結月でございます。
8月の下旬に結美堂山ガール部で男体山に登り、脱落者は出さずに全員登頂に成功したけれど、わたし個人の話では、あれは敗北だったんだと思う。
登れたと言ってもタイムは散々だし、下山途中からすでにグロッキーだし、挑戦された山のほうから見れば、
「お前、遅すぎ。出直してこい」
という感じだろう。
男体山は急斜面といえども、男体山であのタイム、あのグロッキーでは女峰山など登れるわけがない。
日光三山はあと太郎山もある。実力的には三山制覇は程遠い。
栃木に来てから元から弱い足腰はさらに弱くなっている。それは先日、久しぶりに北千住駅を歩いてわかった。
東京にいる頃は毎日歩いていた地下鉄の駅もたちまち脚が痛くなる。
それは田舎では移動がクルマになるせいで、田舎のほうが運動不足になる。
そんな状態でも女峰山には登りたい。男体山も敗北意識がなくなるくらいに軽くこなしてみたい。
しかし、男体山は冬の閉山期に入っている。
社山に単独でまた登りたいと思うも愛娘が保育園に行っている間に奥日光まで行き、山を登り切るスピードもないしでなかなか叶わない。
でも、不思議なのは男体山であんなにグロッキーになったというのに時間が経つとまた登りたくなる心で、こんな愚かさが自分にあるとは山登りをするまでわからなかった。
さて、女峰山を気にかけつつ、日光の歴史を調べたりしている。
歴史的な資料はそれほど多くなく、さらに山岳信仰に関わる宗教的な記述が大半だったりと、史実としては眉唾なものが少なくない。
とはいえ、わたしが興味あるのはその霊的なもので、なぜあの場所があれほど霊的であるかが知りたい。
そのような検証は無論なされていなくて、要はなぜ奥日光は山岳信仰が生まれるほど根本的に霊的な力のある土地なのかということ。
何度も奥日光に行ってそのたびに霊的なものを感じているけれど、その根源となるものはまったくわからない。
つまり、山岳信仰による宗教的史実もその根源からの人間の行いの結果に過ぎない。
その謎が知りたいから、本当は奥日光に住みたくて、毎日そこにいればわかってくるのではないかと思う。
とはいえ、保育園の送迎がある身としては奥日光に住むことはできず、あと15年待って愛娘が大学に行く頃まで辛抱するしかない。
それまでは日光に行ける時は行って理解を深める調査はしようと思う。
そんなわけもあり女峰山に登りたいのだけれど、体力的にまだまだ無理という歯痒さ。
しかし、女峰山は登頂に成功すれば男体山以上に感激するだろう。男体山のようにレジャー化していないし、あの形状がなんとも寒々しい美しさがあって、容易に寄せ付けさせないエッジがある。
そんな女峰山に結美堂山ガール部はいつ登れるだろうか?
でも、予想より早く男体山に登れたのだから意外と成功は近いかもしれない。