結月です。
アナ雪3とトイ・ストーリー5が制作中らしい。劇場公開されたら、愛娘を連れて絶対観に行く。
どちらかというと、トイ・ストーリーのほうが楽しみではある。映画としていい映画なのである。
しかし、実写物をまるで観る気がしなくなって久しいのはYouTubeで動画慣れしたせいかもしれない。YouTubeの素人たちが発信するリアリズムが現実的で、映画の実写が嘘臭く見える。
いやいや、映画は嘘臭いからいいのであるけれど、YouTube以降、映画はわざとらしく見えてしまう。
なんてことを今村昌平の映画学校に在籍していたわたしが言うのだから、映画というものは時代的に終わったものなのだろう。
とはいえ、BSで昭和時代の時代劇ドラマをチラリと見ていると、そのキャメラワークが実に映画的であったり、着物の女の所作がさりげなくよかったりする。やはり時代劇は昭和まで。それ以降は時代物のコスプレ。
あとどうして映画がおもしろくなくなったかというと、説明的になったから。つまり、今は観る側が説明してもらわないとわからない人ばかりになって、映像だけで表現されたものを理解できない。だから全部、台詞で説明しちゃう。だから映像の力が弱くなって、台詞劇になる。
映画がつまらなくなるのをわかっていても説明的にしなければならないのは、そうしないと客が入らないからで、制作側からの意向とも言える。現場はそんなことしたいはずはない。
とにかく、台詞がうるさくて、事情を全部言葉で説明してしまうから、わたしは映画を観なくなってしまった。というか、観たいと思う映画がなくなってしまった。
かといって昔の映画はほとんど観てしまっていて、しかも何度も繰り返し観ていたりするものだから今更観る気がしない。
実写がそんな状態になって、むしろアニメのほうが虚構に徹していておもしろい。そういう時代なのである。しかも3Dが進歩して、表現も実写に近くなった。
と、映画はほとんど観ることがなくなり、YouTubeで動画。
今日もエアロバイクでエクササイズ。30分を3セットと20分が1セット。1000kcalほどの消費。
その間、YouTubeで量子力学や超弦理論の動画を観たり、アインシュタインの相対性理論からビッグバン理論に至るまでの経緯の動画を観ながらペダルを漕いでいる。
あとはフランス語の動画やたまにビジネス系。
エアロバイクは運動も行いつつ、動画で勉強もできるのであるから、時間が充実する。
毎日1時間半ほどエアロバイクをすると、体が明らかに軽くなる。すると頭も冴える。
そして、ほうれん草のおひたしが今のメインディッシュであるから、今朝も道の駅に新鮮なほうれん草を買いに行った。
ほうれん草だけだとちょっとつまらないので、絹豆腐で冷奴、ときには温泉卵をひとつ。そして先日浜松に行ったときにもらった味付け海苔をバリバリ食べる。
おそらくカロリーにして1食あたり150kcal程度ではないか。昼は食べず、夕食も同じようなメニュー。基本、肉は食べない。
体重は今日も減っていることを確認できた。お腹周りも縮小していて、減量を始めて今日で11日目、ベルトの穴が2段狭くなった。それ以上は穴がないので切って短くする段階が見えてきた。
誠に体調がいい。減量はいきなり落とさず、1年かけて少しずつが体にいいなんて聞くけれど、それは嘘である。そもそも1年という時間をダイエット意識を持つほうが精神的に苦しいし、だからすぐにへこたれる。へこたれやすいから結局痩せない。だから痩せると決めたら一気にやるのがいい。
しかし、どうなんだろう? それはわたしだからできるのであって、普通はこうして急激に落とすと体を壊すのであろうか?
そうであるなら、巷の医者が言うように1年かけてやったほうがいいよと責任回避しておこうか。
いやいや、そこまで気にすることもないに違いない。だって、毎日ほうれん草だけで、必ず最低でも1時間はエアロバイクを乗るというミッションができる人のほうが少ないに違いないから真似されることもない。
また、わたしはモードを切り替えれば、食べないことを何とも思わないことにできる特技があるのだ。昔、それをYouTubeでやって1週間何も食べないことを動画にしたが、どうってことなかった。プラス1週間やっても良さそうだ。
そういえば何年か前に俳優の榎木孝明さんが1ヶ月何も食べないで過ごした。少しばかり言ってしまうと、実は食べなくても過ごせるのはちょっとした霊能なのである。
さて。
先日購入したプログラミングの本を毎晩読んでいて、これがなかなかおもしろい。プログラミングの基礎であるからプログラミングとしては新しいものではないけれど、自分にとって新しい。
漫画村で話題になった星野ロミがオンラインでプログラミング教室を始めるらしい。3月くらいで、月2万円を想定しているとのこと。それを5ヶ月やって、漫画村くらいのサイトは作れるようにするという。
これはなかなかおもしろい。受講してみようかと思う。こういうサービスは立ち上げすぐがお得なのである。なぜなら、それが評判になると得てして値上げされるから。
まだ彼は仮出所中の身で、それゆえにまだ胡散臭く見られているがために価格が高く設定されていない。それにこれからいろいろ始めようとしているから尖っている。
人間は成熟を始めると尖りがなくなる。偉くなるとつまらなくなる。であるから、星野ロミが尖っている間にそのプログラミング技術を教わりたいと思った。
一番おもしろくないのはプログラミング教室なんかに通うことで、そこには尖ってもいない講師がバイトでやっているのだから、通り一辺倒なことしか教えないだろうし、そもそもプログラミングは何かをクリエイトする手段なのだから、つまんない奴に教わってもつまんないものしか得られない。
それなら星野ロミのようにこれから何かしでかしそうなエッジがある人間のほうが勢いがあるからおもしろい。わたしにとって漫画村のせいで出版社や原作者が被害を被ったなどはどうでもいいことなのである。
人が思いつかないような発想ができる人間。そういう人間に接したほうが刺激になる。そして自分も他人が考えないような発想で生きるようにする。
超弦理論の動画を観ているのも同じで、素粒子が点ではなく「紐」であるという発想がおもしろい。物理の見方をガラリと変えた最先端の理論。
超弦理論では時間を加えるとこの世界は11次元である。普通、人間はこの世を3次元空間プラス時間でしか捉えていない。
でも、超弦理論に触れることで物理学で生きることはなくても、考え方に次元が増える。それだけ常識から離れられる。すなわち人が思いつかないような発想ができるようになる。
逆に九九を今更やったところで新しい発想が生まれるであろうか? 暗記していて、いつでもできるようなことをしていてもそれ以上のものは生まれやしない。
だからこそ、自分が思いもつかないものを求める。
わたしにとってはそれがプログラミングであったり、超弦理論であったりする。音楽や芸術、文学のことは正直、自分にとって真新しいものがない。
でも、プログラミングしかやったことがない人は音楽や芸術に触れると、その非合理的な感性的世界に感動し、今まで作ることができなかった斬新なプログラムが書けるのではないか。
すでにできること、すでにわかっていることばかりしていては進歩がない。
自分が携わるジャンルでなくても未知なものに触れることで、そのジャンルに変革をもたらすことができる。
音楽だけしか知らなければそれ以上の音楽はできない。
プログラミングしか知らなければそれ以上のプログラムは書けない。
常に常に自分の外側に行くべきなのだ。