お金のお話(1)「時給の仕事をしていると、上には行けない」

結月でございます。

仕事をしてお金をもらうのは、いろんな貰い方がありますよね。

・時給

・日給

・月給

・一仕事あたりの報酬

などなど。

まず、時給はアルバイトやパートで、時給980円とか働いた時間できっちりとお金をもらえます。

日給は日雇いなど臨時的な仕事に多いですかね。土木関係の助っ人とかイベントスタッフなどは日給で、つまり継続的な仕事ではなく、ピンポイント的なものです。日給はその日働いたら、8000円といったように支払われて、拘束時間も概ね決まっていますが、多少それが伸びても時給換算で延長分がもらえることはあまりないでしょう。

そして、月給。これが最も一般的で、つまりサラリーマンですね。一ヶ月あたりの基本給が決められていて、そこから社会保険や厚生年金、その他諸々が引かれ、その残額に役職手当てなどがつくという感じ。

一仕事あたりの報酬は、フリーランスでやっているウェブデザイナーとかホームページ制作とか、つまりクラウドワークスに登録されるような一仕事あたりで受注するというやり方。

あとは年収で役員報酬を得るとかもありますが、割合的にはそういう身分のひとは少ないのでここでは取り上げません。

安定してもらえる給料形態は?

時給も月給とほぼ同じ

時給換算でもらうアルバイトやパートも結局はその月で働いた時間の総額で月一で給料をもらうので、形態は月給と同じです。

月給のサラリーマンと違うところは、時給で働いているので、働いた時間を全部時給換算でもらえるメリットでしょうか。

月給のサラリーマンは、拘束時間がとても曖昧で、それがサービス残業になってしまったりするので、月給を時間割りしてみると、意外とアルバイトと同じくらいだったということは珍しくありません。

月給が安定的か?

終身雇用という昭和な日本的システムはもう崩壊していて、それを真に受けるひともいないけれども、会社にしがみつくひとは多いです。それは会社を辞めたら次の職がないのでは?という不安からです。

ということは内容的には、雇用する会社側は終身雇用を望んでいないのに、雇われる側がなんとなく終身的な雇用を望んでいるという現実があるんですよね。

ですから、会社の業績が落ち込んでも、

「この会社、ヤベーな…」

と、先を見越して辞めるひとは思いのほか、少ないわけです。

雇用される側が、なんとか会社に持ちこたえてほしい、そして月給を提供し続けてほしいと思っています。

話題になるブラック企業は、雇用する会社側の問題ではなく、どちらかというと雇われる側のメンタリティーにあるのでは?とわたしは思っていて、業績が落ちても社員は辞めないんだったら、給料を減らして、労働時間を増やしても大丈夫と思っても当然ではないかということです。

しかしながら、かつての名だたる大企業もリストラをしたりするご時世で、いくら自分が会社にいたいと望んでも会社が潰れてしまえば元も子もないわけで、それが珍しくないことから、月給がそれほど安定的とも言えなくなってきました。

また、税金や社会保障などが月給から天引きされると手取りはギョッとするほど少なくなる現実。その数字を見ると、腹が立つより絶望するので見ないようにしている、というひとも多いようです。

時給と月給の金銭感覚

みんな、お金はほしいと思っている。今よりも給料が高くなってほしいと思っている。これは当然のことですが、現実的にバイトの給料が時給980円だったのが、勤続年数が長いから1500円になるとか、まずもってあり得ないし、月給が年に一度の昇給で10万円上がるなんてことは普通はないです。

これは誰でも知っている現実なのに、給料は高くなってほしいと願っている。これは矛盾というか、無意味ですね。願う時間が無駄。

時給で働くデメリットは、生活がケチになること

わたしも何度も時給で働いたことがあるのでわかるのですが、時給で働くと、生活が時給の金額で動くようになります。

つまり、時給1000円で働いていると、食事をするとき、もしくはスーパーで買い物をするとき、飲食店のランチが1200円だとして、そしてスーパーのお惣菜が580円だとすると、

