結月でございます。
先日は、奥日光へ結美堂山ガール部として登山に行った。登山後のビールや食事はとてつもなくおいしく、食というのは舌の上の絶対価値を求めるのではなく、どういうシチュエーションであるかが「美味しさ」に関しては最大条件だといういわけです。
ところでそんな饗宴の中、わたしの席の向かい側にある家族がいた。
それは小さく背骨も曲がった老女とその息子夫婦であろう推定50代、そしてその娘はセミロングで浴衣がよく似合う高校生ほどの年齢。
お盆休みということで、母を奥日光へ誘ったのだろう。
わたしはそれを見て、
「こういうものなんだな」
と思った。
老女はもう先は長くないだろう。悠に80歳は超えている。息子からすれば、孫と一緒にという気持ちなのだろうが、その髪もすでに白い。
老女は自分の役割を終えていることを知っている。箸でゆっくりと料理をつまんでいるその姿を息子夫婦は見ている。
このホテルはわたしのお気に入りだから、わたし自身、過去に2度、母を連れてきている。
愛娘のシャンシャンはまだ生後1年7ヶ月。シャンシャンが高校生になったときは、わたしたちもあのような風景になるのだろうか。
それはわたしも経験していることだった。
祖母が生きているとき、中学生の頃だったか、高校生の頃だったか、あの家族の中の孫のように祖母からは少し離れて食事をしたことがある。
関心があるようで、無関心でもある祖母の存在。
年を取ると、要は何もせずに生きているので存在感が乏しくなる。「ただいるだけ」に思えてしまう。
役割を終えた、とはそういうことだろう。
わたしの母だって、今はまだシャンシャンを連れて行けば、面倒を看てくれる。しかし、シャンシャンが高校生になったときは、「ただいるだけ」になっているかもしれない。
そして、先はそれほど長くないと悟ったわたしは、家族で奥日光へ行くのだろうか。
もっと時間が進み、シャンシャンが40歳になったとき、わたしは役割を終えた人間として、背中が曲がり、シャンシャンに誘われて奥日光へ連れて行ってもらうのだろうか。
「小さい頃から、ここに連れてきてもらったよね」
なんて言われながら。
これは哀しさなのだろうか?
そうやって世代が変わり、人間は順番に死に、順番に生きていく。
わたしに親がいなければ当然わたしは存在しないし、その祖母や祖父がいなければ親がいないのだからやっぱりわたしは存在しない。
そうやって家系図は広がっている。
あと80年も経てば、あんな小さくて可愛らしいシャンシャンが、奥日光で見た老婆のようになっているのだろう。
ひとの生は、壮大な物語。
ひとはすべて死ぬ。
自分の価値は軽いようで重く、重いようでその程度のものかもしれない。