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サドの『美徳の不幸』がわかった瞬間

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結月でございます。

先日、書棚を2歳の愛娘が漁っていて、マルキ・ド・サドの『美徳の不幸』を持ってきた。

澁澤龍彦が訳したサドの作品は全部読んでいるけど、今更読むことはなく、『美徳の不幸』の本を手にしたのも久しぶりだった。

するとその瞬間、美徳の不幸という意味が皮膚感覚というか、体験的というか、つまり頭の理解でないリアルなフィーリングで捉えられた。

言えてる。美徳は不幸になる。それはサドが生きていたフランス革命時と今も変わらない。サドはキリスト教の美徳を徹底的に攻撃したけれど、なるほど今はキリスト教ではないにせよ、この日本でもつまらない美徳やモラルなんかを気にして生きて不幸になるひとはたくさんいることにハッと気づいた。

そうなると、『美徳の不幸』だけでなく『悪徳の栄え』も読み返したくなってきた。

サドの思想は今も通用する。サドの警告は今だって同じ。

『美徳の不幸』はジュスティーヌの物語だけれど、『悪徳の栄え』の主人公ジュリエットはジュスティーヌの姉。

ジュスティーヌは美徳に忠実であったのに対し、ジュリエットは悪徳の限りを尽くす。

ジュリエットの悪徳は壮大で、『悪徳の栄え』はそれがウンザリするほど描写される。

しかし、今の日本ではジュスティーヌの不幸からの視点のほうがきっとジャストミートする。

ジュスティーヌのメンヘラ具合なんて考えたら、

「いるよ、いるよ、そういう女」

とリアルに思える。

奥深い小説っていうのは、読んだときにはわからなくても、長い歳月が経っていきなりわかることがあるものだよね。

どうせ本を読むなら、そういう本を読みたいね。

読んですぐ理解できる本は、底が浅いってことだから。

 

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