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「かわいいから悪くないよ」ってヤバいセリフ

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結月でございます。

3歳の愛娘と一緒にいるわたし。ちょっと前から保育園に「好きじゃない」お姉さんがいるというので、泣くことがある。

年上のクラスとの交流でどうも相性が悪いのがいるよう。

どうも構われるのが嫌らしい。

向こうは悪気があるわけでないけれど、うちの3歳にはメンドクサイ干渉に感じるのだろう。

人から構われるのが大嫌いなのはわたしに似ていて、遺伝というものがあると実感。

人間嫌いなところが遺伝していて、同じような性格だなと思う。

他の子が元気に「おはよう!」と挨拶してきてもスルーどころか、泣き出してしまう。

ああ、そういう気持ち、わかるわ。わたしもウザくて嫌だもん、そういうの。元気の押し付けやめてほしい、なんてね。

でも、挨拶されて挨拶しないのは、うちの愛娘なのだから、

「ねえ、シャンシャン。好きじゃないって言ってるけど、挨拶しないあんたが悪いんじゃないの?」

と、クルマの中で言うと、うちの愛娘は、

「シャンシャン、かわいいから悪くないよー」

と、半泣きしながら答える。

いやいや、それ違うし。かわいいと良し悪しって論点が違うから。

こういう論点の錯誤、大人でもやってる人多いよね。トレンディーな話題だと、マスクはコロナウイルスの予防には役に立たないからする必要はないと世界最高の保健機関WHOが言ってるし、厚生労働省だってそう言ってるのにマスクしている人がうじゃうじゃいるっていうのは、それも論点をはき違え。

それはさておき、かわいいから悪くないなんて、性格が超悪い女みたいで、勘違いしたキャバ嬢にいそうなんて勝手なことを言ってみる。

あまり「かわいい」と言わないほうがいいかもしれない。美人に性格が悪いのが多いという通説は、子供の頃からチヤホヤされてきたからという裏付けをこのままだとうちの愛娘がしてしまいそう。

うちの3歳児は親バカではなく、客観的にジャッジしてちょっと美人なのである。悪いけど、他の同年齢の子供を見かけるとブスだなと思う。

目が大きいことで得点を稼いでいる。わたしの切れ長と二重を引き継ぎ、うちの家人の縦に大きいところも引き継いでいて、目が大きい。

まつ毛もわたし伝授でとても長い。将来エクステはいらない。

と、客観的に美形の条件が揃っているけど、本人は3歳だから美的な客観性をまだ理解していないから、わたしが「かわいいね」と言うことから自分がかわいいと思っている。

「かわいいから悪くない」

しかし、すごいセリフだ。

これって究極の耽美主義。

美は何をやっても罪にならないなんて、耽美小説になりそう。

とはいえ、そんな勘違いのまま大きくなるのも困るので、少しずつかわいいと良し悪しは論点が違うことを教えよう。今は説明しても泣きながら自分は、

「かわいいから悪くない!」

と言うだけだから。

しかし、明るく元気よく挨拶することはいいことかもしれないけれど、静かに、沈思したい性格にとってはノイズでしかない。

と同時に、それは性格の暗さにもつながるのでやっぱり悪い側面もある。

社交的か、内向的か。

社交的な性格は営業が上手かったりと利点がある。一方、内向的は何かに対してじっくりと深く考えられる利点がある。

だから、開発職と営業職は違うわけで、それは両軸となる必要がある。

ともかく開発したり、エンジニアだったり、職人だったりすると愛想の悪いところがあるもの。

トークが達者な職人なんて気持ちが悪い。

ただね、あまりに無愛想で、挨拶もできないっていうのはあまりアドバンテージがないので、3歳児には挨拶するんだよとクルマで教えた。

すると、今日は下駄箱でがむしゃらに「おはよー!」なんて叫んでいた。友達にも「おはよう」と言ってじゃれ合って遊んでいた。

自分が内向的であるがゆえに、構われることが憂鬱になるなんて馬鹿らしい。相手は悪気はないのだし、自分が勝手に現象を悪く捉えているだけなのだから。

一つの現象は人それぞれの受け取り方で見え具合が違ってくる。

どうでもいいことが嬉しいことになり、嫌なことにもなる。それは単に自分がそう思い込んでいたり、自分勝手にそう見てしまっているだけなことが多い。

ウイルスがあると思ってマスクして怯える人もいれば、マスクしても無駄と知ればマスクなしでも心配することがない。

怯える人の心は暗く、心配のない人の心は明るい。

そんなこともこれから3歳の子にも教えていかなくちゃいけないんだよね。

それを小さな頃から知っておけば、くだらないことで悩むこともないし、ポジティヴに生きていける。

世の中、そんなに悪いもんじゃないんだよ、実は。

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