結月です。
ええっと、着物に特化した「着物の着付けと着方.com」に半衿の記事をアップしました。
動画と合わせて、テキスト記事ではこちらのサイトで着物情報を掲載していきます。
さて、インターネットのことを日々考えていて、それは自分がネットで着付けや着物のことを配信しているからなのですが、ネットはネットが生み出した環境によって自らを変化させている生き物のようなものなんですよ。
まずインターネットが根本的にどういうものかを知るにはこの本がオススメです。
糸井重里が書いたものですが、これは名著ですね。ネットがまだ出始めの時に書かれたのにネットの本質をズバリ捉えていて、内容が古くなりません。
ネットの仕事をしている人は読むべきだし、これを読んでない人とはネットの仕事を一緒にしたくない!って思うくらいです。
実を言うと、わたしは昔はネットがすごく苦手で、というか好きではなく、アナログで古臭いものが好きな古臭い人間でした。
そのくせ自分のホームページを持ったのが会社をやめて独立したときなので、ざっと17年間はネットで仕事をしているっていう事実に今更ながらに気づきました。
でも、ネットを通じてはいても、ネットの本質を捉えて仕事ができていたかというとまったくそうではなく、ここ数年でようやくかな?という程度な気がします。
つまり、媒体はネットであっても、その根本にある考えが紙媒体的なものだったりして、要は形だけネットで中身はネットじゃないってものでした。
しかしながら、中身はインターネット的でないネットをしている人が大半なんじゃないかって思います。
電子メールからLINEなどになりつつも、そのやり取りは紙でやり取りするのと内容的には大差はなく、違いといえばそのスピードだったり、即効性くらいなもので人間がコミュニケーションを取っていることはアナログ的なわけですから。
通販サイトにしたって、商品が店頭に並んでいるのが現物なのかモニター上の写真なのかの違いくらいで、モノを買う行為はネット以前とそれほど変わりません。口コミ機能があって、購入前に多くの口コミを見ることができるのはネット的かもしれませんが。
FacebookやTwitterがあり、人と人との交流は大規模なものになったようにも思えます。
なぜなら、フォロワーが何万人とかいる人がいて、それはネット以前には万単位の人に情報を流せることはベストセラー作家にでもならない限りは無理だったので。
評価経済って言葉も出てきて、フォロワーを多く持っているところに価値があり、そこにビジネスを落とし込むというやり方にもなってきました。
要はインターネットは広く、広く、広くというベクトルに進んでいきます。
しかし、一見するとものすごい数のフォロワーがいても、本当のところはどこまでちゃんとつながっているのか? それを考えるとなんだか怪しく思えてきました。
つまり、フォロワーの数が影響力という路線は今も続いていますが、
「本当かな?」
って気がするのです。
あまりにもネット上の数に惑わされていて、そこにとらわれすぎているのでは?と思ってきたわけです。
数だけ多くて、実際にそんなに影響力があるものなのだろうか? もちろんあるにはあるだろうけど、本当に真摯に人間付き合いを築けることがどれくらいあるのかなって疑問に思い始めたんです。
おそらくはフォロワーがとてつもなく多くても、本当に自分のことが伝わって、理解してくれている人、そんな人って全体の10%もないんじゃないかって。
今までともかく広げることばかりにとらわれすぎて、本質的なところを見失っているんじゃないかって思うんです。
結局、助けてくれたり、手伝ってくれる人って、コアな付き合いができている人であって、ネット上ではつながってはいてもほとんど関わってない人は数多くいる。
それってなんか意味があるんだろうか?
ゼロではないにせよ、そこまで大きな意味はないかもしれない。
つまり、大事なことって、表向きなフォロワーの数や登録者数ではなく、リアルにちゃんと付き合える人がどれだけいるかってことなんじゃないかって。
そういう当たり前のことをFacebookやTwitterのようなSNSのシステムによって気づかなくなっていたのかもしれません。
連絡ツールとしてそれが機能していればよく、手書きで切手を貼った手紙だと遅すぎるし金もかかるから、そこはネットを通したほうがいいけれど、本当のところはちゃんと手紙を書けるような相手がどれだけいるかってことなんじゃないかな。
ネット的に広く広くを求めすぎて、自分にとって大事な人を作る、大事な人のことを心配する、大事な人といい関係でいられるようにする、そういうことが忘れられてたのかもしれません。
ネット以前に戻るのではなく、無名のフォロワーを闇雲に広げるのではなく、コアな人を、大事な人をネットを通じてつながり、その人に対して自分が何ができるかを考えること、それをサービスにすることがいいのではって思っています。
そう思うようになったのは、いろんなきっかけがあるのですが、十何年も自分で仕事をしてきて、まだ結美堂に来てくれたり、イベントがあれば来てくれたり、ちょっとしたことを手伝ってくれたり、他の店でなく結美堂で必ず買ってくれたり、途切れずずっと付き合ってくれている人が一番大事で、そんな人たちを増やして、そしてそんな人たちが喜んでくれるサービスをやるのが一番いいんだって思ったからです。
それはキモノ会をやるときに、わたし自身が好きでないレンタル着物やリサイクルの古着を受け入れるかどうかと悩んだからです。
着物をたくさんの人に着てほしいという思いがあって、間口は狭めず、なんでもウェルカムでやったほうがいいか悩んだわけです。
ウェルカムで受け付けるなら、ネット的に広く広く、フォロワーを増やすようなやり方だと比較的容易に集めることはできます。でも、「広く広く」は同時に中身は「薄い薄い」だから、自分と違う方向性の人たちを数だけ集めても何か意味があるのか?って思いました。
表面上は賑やかかもしれないけれど、それをやって自分が大事だと思う人たちが喜ぶかとなるとそうじゃないって。
だからこれからインターネットは匿名でただ広げるのではなく、自分にとってコアな人を見つけ、いい関係を築いていくっていう狭くっていうより、濃縮したものに移行しなきゃいけないって思い始めました。
ただ広げることに本当は価値がないし、虚像であって実はビジネスにもなっていない、虚像なのにそこに価値や利益を求めて投入することっておかしいんじゃないかって思うんですよね。
数だけあるようでもそれは虚像。
もっと本当のリアル、ネットで虚像のリア充を見せることでなく、もっと純粋な人間関係、それを作るためのインターネットがこれからなんじゃないでしょうかね。