結月でございます。
着物に限らずだけれど、モノには安いものから高級なものまでいろいろある。モノによっては安物で十分な場合もあるし、その反対もある。
着物について言えば、安物なんか着ないほうがいい、とわたしは思う。
観光地でレンタルされているようなポリエステルの変なものやリサイクルで買った古着とか、そんなものをわざわざ手間をかけて着る意味がわたしにはわからない。
着物は洋服よりも目立つ。それは反物という平面を仕立てているから、人に見せる表面積が広いせいもある。
さらに重ね着で、帯を締め、さらに帯揚げや帯締めといった小物もあるため、やっぱり目立つ。
目立つから魅力的だし、着てみたいと思うのだけれど、これが安物だと安さが目立ってしまってみっともない姿になる。
今は着物そのものに詳しい人が少ないから、安物を着ていてもわからないかもしれないけれど、それでもちゃんとした染めの着物と比較すると雰囲気がまったく違うのですぐにわかってしまう。
今の成人式の振袖姿が薄汚く見えるのは、振袖そのものが安物だから。本来、振袖は貧乏人が無理して着るようなものでないのだけれど、猫も杓子も着るから安いものが作られ、レンタルされ、ということになり品質の低下がひどい。それでもボッタクリのような値段でレンタルされているのはもっと問題だけれど。
着るひとの中身というか、着るひとの貫禄というか、どの程度の人間であるかというのは大変重要で、中身のないひとが安物を着ると、もう見ていられない有様になる。
文化がない、知識がない、教養がない、金がない、となるとそれらは育ちとして雰囲気ににじみ出てしまう。
それが今の成人式であって、親の世代も振袖の良し悪しを知らないから光景としてひどいものになる。
リサイクルの着物で図案は時代錯誤で、色も時代にそぐわず、それだけでなく色褪せ、寸法もあってないとなると、着ているだけでビンボー臭ささがプンプンしてしまって見るに耐えない。
どうして自分を情けなく見せるものをわざわざ着るのだろう?と思うけれど、それは無知だから着てしまう。
わかっていたらあんなものは着ないはずだから。
だから無知とは恐ろしい。
とは言え、これも長く続く景気の悪さのせいだとも思う。文化とは金回りが悪いと衰退するものだから。
十分な可処分所得があれば、リサイクルなんて買わないだろう。新品を買うに決まっている。
だから、今、リサイクルを着ているひとは、何か言い訳がましく着ているような気がする。単に金がないということを正当化しているように思える。
しかし、安物買いの銭失いというのは本当で、安いリサイクルでも数を多く持てば、新品が買えるのに安物を買い漁る。
それは波動であって、そういうモードなんだと思う。頭が安物モードになると、品質ではなく、プライスで買い物をするようになるから。
何が必要で、どういうものがいい品物かという観点がないからそうなるわけだけれど、なぜそこを考えないのか不思議に思う。
着物を着たくても金がないなら、金を貯めてからしっかりとしたものをひとつ買えばいい。なぜ、目先の欲望を満たすために安物を買うのだろう?
自分のことをいかに大事にするか。そういうことだと思う。
自分を大事にするなら、目立つ衣装で安物を着ると自分がビンボー臭く思われてしまうからそれは避けようとするはず。しかし、そうしないのは自分の浅はかな欲望をすぐに満たしたいということか。
いやいや、やっぱり文化なのかもしれない。
文化がないから、品質の善悪がわからないのだろう。
一口に言って、幼稚なのかもしれない。
物欲として幼稚。
非日常の着物にどうして安物を着るのか? 安物は日常的なものでいい。
せっかく手間暇かけた着物姿が、みすぼらしくて、みっともないというのはいいことだとはわたしは思わない。
ただ着物業界は安物なのに高額なプライスをつけているところが多々あることが問題なのだけれど…