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敬老の日って何すんの?

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結月でございます。

今月に単独で奥日光の社山に登ろうと思っているアタシは、自身のクソすぎる体を山仕様にするためにエクササイズ中。

ジムに通うとかそんな愚かなことはしない。

ボディービルみたいにある特定の筋肉をつけるとかならそういう施設も必要かもしれないけれど、ハムスターがするみたいなランニングマシーンとか、前に進まないサイクリングマシーンとか、どうして外で普通にできることをわざわざ金払ってやるのか、アタシにはわかんない。

と、思い切りジムにとっては営業妨害なことを言いつつも、一番良くないのは運動不足で食っちゃ寝することなので、何にもしないひとで不健康よりはジムに通ってでも体を動かすってひとのほうがやっぱりいいに決まってる。

軟弱文化系路線で生きてきたアタシはとにかく運動系がダメでどーにもこーにもならないんだけれど、総じて文化系は軟弱体質が多く、肉体系は文化系に弱い傾向がある。

要は人間は何に多くの時間を投入しているかで決まるのだからそれは当たり前で、高校野球児みたいに朝から晩まで野球ばかりやっていたらドストエフスキーの小説を読んだりする時間はないだろうし、ドストエフスキーの小説を読んでいたら野球なんてやる時間はない。

両方に秀でているというのは古代ギリシアの理想であっても、24時間しかない中で両方というのはやっぱり無理。

それを克服しようとした文化人は三島由紀夫くらいなもので、だいたい文化人なるものは虚弱体質だったり、アル中だったり、理屈っぽくはあるけど肉体感覚が乏しくて、不健康なくせに口うるさいなど、そんなもんです。

テレビのコメンテーターなる偉そうなひとたちは得てしてそういう傾向が強い。

とはいえ、元スポーツ選手がコメンテーターとして出ていたりすると、

「う〜ん、やっぱこの人、スポーツしかやってこなかったんだ…」

と、運動系は頭が弱いという風評被害を撒き散らすようなおバカなコメントをしてしまったりする。

さて、虚弱体質ではないけれど、体力、筋力などなど自分という人間の物質分野が弱すぎるアタシは山登りのために今日も朝3時から自転車でトレーニングをした。

それは朝3時に起きていたからで、起きている時間がもったいないと思い、そうなると無性に走りたくなった。こんな時間はエクササイズをしないと無駄になる。

しかし、いつも走る荒川サイクリングロード(金八先生ロード)は陽が出てないと真剣に真っ暗闇でデンジャラス。

強力なライトがないと前は見えないし、低級憑依したような愚連隊が屯ろしていたり、それ以前に霊的にその時間の、そういう場所は良くないからヤバすぎて行けない。

でも夜明けを待つとなると2時間はかかる。そんなに待ってられないから、市街地を走ることにした。

最終的には国道4号線を走っていたけれど、ほとんどクルマは走っていない。

そんなわけで約1時間のロードワークをこなした今日はふくらはぎが筋肉痛になっている。

今日は自転車のギアを一番重くしてずっと走っていた。

その踏み込みの感じはまさしく山登りと同じであり、アタシはチャリのペダルを踏み込むたびに奥日光の山々の斜面を思い描いていた。

有酸素運動的にはギアを中位にして、ある程度の回転数があった方がいい。しかし、今回は山の登りを想定してギアを重くした。これは基礎体力よりも筋力トレーニング。

荒川サイクリングロードだと信号がないので、ずっとペダルを回し続けることができる。しかし、市街地は信号があるので度々止まらなければならないので、回転数を落として筋トレモードにしたわけ。

とまあ、これから10日ほどエクササイズを続け、今月下旬くらいに単独で登ってみて、さらに10月に入れば結美堂山ガール部の平日参加できるメンバーで早朝4時に東京を出発して日帰りで社山を登る。

ところで。

今日は敬老の日らしい。敬老精神がまったくないわたし。

敬老という概念はおそらくは儒教からきているものだと察するけれど、それももう時代遅れかな、と思う。

今は老人は老害というイメージのほうが強いから。

どうして老害と言われるようになったかというと、デジタル化して時代の変化が恐ろしく速くなったから。

つまり、昔のように変化が遅い時代だと長く生きた人間の経験が熟成したものとして生かされたわけ。ところが今はWindows95なんてまったく使えないように古い知識や経験はまるで役に立たない。

役に立たないのに古いひとが会社の役員だったりすると、iPhoneですらⅩの新製品が出る時代にWindows95的なことを言われると大変困る。

それに人間は何も考えずにただ年をとると、視野が狭くなって頑固になり人の話は聞かなくなって、おまけに体は動かず介護を必要として大変迷惑な存在になる事実が社会で認知されるようになったから、とてもじゃないが老いた人間のどこを敬えっていうの!?ということになっている。

しかしながら、この流れは変えようがなく、高齢者を、

「この老害!」

って言っているひとも、自分で生きていく意思が乏しかったり、自分の人生を時代に合わせて積極的にデザインしていく力がないと、自分も近い将来老害化して社会から要らないって言われる人間になってしまう。

兎にも角にも、敬老の日なんて概念があまりにも古いのにわたしのスマホにはヤフーマップから、

「敬老の日は近所の花屋へ」

って案内が来ていて、お礼のために花を買おう!とある。

「はっ!? 意味わかんないですけど…」

年寄りに何のお礼をするんだろう? 今の日本を築き上げてくれたことへのお礼? そんなこと言ったら、若いひとだって今の日本で仕事していてリアルタイムに築き上げてるけど。

それに日本は高齢者には実に手厚い政策がなされていて、若い世代が干されているところがある。

将来性のあるところに投資しないで、将来性がないところに金使ってる。

いや、高齢者を切り捨てろって言っているわけじゃなく、バランスが極めて悪いんだよね。社会的弱者ってどう考えても若者なので。

でもさ、やっぱり高齢者の古い価値観がのさばっているのは良くないと思うよ。買い物は現金じゃないと不安とか、そういう古臭いものがキャッシュレスを妨害しているとかね。

今は10年違えば、かなり違う。

今からだと2008年頃の考え方は通用しなくなってる。そう考えると、あなたも古いかもよ、多分。

人間って自分が年をとってるってあまり実感がない。特に30代、40代とか現役で生きているとなおさらだと思う。

でもね、10年間、仕事とかでも何も変わらず、ずっと同じってひと、もう使えない人間に仲間入りしていると思う。老害化が進んでるよ。自分の上司の悪口を言えないかも。

結局「敬う」っていうのは、相手の年齢など関係ない。敬える中身があるひとであるなら誰だって敬えるし、それがないならただ年取っただけのひと。

単に古臭いっていうのは、何をやっても敬ってもらえる対象にはならないんだよね。

じゃあ、どうすれば古くならないか?

それは自分を常にアップデートするしかない。これはホント、OSと同じだから。

だから、今の30、40代ってWindows95的な老害に困っているかもしれないけど、そういう自分は下手したらWindowsVistaくらいかもよ。もう十分古いって。

こんなことを言うのは、わたしもそうならないように自戒しているわけでね。骨董的価値のある古さなら良くても、ただ古いだけっていうのは本当に使えないから。

でも、大江千里の記事を読んで、この人、すごいなって思った。

bunshun.jp

ルックスは驚くほどオッサンになっていて、あの頃のイメージが強すぎるわたしはちょっと驚いた。でも、過去の自分を否定して、自分にとって新しいものに挑戦している。

こういうことが自分をアップデートするってことなんじゃないかな。

もう敬老の日なんて廃止したらいいのにね。アップデートなしにただ年を取っただけの人を敬うって無理な話だから。

 

 

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