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銀座の夢

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結月です。

そこは閉店が早朝の五時のバーで、カウンター席の端に座ったわたしはロングカクテルを激しい睡魔に抗しながら飲んでいた。

バーテンダーは黒人の男で、その他の日本人バーテンも知らない顔ぶればかりだった。

時計は二時を指していて、どうせ帰るにも家がないからゆっくりしていこうと思っていたがいつの間にかカウンターで眠ってしまっていた。目が覚めるとバーテンが掃除を始めていて、もう一杯飲んで帰ろうかと思ったがやめにして会計をした。その時、

「山田さんはいないの?」

と訊くも、相手は誰だかわからないような顔をするから、

「じゃあ、もういないのかな。昔いたんだけど」

とわたしは言うと、バーテンは、

「自分も最近入ったもので…」

と言った。

外に出るとそこは銀座で、見慣れた風景とは少し異なるものだった。あてもなくふらふらと歩き、自分がかつていた場所を見てみようと思ったりしていた。

これはわたしが見た夢の話で、夢から醒めると、隣で愛娘のシャンシャンがイビキをかいて寝ていた。

頭痛とまではいかないけれど、とても頭が重くて激しい疲労感があった。

銀座の夢は昔からよく見る。それは銀座にいた頃からそうだった。

夢の中の風景は本物の銀座とは違っていて、別の記憶と混ざり合った変なものになっている。しかし、それは銀座には違いない。

銀座5丁目で初めて店を出した場所。そこは廃墟になっていて、壁は抜け落ち、誰も入らないゴーストビルになっている。わたしは夢の中で訪れると、自分がいた階の部屋に行く。移転先に持っていかなかった家具が破損して埃だらけになって残っていて、その上の階に行くと、よく面倒をみてくれた不動産業者の部屋も廃墟で、窓ガラスはなく、瓦礫ばかりになっている。

もう戻れないと些か落胆しながらエレベーターのスイッチを押すも動かない。階段で下まで降りて行く。

これも夢の話。

あといくつかのパターンの銀座の夢がある。とりわけ銀座にはもう思いはないのだけれど、ほんの時どき、そんな夢をみる。

御徒町に越してからの夢は見ない。

たった一年ほどしかいなかったし、そこでは大した仕事はしなかった。それに栃木への移転があまりにも急で、無理に鉢替えしたようなものだったからかもしれない。

でも、御徒町に居続けても大したことはやっていないと思う。

2016年にサントリーホールでコンサートをしてからは、やっぱり大したことをしていたない。音楽とは違ったことをやろうとするもわたしとしては悲しい頓挫になって企画倒れになった。でもそのこともほとんど覚えていない。別人の過去のように思う。

それも銀座でのこと、というか、銀座のビルの契約満期と重なっていて、企画進行中の中で御徒町に移動した。銀座に残ろうと銀座でテナントを探したが、気分が高まることはなく、銀座を終わりにした。

銀座へは思いを残すこともなく、思い出すこともない。ただ時どき、こうした夢を見るだけで。ただコンサートを終えるまでのそこでの生活は今思えばウンザリすることばかりで、同時に必死だったし、そんなネガティヴに対抗するためにやる気に満ちていた気がする。

銀座という街への愛着もあった。その愛着を消耗してしまったのはコンサートで全てを出し切ったからかもしれない。

その直後はやることがないから、自動車学校に入り免許を取得し、慣れない運転ばかりしてスリリングを味わっていた。

これは長い旅なんだと思う。そうやって航海している。銀座を過ごした14年は大きなもので、旅の中でもやはり特別なのだろう。

もう一度同じように住んでみたい場所。それはいくつかある。

生まれてから育った京都の地。それは今の実家がある場所ではなく、育ったところ。この間もそこをクルマで走ったけれど、たくさんの思い出があってここで過ごせたら気持ちがいいと思う。

あとはフランスのリヨン。そしてパリ。

中国はない。やはりそこでは自分が自分で何かをやったわけでないから、与えられた記憶しかない。

そして今いる栃木も死ぬまではいないだろうから、いつか思い出の地になる。毎日、クルマで保育園に連れて行ったり、巨大なスーパーにベビーカーを押して買い物に行ったりしたこと。

しかし、中にはビジネス生活を終えたら、生まれ故郷に帰りゆっくりとしたいという人もいる。

その気持ちはわかるようで、でも同意はできない。

京都のその一角で過ごしたら気持ちがいいと思いながらもそれはしないと断言できる。懐かしさがいっぱいあっても、それは何も生み出さないから。懐かしさを感じるのは心地がいいけれど、それ以上はない。

今、銀座の街を歩いて、行きつけだったバーに行ってもすでに自分の銀座でないし、何か残せるものでもない。

生きていることは長い航海なのだから、同じ場所にまた来るべきではない。

それに同じ場所を思っていても、もうそこは離れていた間にすっかり変わってしまっている。同じものは手に入らない。過去の記憶を頭の中で描くことしか、過去の同じものは手に入らない。

そんなことをしたって何の意味もない。

それに街だけでなく、自分も変わってしまっている。

銀座にいた頃の自分と愛娘と一緒に寝ている自分は違う。まるで別人になっている。

銀座でやってきたことは今の自分にはできないし、銀座にいた頃の自分は育児なんてできやしない。きっと育児放棄している。

それは年を取ったのではなく、新しくなったということ。

だからわたしは年を取らない。絶えず今までやったことがないことをやりたい思いで生きているから。

銀座では14年生きて、そして今は育児ではわずか3ヶ月しか生きていない。新米もいいところじゃないか。

愛娘がある程度大きくなったら、今の場所に住んでいることはないだろう。新しい場所は奥日光の山奥かもしれない。

それは隠居するのではなく、自分がやったことがないことを楽しむため。

終わりが来ると始まりが来る。

そうやって生きていると常に新鮮でいられる。

だから銀座にはもう行かない。

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