粛清のおかげで年齢通りの体重になり、デブな感じはなくなった。虫歯だけは自然治癒しないので、いずれ削るしかない。でも、毎朝、毎晩、必ず歯磨きをさせるようにして、本人も自分からするようになった。
そんな強い危機意識から東京を離れることになったため、自分自身が育児、そして教育をしていくことに慣れるのに少し時間はかかったし、生活習慣を大転換させることは相手が2歳児であっても困難なもので、しかも魔のイヤイヤ期が重なっていたのだから、企画なんて考えられる状態でなかった。
でも、ようやくイヤイヤ期もほぼ終焉し、会話もかなり成立するようになり、やっと離陸できたかなと思う。
仕事が大事とは言っても、小さな子供の場合は「その時」しか重要な時間がない。その短い期間に教育できなかったら後からはどうにもならない。であれば、仕事みたいな後でどうにでもなるものは放っておいて、一番大事なものに時間と手間をかけなければならない。
うちの愛娘は本当にギリギリセーフだったと思う。あのままわたしが東京にいて週一程度だったら、大変なドラ娘になっていたところだ。
とまあ、急な栃木生活で戸惑ってしまったところがあるけれど、住み慣れた東京を離れるなんてことは急でなければできないことだと思う。じっくり考えてなんてやっていたら、いつまでも決断はできないものだから。
それくらい愛娘には危機を感じたからこそできたことであり、さあて、それもそろそろ安定してきたから、わたしらしいこともやんなきゃね。
栃木ネタはおもしろいものがたくさんある。しかしながら、それをどういうベクトルで企画にすると成果が出るのか? そこはまだ見いだせていないところではあれど、ちょっとやる気になってきたから、スパークしてしまえばそんな余計なことは考えなくてもできるようになる。
ひとまず、こちらに来てからYouTubeの配信もやってないから、やらなきゃな、ではなくやりたいと思ってる。
そう言えば、こちらに来てしばらくの間は、家の壁塗りとか、そういうのも大変だったんだと思い起こす。
自分が興味あることが愛娘の教育にもつながるっていうのが、一番いいなって思うんだけど、そんなのは打算じゃないんだよね。