結月です。
一昨日の早朝から栃木に出かけたのは、愛娘シャンシャンを通わせる認定こども園の手続きをするため。
栃木の田舎なのに保育施設がどこもいっぱいで、片っ端から電話をして唯一、そこだけが受け入れ可能だった。
これはとても幸運だったと思う。
しかも来年度からでなく、すぐに入園オッケーとのことで、これを逃すと来年度も危ない状況だった。いや、現実的に入園は無理だったと思う。
それくらい保育施設が足りていないというわけで、待機児童の問題は言われ始めてもう随分時間が経っているというのに日本はこれを全く解決していない。
つまり、日本って国は、未来に対してコストをかけたくないってことでしょう?
いや、選挙対策的には例えば、来年の10月から保育料が無償化されるとか、結果的に自民党はリベラル政党っていうのはいいとして、制度的なことはやっても、保育所を作るとか、メンドーなことは真剣にやらない。
確かに保育所を作ろうと思ったら、土地を探して建物を建てて、保育士を募って、そして経営して行くとなると、これは行政的にもかなり大変。だからやりたがらないのはわからなくはない。
さらに保育園の子どもの声が騒音とされる時代だから、都市部に保育所を建設するのは難しい。それにある程度の敷地を確保するとなると、東京都内じゃ不可能に近い。
せいぜい小さなフロアで経営する程度の保育園くらいだから。
しかし、栃木の田舎でも保育施設が全然足りてないからね。土地がいくらでもあるのに。
ともかく、幸運にも認定こども園に空きがあり、さらにそこは良さそうなこども園だったのでとりあえずホッとした。
手続きのために書類を用意したり、それを持って市役所に確認に行ったり、さらにこども園にそれを届けたりと、シャンシャンが誕生以前はずっと結美堂時間で生きてきたわたしがシャンシャン誕生後は保育園を訪れるという「らしくない」ことをやっている。
でも、「らしくない」ように思えても、シャンシャンが可愛いものだから、これは苦にならないのが不思議なもので、まあ、そんなものなんだろうな。
シャンシャンが生まれてから、とりわけハイハイするようになってからわたしも変わったと思う。
乳児の段階はどうして母親べったりなものだし、自分で動かないものだからどうにもなんないんだよね。ところが動いてくると状況が変わってくる。
そうなると結美堂時間が侵食されて、シャンシャン時間が多くのなってくるわけで、要は今までになかった時間が増え、つまり初経験なことによってわたし自身もすごく変化している。
わからなかったことがわかるようになってくるのは、例えば電車でベビーカーを押すのがいかに大変かということなど。
そして、今までは自分のことだけ考えていればよかったものがそうでなくなってくる。小さな子供を見て、これはちゃんと教育して行かないと、人間ってのは、とんでもないことになるっていう危機感も覚えてきた。
その一つに保育園に通わせねばという思いがあり、それは母親を育児から解放するという意味合いだけでなく、母子だけの環境がいかに教育的に良くないかがわかったから。
それは親が悪いというより、その価値観だけしか知らずに時間を過ごすことが将来にとって良くないということ。
まだ2歳になっていなくても同じ子供達と人間関係はあったほうがいいし、母親以外の大人、例えば保母さんとも付き合うべきだろうと思う。
おそらく一般的には育児負担を軽減するための保育園という捉え方だと思うけれど、大昔のように近所づきあいもない時代だから、子をいかに母親から離すかということを考えたほうがいい。
育児負担の軽減は親のためであり、しかし肝心は子供の将来をいかにしていくかという子供のための視点がほしい。
その視点で結果的に育児負担が軽減されればいいのではないか。
と、そんなことを思って、慌てて保育園を探したら、認定こども園がひとつだけ空きがあり助かった。
しかし、栃木の田舎で、本当に田舎の風景の中にあるこども園で、この環境も東京よりいいと思う。
やはり小さい頃は、自然に触れさせるのがいい。東京の住宅地の中や雑居ビルの間にあるような保育施設では伸び伸びとできない。
豪華に遊ぶ場所もないし、あまりにも窮屈すぎる。ダイナミズムを得られない。
いろんな分野で東京出身の人にそれほど大きな成功者がいないのは、その理由もある気がする。
小さい時は、都会のちっぽけさに収まってはいけない。自然がある中でダイナミックに走り回るべきだ。それに都会は神経質すぎる。子供が神経質であることを学んでどうする?
ともかく、田舎の自然の経験をもって東京に来るべき。逆に田舎にずっと居続けることは良くない。なぜなら、仕事のダイナミズムは消費が一番大きい都会に集まるから、大人になれば田舎生活はちっぽけなスケールになる。
さて、そんな風に文字通り刻一刻と成長して行くシャンシャンを見ていると、まるで波乗りのように次々へと波を読んでいくような気分。
それでも子供なんて狙ったようには育たないから、狙うことはないけれど、ただ根源的にこのままじゃいけないってこと、これはやったほうがいいってことを察していくのは必要だろうね。
なのに保育園に入れないとか、実質的にどうしようもない事情っていうのは、ひとつの悲劇だと思う。
こればかりは個人の力でできないものなのだから、国や行政が真面目にやんなきゃいけないんだよ。
いろんなしがらみや「事情」でできないのはわからなくはないけど、やらないといけないんだよ。
それは未来への投資だからね。