結月でございます。
何も関係ないところまで自粛が要請されるような抗がん剤的なやり方で、これから経済が戦後史上初となるくらいの大恐慌になる。
中小企業や個人事業主は自粛1ヶ月でかなり厳しいところまで追い込まれるし、2ヶ月、3ヶ月となるとほとんどのところがもたないだろう。
そこまで小さな企業でなくとも物流が止まり、売上が止まっているので給料の減額はすでに始まっているし、まだ何とかなるだろうという気分でいる今はまだ幸せなのかもしれない。
基本的にこのウイルスは終息ということがなく、増えたり減ったりしながらずっと社会と共存するような性質だから、スパッとなくなるようなことはないだろう。
だから、カミュの小説『ペスト』のラストのような結末にはならず、自粛の連続の結果、倒産が増え、失業者が増え、ウイルス感染は話題にならなくなってもその頃には家賃を払うどころか食うのが精一杯という人が大量に増える時代になりそう。
それを今から食い止めないと、ウイルスよりもたくさんの人が死ぬことになる。経済と自殺者数は連動しているし、死ぬまでいかなくとも生活の困窮から社会が荒んでいく。
実際に日本ではウイルスの死者はそれほど多くはない。しかし、経済が過激に落ち込むとかなりの死者が出る。
それなのに人口密度がとてつもなく低いところにまで緊急事態宣言が出ているわけで、やらなくていいようなところまで自粛がなされ、小さな商店までもが休業している。
個人商店のようなところは体力がないので、潰れるのは簡単で、皮肉なのはそこにはウイルスも感染者もなければ、3密から程遠いこと。
しかし、航空会社のような大きなところも本格的に危ないし、百貨店もそうだし、鉄道関係もそうかもしれない。
ウイルスの規模と経済の損失の釣り合いが悪すぎて、もっとクールにならなくてはいけない。
そこにないものにまで怯えて、経済で自分を殺すとは愚の骨頂だし、現実的にありそうなところだけきっちりとしながら補償などのケアをすれば、経済を潰さなくてもやっていける。
さて、そんな今、思うことがあって、もし自分があの頃だったら?というものである。
わたしは随分昔、渋谷の百貨店の地下にある青果売り場で肉体労働をしていた。
東京に来たばかりの頃で、金はまったくないし、給料がそのまま翌月の生活費にきっちりとなくなるという生活だった。
確か練馬のアパートで家賃は63000円だったと思う。
もしあの頃の自分が今だとしたらどうだろう?
百貨店は閉店して、正社員でない時給労働者だから給料はもらえない。貯金はゼロ。自粛がいつ解除されるかもわからない。
となると、今頃、家賃は払えず、食費もなく、居留守を使って部屋に閉じこもっていただろう。
当時は今のように自力で稼ぐアイデアも能力もなかった。だからクレジットカードで限られたキャッシングをしながらとりあえずやり過ごしているに違いない。
そんな状態で、しかもあの頃の荒れた性格だと、追い込まれて金のためなら何でもやっていた。
そう思うとゾッとするが、そういう境遇にある人たちが実は今、たくさんいるのだろう。
ステイホームなんて、よく言えるものだ。仕事がなければ生きていけない人はたくさんいる。ひと月もふた月も待てないのだ。
だからわたしには「ステイホーム」という掛け声は、
「私は感染したくないから、あなたが死んで」
と聞こえる。
そんなつもりじゃないのはわかっている。
しかし、現実的に来月から困窮するとわかっている人には自粛とはそう言っているのと同じだ。
ウイルスよりももっと大事なことに社会が気づくべきだ。
今、社会は自分のガードばかりで、優しさを失っている。