結月です。
実は昨日まで京都にいた、というか6歳の愛娘を連れて実家に滞在し、京友禅の工房に顔を出したりしていたのである。
7日間も学童保育が夏休みになるせいであまりにやることがなくて困ったゆえの京都行きだったのであるが、とりあえず3日間はつぶせた。
栃木から京都まで高速で休憩なしだと6時間半。東京からだとそこから1時間短くなる。
いつものことだが京都方面に行くときは運転しながら昔のことを思い出す。過去に行った公演のことや銀座のこと、フランスのことなどである。そして、東京方面に戻るときはこれからのことを考える。
京都にはもはや思い出しかなく、そこは活動の場ではないからだが、こちらも戻ると活動の場に近づくからこれからどう仕事を進めようかという気持ちになる。
さて、最終日は友禅工房の女将さんに教えてもらった子供向けのイベントに行く。四条烏丸にある京都大丸で「きょうとっこがくえん がくえんさい」というもので京都の漆喰や印章などの職人さんがやってきて子供たちにちょっとした制作を教えてくれるのである。
京都は大きな駐車場が少ない。京阪三条にあるのが最大だと思う。大丸がある四条まで散歩もしたいから三条にクルマを止め、三条大橋を渡り、新京極に入り、そこから錦市場を通って大丸へ。
特に錦市場は夥しい外国人観光客で、というか観光客しかいない。もはや地元の人が食材を買うようなところでなくなっていた。そして、猛烈に暑い。酷暑の中で観光客の間をすり抜けながら進むと、すっかりくたびれてしまった。
というわけで大丸の地下で6歳児はかき氷を食べる。
しかし、新京極も寺町京極も知らない間に知っている店がなくなり、知らない店ばかりになっている。ただアーケードはそのままなので迷うことはない。
あそこは何があった、あちらはあれだったなど姿は変わったが記憶で置き換えると懐かしい。もっと時間があって、しかも6歳児が一緒でなくひとりで、そして酷暑でなければゆっくりと記憶を辿りたいところはたくさんある。それくらい京都から離れて時間が経ったし、たくさんのことがありすぎてもはや自分は異邦人である。
さて、子供イベントは4つのブースが展開されていて、うちの6歳児は「全部やる」というので、わたしはその間、3時間ほど待たされることになったのだが、同じフロアにあった高級時計を冷やかしで見たりして時間を潰す。
百貨店の時計売り場はそんなに客が来る場所でないし、食品みたいに客が並ぶ商材でないから店員は意識のないペンギンのようにじっと立ったままである。あれはキツい仕事だと思い、さそや時間が経つのが遅く感じられるだろうと想像し、こちらもイベントが終わるまで待たされている退屈な身であるから店員に話しかける。
シチズンやグランドセイコー、オメガなどガラスケースの下の腕時計を眺めながら店員とおしゃべり。
普通に会話が成り立つ。洒落を言っても応じてくれる。
というのは、栃木に来てわかったのだが、栃木の人にはわたしのトークが通じないのである。買い物に行ってもちょっと変化球の効いた喋りをすると栃木の人はフリーズする。どう話していいか思考停止になるようなのである。これは度々なのであって、そういう県民性、ジョークに対応できない単純さ。
東京でもちゃんと会話は成り立つ。ちょっとふざけたことを言ってもちゃんと応じてくれる。
栃木であまりにもフリーズされるのでわたしがおかしいのかと不安になったが、東京で買い物してもトークは成り立ったし、京都でも東京とは質は違うが成り立った。
しかし、京都は「おもてなし」の文化である。子供イベントで子供相手にしてくれる職人さんたちやスタッフも相手をもてなす心がある。それが普通なのである。
東京はそういう「もてなし精神」はあまりなく、その親切さはビジネス的である。
そんな京都の「おもてなし」の心は京都にいる頃はわからなかったが、離れてみてよくわかるようになった。ネイティヴ状態ではそれが普通だから意識してやることでない。だから見えないのである。だからその土地の文化はその土地を離れないと見えてこない。
そして、子供を待つ間に地下食に行ったが、美味しそうなものがあちらこちらにある。それらはやはり京都もので料理にも華がある。とにかく明るい。さすが京友禅の土地である。また、販売する人々もお客さんに買ってもらおうと賑やかである。
何というか、京都はセンスの街なのである。感性がその根底にあって、そこから湧き出す美しさと明るさがある。
それが京文化であり、考えるよりセンス。センスがあって、そのセンスを実行するために技能がある。
ずっとトークが成り立たない栃木にいるものだから、そうしたものが心地よく感じられる。昔は何とも思わなかったものが実は特殊な文化で、しかもそれはとてつもなくハイレベルなものだと知る。だから京都には外国人観光客が大勢訪れるのである。東京に観光客が来てもそれはショッピングのためだったりして、文化的な目的ではあまりない。
上岡龍太郎は大の東京嫌いだったが、
「東京は文化レベルが低い」
と言っていた。それは上方にあるセンス、感性でやり取りできるテレパシーみたいなものがない東京、さらに言えば上方にある色気、そういったものが東京にないゆえの発言だったのだろう。
そうなのである。京都は色っぽいのである。
しかし京都に戻ろうとは思わない。やはり京都は地方都市であり中心ではない。中心は東京であり、地域色がない仕事、誰にでも伝えたいことを仕事にしていると東京でないとできない。
コンサートだって、予防医療だって東京でないと発信はできない。オーケストラは地方のオケはやっぱり地方のオケで、いくら頑張っても地方は地方。予防医療を地方から発信してもどこぞの地方が頑張ってるという評価になってしまう。
だから、京都にいると数日くらいは心地よくても、自分が中央にいないことにソワソワとしてきて、こんなところにいている場合じゃないと思う。三条や四条を歩くと思い出はたくさんあれど、それに浸っていてもやらなければならないことは何も進みやしない。
そして愛車をぶっ飛ばし、京都を離れる。
だが京都で「おもてなし精神」をちょっと思い出した。自分が最近ドライな方向に傾いていると反省する。
そういえば東京五輪招致のとき、
「お・も・て・な・し」
が流行ったが、おもてなし精神は日本文化ではなく、京文化である。一地域の文化をあたかも日本全体がそうだと思わせるのは間違いなのである。