「う〜ん、バイトでウザい店長と一緒に仕事した1時間がこのランチでぶっ飛んでしまうのか… お惣菜にしても30分以上働いたプライスでこの弁当…」

となってくる。すると、1000円という時給が生活単位になって、1200円のランチがとてつもなく高いものに見え、580円の弁当ですらもったいなく感じてくる。

そうなると、時給で稼いだ尊い1000円を残すには、カップ麺にしておこうかとか、家でパスタを湯がいて98円のミートソースで済まそうとか、そういう生活になってくる。

つまり、1000円の価値が大きくなり、ますます生活がケチになってしまうわけです。

また、時給は決まっていて、1000円単位を超えることがないので、大きな買い物をすることはできず、貧乏のスパイラルから抜け出せなくなる。

月給でも現実は…?

月給でもらっていると、時給換算して生活することはなく、月給スケールで生活することになります。一ヶ月で働いた時間をノートに記録し、手取りの額をそれで割ってみると実質の時給が出ますが、それをするひとはあまりいません。

ですから、月給でもらっていると、時給スケールでは生活しません。

実質賃金は時給で働くバイトと同じくらいでも金銭感覚は時給のひとよりは大きい。なので、時給のひとよりは、大きな買い物をする傾向にあります。

月給と一口に言っても、その差は激しく、手取りで十数万円もあれば、50万円もあります。

イメージとしては、月給で満足できる額は、家賃、光熱費、生活代、全てを差し引いて給料の半分以上が残るくらいでしょうか。

そうなってくると、東京での生活、しかも独身で計算してみると、

家賃:10万円

光熱費:1.5万円

通信費:1.5万円

食費:5万円

その他:3万円

合計で、21万円です。これが半分としたら、手取りで42万円くらいといったところでしょうか。

しかし、これには趣味やレジャーは含まれていません。年に2度、海外旅行へ行ったり、お正月は帰省したり、さらには風邪をひいて病院に行ったり、薬を買ったりなど、そういうプラスアルファを考えれば、手取りで50万円はないといけないという話になります。

手取りで50万円となると、税金や社会保障費などなどが引かれることを考えたら、額面で70万円くらいになるのではないでしょうか。額面70万円の月給をもらえるサラリーマンとなるとグッと数が減ります。

となると、現実的には形態として月給のメリットはボーナスがある(かもしれない)とか、そういったところですが、満足できる月給というものが夢物語なのでしょう。でも、時間給という小さい単位で生活を考えないのはいいところです。

上に行けるかどうかはお金のダイナミズム

時給で生きていると生活が矮小化して、ケチになってしまう。つまり、お金の出入りが小さくなり、そのわりにお金の価値が大きくなるわけです。

例えば、何か趣味を始めると、そのための道具を買う必要が出てきます。しかし、金銭感覚が小さくなってしまうと、その道具の中でも一番安いものを買ってしまう。時給1000円が価値基準になっていると、1万円のものを買うにも、

「10時間、働かなくちゃならないのか…」

と、憂鬱になる。そうすると、より安いもので済まそうとします。

しかし、安いものは安いクオリティしかないので、せっかく始めた趣味も長続きしない。品質が悪いゆえに、そのモノへの愛着も持てず、安物だから使いにくいなどがあるからです。

すると、結果的に損をしている。

「安物買いの銭失い」という典型的なもので、時給単位で生きてしまうと、大きいことができないので上には行けません。

上に行けば、自分よりすごいひとがいて、そこで切磋琢磨され、自分も一層向上して、大きな仕事ができるようになるチャンスがあるのに、時給で生きるとそこからは抜け出せないのです。

給料の愚痴を言っているひとに限って、お金のダイナミズムは小さいものです。

無駄なものにお金を使う必要はないですが、ここぞというときに使えるほうがお金が回るエネルギーが高まります。

しかし、月給も含めて、金銭感覚が矮小化していると、ここぞという場面なのにケチってしまう。

と同時に、くだらないものには小さくお金を使い、その結果、それらを合計すると結構な額になっているものです。

大切なことは、くだらないものにはお金は使わず、ここぞというときはケチらない金銭感覚。

どうもこれが逆になっているひとが多いようです。