結月でございます。
文芸書が読まれなくなって、ハウツー本とか自己啓発本ばかりが書店に並ぶようになってすでに何十年も経っています。
でも、もしかしてこれから文学や文芸書が復活してくるんじゃないかって気がしてきました。
というのは、今はネットで活字自体はものすごく溢れていて、読まれる量も増えていると思うんですが、どれもわかりやすく書けていても似たり寄ったりで、文章そのものにまったくと言っていいほど個性がないんですよ。
ライターの書く文章が画一化してきたんでしょうね。それはコピペ記事が氾濫していることにも理由がありますが。
ネットが出だした頃は、文章は下手でも個性的であるものがたくさんあったけれど、今はとても整理整頓されて、読みやすいものが増えてます。
旅情報とかグルメ情報とか、あとはビジネス関連とか、書き方のフォーマットがあるかのようにどれも同じような文章ばかりなんですよ。
で、そういう文章って、便利には違いないけど、おもしろくはないんです。読んで味があるっていうことがないので、ラベルはちゃんとしていて、飲んでも味のないミネラルウォーターみたいな。
この現象は映像もそうなんですよね。映像もこう撮ったらちゃんとこうなるっていう撮り方って随分昔から確立されていて、それに倣ってみんな撮っているって感じで。
YouTuber の動画が人気なのは、そういうフォーマットから外れているアングラだからなんだと思うんです。下手だけど、個性的みたいな。
ただトップユーチューバーも洗練されすぎちゃうと自分のスタイルがフォーマット化してしまい、だんだんおもしろくなくなってきてしまう。
ともかく、ネットで掲載されるライターたちの文章がコモディティ化していて、活字を読んで感動するっていう体験がなくなってきました。
同じようなものがこれだけ拡散すると、人間ってその逆を求めたくなります。
文学が売れなくなったのは、それまでは文学が売れていて、その逆のハウツー的な情報が乏しかったから。だから、逆転現象でハウツーが売れ始め、文学が廃れていったわけです。
とにかく、わかりやすいけど味わいがないものばかり読まされると、毎日カップ麺を食べてるみたいにだんだん飽きてくる。ちゃんとした手料理が食べたくなってくる。
そういう意味でこれだけライターの文章がネット上でコモディティ化して蔓延すると、文学的なもののニーズが出てくると思うんですよね。
そして、文学的なものの強みって、真似できないところにあるんです。コピペでは文学にならないから。
真似できないオリジナリティ。
似たり寄ったりな情報ばかりのネットって、便利だけど結局自分に何も残らないからね。