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コッホ先生、いい映画だった。

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結月です。

ふらっとテレビをつけたら映画をやっていて、チャンネルを換えると隣に座っていた6歳の愛娘が、

「さっきの、見る」

というから、

「あんなの、見んの?」

と、言いつつ、その映画にした。

NHK–BSで放映されていたのはドイツ映画で『コッホ先生と僕らの革命』。知らない映画だったが、実は映画の専門家であるわたしは数秒見ただけですごい映画かフツーの映画か、しょーもない映画かを判別することができる。

「コッホ先生」はまあ普通だなという印象だったので、あんなの、見んの?と反応したわけだが、見てみるとやはりすごい映画ではなくフツーの映画だった。でもいい映画ではあった。

映像は美しく撮られている。でも、話はベタでベタ。わかりやすい感動もので、封建社会が厳しい1870年代のドイツの学校(ギムナジウム)に自由精神に溢れた先生が現れてサッカーをもたらすというもの。

見ているとすぐに展開が分かるほどベタであったが、そういう題材は得てしてベタなのである。

とは言え、はっきりとジェンダーが分かれた時代の女の人の服が良くて、

「ああ、ヨーロッパだな…」

と感じた。

今はあんな封建的な社会でなく、随分自由になったものだと思いつつ、しかし、新しいものを受け入れない、拒否する古臭さが窮屈になるというのは今も変わらない。

わたしも今の日本社会を見ていて革新的じゃないと感じるし、新しいことをやろうとするとそれを否定してくるウザい勢力があるのを知っている。

わたしは鈍感だからそういうのはあまり気にならないが、気にする人が一緒にいたりすると、

「なんで気にすんの?」

と思ったりするが、気にするんだからしようがない。

映画ではサッカーがイギリスのスポーツとして目の敵にされることをわかりやすく描いているが、実際はもっと酷かったに違いなく、それくらい封建的なものや古臭い考えというのは手強いものである。

映画がギムナジウムが舞台とわかったら、ニーチェが生きていた時代と同じだなと思った。ニーチェはギムナジウム卒業の超エリートで早熟の天才であったわけで、当時のキリスト教社会に、そしてそのルサンチマンにうんざりして、

「神は死んだ」

と言ったわけだが、当時の社会の閉塞さを等身大に感じとるには想像力が必要で、それがないとニーチェがどんな気持ちで、どんな立場でどれほどの怒りと絶望があったがゆえに神は死んだと言ったのかを理解できない。理解できないどころか、現代の都合のいい解釈をしてしまい、とんでもない誤訳をしてしまう。

そんな時代から考えると、今は自由になったものだと思ったが、いやいやそうでもなさそうである。WBCの日本代表がペッパーミルパフォーマンスをして、それを高校球児がやると審判から注意を受けたというのである。

高校野球は昭和時代のままでいる世界のひとつで、封建的だし、考え方が古臭い。いや、そもそも日本の学校そのものが時代に合致していなくて、昭和のままなのである。

サッカーが認められない大昔のドイツの学校と日本の高校野球はあまり変わりがなさそうである。

思えば、たった半年国会に来なかっただけで国会議員をクビになったガーシーも昭和的価値観の犠牲者と言えそう。ネットがない時代ならまだしも、ネットがあってもWindows95時代やダイヤル回線であった時代ならまだしも、今は5Gで、zoomも普通に使われている。

それなのに国会に来て居眠りはOKで、オンライン参加は駄目というのも昭和的発想で本質的には矛盾に満ちている。

さて、自由を求めて封建社会と対立した話が『コッホ先生と僕らの革命』であったが、先生が学校を去るときに先生の友達がイギリスのサッカー少年を連れて登場するのはあまりにも都合がよすぎて、そういうところが映画の力強さを失わせた。そして、受難であった貧乏な少年がスーパープレーをするのもベタすぎてわたしは興醒めしたのであるが、この映画を見ることを提案した6歳児は一生懸命見ていて、そしてストーリーの内容を仕切りにわたしに尋ねていたが、ラストでは寝落ちしてしまっていた。

映画を見ながら、

「この時代は学校に行けたのは男だけなんだよね」

と、6歳児に話すと、

「なんで?」

と訊かれ、説明するのが面倒だったので、

「そういう時代だったんだよ」

とだけ答えた。女が教育を受けられなかったのが当たり前の時代のことを説明しても、それを理解する知力は6歳にはないのだから、これからたくさん勉強して、そういうことがわかるようになるのを楽しみにする。

14年後、愛娘が二十歳になった頃、古臭い人間と思われないように自分をアップデートしていく。

しかし4年前、東京からこちらに来たときはアンパンマンばかり見ていた幼児が今は字幕がひらがなとカタカナしか読めないにせよ、ドイツ映画を見ている。驚異的な発達速度である。

一方、わたしは? となると、そこまで発達していないように思ったが、よく考えてみるとこの4年で考え方も新しくなったし、コンサートを3公演やったおかげで大きな経験も積み、新しいタイプのオーケストラを設立することもできたのだから、なかなかの成長である。

そしてこれからは今までやったことがない仕事に取り掛かるし、その試みは業界的にも画期的なものになるはず。

停滞してちゃいかんよ。

停滞すると人間は、社会は封建的になる。

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