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高橋巌先生が亡くなる。

結月です。

わたしは一時期、ルドルフ・シュタイナーをかなり読み込んでいて、その難解な人智学は老後になってやることが何もなくなったらじっくりとライフワークにしようなんて考えていた。

シュタイナーの翻訳を言えば高橋巌先生で、東京や京都でシュタイナーの講義をやっておられた。

東京の講義にも行ったがちょっと雰囲気が自分に合わず、吉祥寺まではほとんど行かなかったが、定期的に京都でやられる講義は自分にマッチしていたので、講義のためだけに京都まで行くこともあったし、実家に立ち寄る日程を合わせたりして高橋先生の話を聞きに行ったものだった。

高橋巌先生は話し方や物腰がとにかく上品で、ひっそりとしていて、それでいて人文知が溢れていて、わたしにはとても魅力的な人だった。

講義の合間の休憩時間にシュタイナーやニーチェのことを質問しに行ったりと、先生の前では懐かしく学生気分になれた。

京都から講義の案内ハガキが来なくなったので、おそらくはもう講義をやられていないだろうとは推測していた。すでに高齢で、わたしが通っていた頃も80代で、健康そうではあったが流石にもう講義をするには厳しいのではないかと思っていた。

先月、95歳で老衰で亡くなったとのことで、90代になっても講義はしていたということになる。しかし、途中、コロナもあったのでその数年は講義も自由にできなかっただろうし、もったいないコロナの数年だったに違いない。

シュタイナーの著作をあれだけ翻訳するのもすごい話だが、先生はドイツ語では頭に入ってこないとおっしゃっていた。日本語でないと駄目らしい。だからドイツ語を自分で日本語に訳し、自分が訳した日本語でシュタイナーを考えるのだと教えてくれた。

シュタイナー以外では、ヘルマン・ヘッセが青年期からの愛読で、特に『デミアン』が好きだと言っていた。

わたしは『車輪の下』しか読んだことがなかったので、高橋先生が推薦するというのならと思い『デミアン』をすぐに読んだ。

思えば、本を薦められて読むなんてことはわたしはあまりしない。自分でもかなりの本を読んできたし、人から言われなくてもすでに読んでしまったり、もしくは知っていたりするし、そもそも薦められて読むなんて推薦者のことをよほど好きでないとできない。

わたしに本を薦めてくれて、そして薦められたものを読もうと思うのは高橋先生や、あとは島地勝彦さんだけである。

島地さんは活字中毒であり、名物編集者であるからとにかく本に詳しいし、本を読み続けている。島地さんのことは大好きだから、薦められたものはほとんど読んだ。

そんな島地さんにバーカウンター越しにわたしがほろ酔いで『上海ベイビー』がいかにすごいかその感動を酒精を燃料にして調子良くしゃべった。そして再び島地さんに会うと、

「上海ベイビー、読んだよ。すごい小説だね。中国にも瀬戸内寂聴さんがいるんだね」

と言った。

上海ベイビーが中国の瀬戸内寂聴という発想は寂聴さんと仲良しだった島地さんらしく、言われてみて「なるほど」と思った。

島地さんには近々会う予定であるが、島地さんも80代半ばで、わたしが憧れたり好きな人がどんどんあちら岸に行ってしまったり、高齢になったりで寂しい。

この人のためなら、と思う人がいなくなってしまい、同時にわたしが自分より若い世代に知り合いがいるわけもなく、だから寂しいわけである。

大学時代のギリシャ哲学の恩師も生きてはいるが老人性痴呆と鬱病がひどくて、生きているのにもう会えない。

やっぱり哲学が好きなわたしにとって高橋巌先生は生粋の哲学者で、それでいて穏やかで、上品で、とても心地よかった。

現役として活躍している哲学者でわたしが好きなのは東浩紀さんですごくおもしろいなと思う。

あとは哲学をやっている学者は大学にはいるのだろうが、まるで興味がない。大学の外に接点があるような哲学者はいないし、社会にいるわたしには接点を持ちようがない。

しかし、高橋先生は95歳だったか。ものすごい長寿である。生涯人智学。先生があれだけ地道に講義していてもそれで社会がどうなるということはないが、そもそも哲学はそんなものなのだろう。

社会を変えるなら理科系に限る。

原子爆弾の発明は近代を終わらせたし、スマホの発明は人間社会の流れをすっかり変えてしまった。

新薬を開発すれば不治の病が治るようになり、電気自動車は排気ガスを出さない。

人文系は社会を変えられないもの。そのくせ人文系は社会を変えたいと思っていたりする。

ちなみにわたしは社会を変えようなんて今はまったく考えていない。ひと昔はちょっと考えていた。

社会は変えようとするものでなく、次第に変わっていくものである。変化の総合値。人間がいれば小さな変化が無数に、夥しくあり、それらが蓄積し、混じり合い、時間が経過しながら特定しようのないものに変遷していく。そういうものなのである。

しかし、京都で高橋巌先生の話を聞くその時間は至福であった。求めていた知をシャワーのように浴びていて、爽快だった。

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