結月です。
すごい実業家とか、早々と引退して自分の好きなことをやるってのをよく見かけます。
実業家だから好きなことで事業を始めたんじゃないかって思うのにそうでないのかな?
と思うのですが、つまりそれは好きなことや得意なことを事業にしたはずなのに、事業が大きくなると会社組織になってそれをまとめたり、部下に指示出したり、できない社員にも給料は払わねばならず、そんな責任を負ったりするうちにそれはいつしか好きなことでなくなってしまっているのでしょう。
だから、創業者ほどもう肩の荷を下ろしたいと思うのが引退であり、サラリーマンの場合は内容が違って定年退職になります。
雇っているほうと雇われているほうでは生き方の性質がまるで異なるので、やっぱりサラリーマンは引退ではなく、退職ですね。
で、自分で事業を興したひとは引退しても、結構エネルギッシュにいろんなことをやるのは、主体的に生きるからでしょう。
一方、サラリーマンは定年退職すると第二の人生とか言いながらも、会社がなくなると途端にやることがなくなり、家でゴロゴロしていたり、朝から酒飲んでいたり、そして連れ添った女房に愛想を尽かされたりする。
ちなみに定年後のサラリーマンといえば、男というイメージなのは、今、定年を迎える世代は団塊世代やそれよりちょっと若い世代なので、その時代のひとたちは男が外で働き、女は家で家事かパートという価値観で生きてきたからです。
ですが、今は女性も普通の働いているので、あと20年後くらいすると、定年退職後の生き方は女性にも大きく降りかかってきます。
わたしは男にはほぼ関心がなく、だから付き合いも女のひとばかりで、仕事も女性限定のことをやっているので、「現役世代の女性の今後」というのをかなり危惧しています。
それはなかなか悲惨な風景なんじゃないかと予測するからで、女性びいきのわたしはとにかくそうならないようにうちに来る方にはいろんなことをアドバイスしていたりしてます。
つまり、日本女性というのは長い男尊女卑の中で歴史的に生きてきたせいか、自分で物事を決定するという主体性がとても乏しいんです。それは家庭では亭主や父親が決定権を持つ中で育ってきたことが影響しているでしょう。
そして、極端に横並び意識が強く、女性だけの間では突き抜けようとしません。ちょっと前に幼稚園や小学校の運動会で一位を決めずにみんなで手を繋いでゴールというのは、これは女性教員の発想であろうとわたしは思います。
とにかく、日本女性の横並び意識はきっと海外から見れば病的にすら見えるものでしょう。何かを決定する際に、はっきりとしないモヤモヤとした擦り合わせがなされ、どこにも責任が生じないように分散され、個人に意思決定らしさがない。
海外で活躍する日本人女性が見当たらないのは、そういう習性によるものではないでしょうか。
だから、日本国内でもこれだけ女性の社会進出が自由になっているのに、女性の先導による事業など数少なく、会社での地位は男性より低いままです。
それは会社や社会が悪いというよりも、日本の女性の意識がまだ主体的でないからだと思います。
原発事故や政治を見ても責任の所在をはっきりさせず、うやむやにして責任が海に流れる放射能のように拡散して突き止めることができなくなる、というのはとても日本的です。
しかしそれは男たちが担っていることでも、実は日本女性的なところに根源があるのではないか?とわたしは考えていて、つまり日本という国は天照大神があるように女性的な国だと思うわけです。
ところが時代は完全にグローバルに切り替わって、それと同時に80年代活躍していた日本企業が軒並み世界の舞台からランクアウトしてしまうのは、グローバルという場面では主体性の乏しい日本女性的横並びが通用しないからです。
主体性がないとなぜ困るかというと、それは交渉できないからです。
自分とは違う他者と関係しながら生きていくには交渉力がないと苦しい。でも、交渉するには主体性がないと自分がどうしたいかを伝えることができない、それどころか自分がどうしたいのかもわからないというのが現状かもしれませんが。
交渉力がないと騙される。交渉力がないと相手に合わせる方向にしか生きていけない。
日本の就職活動が相手(会社)にいかに自分がすり寄って、そこに合わせていくかがテクニックになっていて、そこには主体性はありません。このような就活では当然、ブラック企業がなくなることはありません。
さらに日本は女性の貧困率が男性より高いですが、それは賃金差などの原因もありますが、そのさらに根底にある原因は主体性のなさにより交渉力の欠落にあると思います。交渉力がないから賃金が低い。
で、この10年ほど女性にスポットが当たって、女子力とかいろんなことが言われていましたが、10年経って、結局女性はそれほど活躍していません。
女性にスポットが当たったのは女性を消費者としてのマーケティングだったのであり、それは日本女性が主体的に生きることを目的にしたのではなく、どう女性に媚びれば儲かるか?というところに女性が踊らされていただけです。
だから、当の女性も主体的に行動できるひとは増えてもおらず、社会はそこまで変わっていません。
ともかく、グローバルで国家レベルで日本の地位はどんどん落ちているので、そうなると内需も落ち込みます。
今までは企業に外国で稼ぐ力があったから、それを内需に回せたのが、現在は外で稼ぐ力が相対的に落ちているので内需は回りません。
でも、容赦なくグローバルの合理性は世の中をどんどん変えていく。
現在進行形でそうなっているのに日本女性が主体性のないまま意思決定でいない人間でいると、当然、将来は危ないのではないかということになる。
それは今の女性現役世代が定年退職した後の姿です。
主体性なく、与えられるものの供給を待ち、こなす生き方をしているとそうなったとき困る。
最終的には自分の力しか頼れるものはないので、事業を興せるような主体性と行動力があればなんとかやっていけます。
最初に述べた実業家の引退後は、会社的な束縛のないという意味で好きなことをやって生きていけるのは、事業を興せる人間は当然、主体性があるからです。
主体性がなく、横並びという生き方はおそらく将来、破綻するはずなんですよ。