結月です。
みんな、見た!? 101回目のプロポーズ!
現在、毎週金曜のBSフジで放映中。
30年以上経ってからハマってしまった『101回目のプロポーズ』。
不覚にも先週、見るのを忘れてしまって、最も有名なシーン、
「僕は死にません!」
の翌週の展開がわからなかった。でもどうやら薫(浅野敦子)の死んだ恋人のそっくりさんが現れたらしい。
そして本日のラストは、薫がそっくりさんに向かって、
「大好きだった人に似ているの…」
と、チューしそうになる。
「チューしちゃダメー!」
と、一緒に見ている6歳の愛娘を横にシャウトするアタシ。
しかし、その告白に迫る浅野温子の演技はかなりのもので、トレンディドラマだと馬鹿にできない。
そして、チューは回避したと思ったのに、そっくりさんに腕を掴まれ、チュー。
ああ、やってもうた。やったらあかんのや。あの男は本物やないんやデ。ただ顔が似てるというだけや。過去を求めたらあかん。それをしてしまうと不幸になるんや…
と、ドラマでドキドキするなんて青春を取り戻したようである。
でも、1991年のこのドラマ。やはり時代がおもしろくて、みんな不器用で単純で馬鹿で情報量が少ない時代だったからドラマになる。今はみんな頭が小利口で、情報量多すぎで、タイパとか言い出したらドラマは生まれない。
1991年の風景がところどころ懐かしく、ロングヘアで悩ましげに色気を醸し出す浅野温子は男女問わず憧れの的。そしてバーのシーンでは必ずドライマティーニ。
浅野温子が日中の東京のど真ん中で、
「好きだと言って」
だとか、
「ここでキスして」
なんて言い出すシーンでは、今だと、
「めんどくさいオンナ!」
と、一蹴されそうなのに、見ているアタシはドキドキしているのだから、もう1991年にいます。
こうしたトレンディドラマの描写によって無意識に東京に憧れていたわたし。京都や大阪にいた当時は東京というものが輝いていて、あらゆる物事の中心であると感じていた。然るに東京のことは今でも大好き。
でも今の東京はあの当時のようなキラキラ感はないけどね。あったのは2000年初頭くらいまでかな。
そもそもこの期に及んで人目が気になるからまだマスクしてるっていう風景を見ただけで、東京はもう世界では先進的でないんだと思うよ。
さて、東京のキラキラ感をわたしに植え付けたトレンディドラマはなんと言っても『男女7人夏物語』である。続編の秋物語を含めVHSで全巻持っていて何度も観てる。
男女7人は80年代だからバブルへ向かう高揚感がある。101回目はバブル崩壊後だからシリアスなものになってきた時代。
とはいえ、バーのシーンでは「オトナ」な風景が描かれ、未成年の関西人であったわたしにとっては憧れであった。その思いがあるから銀座に店を出したのは間違いない。銀座のバーで飲んでいる自分を客観的に眺めて、
「あーアタシもここまで来たな」
って思った。
であるからして、一応「半過去」である飲んだくれ生活は80年代から90年初頭のトレンディドラマのせいである。
しかし、あの頃は恋というものは大変ドラマティックであったのだが、先述のように情報過多で小利口な時代には恋は成立しない。ところが結婚してないと「売れ残り」感だけは昭和からまだ引き継がれているせいで、それを解決するものとしてマッチングアプリがある。要するに恋がないのに結婚は成就させるという歪さがある。これもタイパって感じ。
と言いつつ、アタシだってずっと恋なんかしていない。あ〜101回目のようなときめきがほしい。と、101回目を見ながら思うアホさ。
いやいや、当時だってみんなトレンディドラマみたいな恋を夢見て生きてた。そして恋に陥ったら男だって女だってドレンディドラマのセリフをベースにしたクサいことを言っちゃったりして、ハッ!と浅野温子みたいな表情をしていたのである。
くだらないけどマッチングアプリで無理やり出会うっていうのよりはいい気がする。
だってさ、出会いにドラマがないと交際、もしくは結婚を長続きさせる物語がないじゃん。いざムカついて別れようと思っても、
「いやいや、でもこの男(女)とは忘れられないドラマがあったんだから…」
と、お互いが大事にする「感動」があるから思いとどまる。そりゃ、要領だけで交際したマッチングアプリとは違うよ。効率的すぎてドラマがないもん。
さて、今日の101回目では星野達郎(武田鉄矢)のアパートにはエアコンがないことが描かれていた。そうなのである。あの頃はエアコンは贅沢品で、エアコンがない家は珍しくなかった。
今でこそエアコンは安いものなら5万円台で買えたりする。またアパートを借りてもエアコンは最初から設置されている。でもあの頃はそうじゃなかった。
友達が部屋に集まって、
「暑い、暑い」
なんて言っているのが懐かしい。わたしも大学のとき、友達の家に行ったらあんな感じだった。溜まり場となる場所があるもので、ポテチ買ってビール買って、飲んで酔って雑魚寝。エアコンなし。
であるからして、当時はみんな汗臭かったと思うが、それが気にならなかったのはみんなが汗臭かったからかも。
そういえば昔、北京で北方出身の中国人にニンニクがたっぷりの料理店に連れて行かれた。中国の北方はニンニクをたくさん食べる地域で、皮を剥いたニンニクを生でバリバリかじりながら白酒を飲んでいる。
わたしはニンニクを食べると口の中が気持ち悪くなるからあまり好んで食べない。それであまりニンニク料理を食べないでいると、その中国人のおっさんに、
「臭いなら大丈夫。みんな臭いから気にならない」
という励ましの言葉を頂戴した。
いやいや、そういう問題以前にニンニクは口の中がずっとニンニクっぽくて気持ち悪いから人目を気にしているわけではなかったんだけど…
さて、浅野温子も現在61歳らしい。やはりあれだけ魅力的だった人が61歳になった姿は見るのは辛いと思う現在1991年を生きるわたし。
1991年のリアルタイムに101回目を見るとの令和5年に見ることの大きな違いは、登場人物の老いた姿を知ってしまう悲哀。当時なら魅力全開の姿だけを見て、老けた顔など想像もしなかった。
もちろん年老いても魅力的な人、例えば岸恵子なんかそうだと思うけれど、浅野温子の悩殺的な若さが老いるのは見たくない。そこは夏目雅子は全盛期に亡くなったから魅力的な若さのままなのである。
ああ、1991年の中でわたしは生きていたい。願わくば1986年あたり。
でも暑いのは苦手だから、エアコンはほしい。