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涼しくなったら、暑いからと言い訳してやらなかったことをやる

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結月です。

ちょっと涼しくなってきました。まだ油断はならず、猛暑になる日はあるだろうけど、夏は後退の雰囲気。

涼しくなると、ちょっと出かけようとも思う。今まであまりの暑さでちょっと歩いただけで汗だく、日差しは皮膚に突き刺さり、やる気も減退だったのが、行動的になってきます。

「暑い」を言い訳にしてやらなかったことがあったので、涼しくなったら言い訳してやらなかったことを全部やってしまおう。

とにかく、言い訳というのは美しくないものだから、言い訳してやらなかったことをやらないままで放置しておくのは良くないです。

しかし、言い訳は言っている本人はあまり自覚がないことが多いらしい。おそらく言い訳とは「体質」であり、どーにもならんことなのかもしれない。

言い訳するひとはずっと言い訳する。言い訳し続ける。その結果、何もやらない。

さて、わたしがこの夏、暑いを言い訳にしてやらなかったことはウォーキングなど山登りのためのトレーニング。暑くなってから一度もやってない。

一度もやらずに山に登ってみたら、やっぱり登りきれなかった。

なんて言うと、普段山に登ってないくせに山登りのことをとやかく言うひとって出てくるに違いない。わたしはそういう話には一切、耳は傾けないことにしてる。

だって、それって、ネットに書かれるようなコメントレベルだもん。ガチで山登りしているアルピニストとか、そんなひとの話だったら聞く。

なので、そうでなければ、わたしは結美堂山ガール部の部員たちの話しか聞かないことにしてる。なぜなら、あの現場で、あと時間を共にしているから、どういう状況かというリアルを共有しているから。

いやいや、最近、アタシって、閉鎖的になってきてる? うん、なってると思う。

ってか、情報をすごく厳選するようになってきた。根拠のない話は聞かない。他人の夢は聞かない。自分に身にならない話は聞かない等々。

自分にとって有益なものか、無駄なものかを篩に掛けるようになったかな。

でも、自分が興味があるもの、有益になると思うもの、自分が楽しいもの、そういったものには昔以上に積極的になってる。

それは無駄を省いた分、エネルギーがそちらに使えているからだと思う。

だから、意味がない話、楽しくない話、無駄な話を聞かないことによって、自分の生産性が高まってる。

自分ができないことをやりたいし、やったことないことをやりたいよね。

なので、言い訳して何もやらないなんて自分にとって屈辱なので、暑いを言い訳にしてやらなかっったことをやって「処理済み」にしてしまおう。

奥日光へ山登りに行ってちょうど1週間ほどが経って、登りきれなかった自分に対してますます腹が立ってきた。

言い訳すれば、お盆初日で大渋滞で高速が使えず、到着時間が遅れ、その結果、下山しないと陽が暮れるから、ということになる。

でも、本当のところは、予定通りの時間に着いて、時間がたっぷりあっても体力的には登れきれなかったのは確かだってこと。

だから、「未処理」の状態。

なので、涼しくなって体力を向上させるトレーニングをして、9月中に同じ山を登り、山頂を目指そう。

というわけで、モンベル御徒町店に早速行って、登山用の帽子とホイッスルを買ってきた。

秋となって麦わら帽っていうのも何だから、布製のモンベルの帽子を買った。実は、こういうステレオタイプなグッズは好きでないんだけど、山に登り切ることが第一の目標だから、ルックスのことは後回しにしようと思う。そしてホイッスルは、細くて急斜面の道から滑落したときに吹きまくるためのもの。

どうも奥日光の社山は道にはなっていてもデンジャラスに細いところがあるので、そこが男体山など有名どころとは違うところだろう。

さて、このような一種、闘争心のようなものが芽生えてくるのは、自分のダメさから逃れたいためであって、ちょうど2年前、自動車免許を取って、クルマに慣れるために夜中に都内を走りまくって練習していたときと似ている。

しかし、山登りはクルマの運転よりもハードで、栃木だけでも数多くの山があるし、奥日光だけでも男体山、女峰山、太郎山がある。

この試みは、栃木・日光サイトにも記事にするつもり。このサイトは日光をメインに栃木の魅力を伝えるものでおもしろいものになるよ。

昨日も真夜中に4時間ほど日光の歴史を調べてた。調べ出したら止まらなくなって4時間ほどやってたんだけど、知れば知るほど、サイトは日光をメインにするべきだと思った。

栃木全域となると広いし、焦点がボケる。日光だけでものすごい量になりそうだから、日光に集中し、番外編として那須塩原やその他の地域を扱うやり方にする。

奥日光へ初めて行ったとき、その土地の霊気が凄まじくて、何なんだ、ここは!!と驚いた。それからというものクルマも手に入れたおかげで奥日光へはよく行くようになった。

そして、日光の歴史を調べてみると、霊気が強くて当然ということはわかってきた。

しかし、HOWはわかっても、WHYがわからない。状況証拠はいくつも並べられ、過去にこういうことがあったという意味での説明はできる。でも、なぜ、あの土地なのか?がわからない。

奥日光の戦場ヶ原は神話の世界で男体山と赤城山が中禅寺湖を巡って大蛇と大ムカデになって戦った場所だけれど、それが書かれたものが『日光山縁起』で、室町時代に書かれたらしい。

これは読んでみたいと探してみるも、『日光山縁起』では出版されていないようで、調べていくと岩波が大昔に出していた「日本思想体系」に収録されていることがわかった。

「日本思想体系」は高校生の頃、大阪の難波にあった大阪球場の巨大古本街に通い詰めていたときによく目にしていた。

それは全67巻もあり、どこに収録されているのかわからない。図書館に赴いて調べようと思ったが、今はGoogleのほうが優れている。どこぞの暇人が哲学書をガイドするサイトを作っていて、そこに日本思想体系の収録リストがあった。『日光山縁起』はその第20巻に入っていることがわかった。

早速、MacBook ProからAmazonにアクセスし、コンディションのいいものを見つけ、発注。明後日には結美堂に到着する。

しかし、『日光山縁起』は本地垂迹で、誰がなぜ書いたのだろう? おそらくは聖書やコーランのように霊能で書かれたものだとは思うけれど、天平時代に勝道上人が日光を開山して、そのおよそ600年から800年後のどこかで書かれている。

中間を取っても、700年間ほど間に奥日光は仏教文化が花開く。男体山などは山岳信仰の対象とされていくわけだけれど、『日光山縁起』の戦場ヶ原の話などは、むしろ古神道のようであり、『古事記』を思わせるところもある。

とにかく、それらは結果であり、仏教というかたちに出るのか、神道に出るのかの違いに過ぎず、つまり米という材料がチャーハンにもなれば、カレーにもなるのと同じである。

その源となる霊源があるはずで、わたしはそこに興味がある。

とまあ、登山だけでなく、奥日光にある歴史的なものも調べつつ、観光として楽しめる類をみない日光のサイトを作ろうと思ってます。

というわけで、わたしは興味がないものに対してはとても冷たくなっている反面、興味があるものについてはとてもホットになったかな。

 

 

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