結月でございます。
やっと日本もコロナ狂騒曲が終わりそう。しかし、コロナは中国に始まり、中国で終わるという印象。
中国政府がゼロコロナをいきなりやめたのは中国政府らしい考え方で、一気に感染拡大することがわかっていてそれを敢行し、集団免疫でコロナを強制終了させるのは「らしい」なって思う。
結果を出すには犠牲は仕方がないと合理的に考えるのが「らしい」わけで、そこが日本とは違う。
そんな日本も世界から周回遅れでコロナ騒ぎを終わりにしようとして、マスクがどうだとかつまんない話に盛り上がるところが日本の幼稚さとも言える。つまり、そういうことを自分で決められなくて、
「どうする?どうする?」
って、まるで給湯室のOLである。
しかしまあ、個人的にはうちの愛娘が小学校に入るちょうどその時に学校でマスクしなくてよさそうなのは助かった。子供にマスクさせて、素顔を隠して過ごし、相手の顔も見えず、自分の顔も見せず発育するなんてコロナに罹るより恐ろしい。であるからして、コロナ禍の3年間をマスクで顔を隠し続けた子供はメンタルがちょっとヤバそう。どうやったら立ち直れるのだろう?
マスクを取るのが怖いなんて強迫神経症であって、これは対処がこれから大変だ。
さて、そんな日本人のマスクであるが、
「もう慣れちゃった」
という意見もある。
わたしはそういうことを言う人とはお付き合いしたくない。つまり、慣れたことをやめられないメンタリティの人ってつまんないから。
しかも感染対策上、どう考えても意味のないようなシーンでもマスクし続けていることに慣れちゃったというのは、自分の行為を検証することもなく、ただみんながやってるからやるタイプであるから、そんな人はつまらない。おもしろいことをやるような人間じゃない。
これはマスクに限らず、慣れちゃったことをやめようとしないシーンはよく見受けられる。
慣れちゃった仕事をずっとしている人も多い。同じ仕事を、同じ内容でずっとしている。
変化がないからもはや考えることなく仕事ができるから楽だと考える。
でも、慣れちゃったことをずっとやっていては人間は成長しない。
すなわち、慣れちゃったことをやめられない、慣れちゃったことから離れられないのは「マイルドヤンキー」と同じなのである。
ずっと地元で暮らすマイルドヤンキー。
付き合う仲間は中学生時代と同じで、遊び場も同じ。就職先も地元。
そんな体質は地元を離れたとしてもずっと同じ会社にいて、部署も変わらず、やること同じであればマイルドヤンキーなのである。
人間は次のステップに行くにはやったことないことを目指さないといけない。慣れたことには進歩の種がないのだから新しいことをやって成長していく。
会社だったらそこでの仕事に新しさがなくなれば転職すべきだし、学校だってできれば地元を離れて遠くへ行くのがいい。一貫校でエレベーターなんて最悪。
慣れてしまうと居心地の良さが出てしまうけれど、その居心地の良さは麻薬的でいけない。
また慣れてしまうと「こなして」しまうからよくない。こなして終わり。それでは平均点以上は望めない。
新しいことを始めるときは覚えることも多いし、新たな人間関係を作らねばならないし、面倒が多い。しかし、だからこそ磨かれる。
さて、わたしは日本に慣れちゃっているから、本当は外国へ行きたい。しかし、3匹の猫がいるし、愛娘もまだ手が離せないから、仕方がなく我慢する。
猫と愛娘の手間がかからなくなるのはあと10年から15年は必要だが、外国に住めば慣れてないことばかりでエキサイティング。
慣れない外国でマックのバイトをやってもいい。それだけでも考え方が異なる人種と一緒にいるだけで常に新しい情報に触れられる。
ずっとマックのバイトをやるわけにはいかないが、そんな異国の経験を生かしてまた新しいことを始める。
常に好奇心を持って、新鮮さを求めていれば、マックのバイトだって起業のネタになる。しかし、その気持ちがないなら母国でも異国でもただのバイトにしかならない。
だから慣れちゃったことをやめて、慣れてないことに身を置き、自分を変化させ成長させ、おもろいことをやってやろうと思う心構えがあるといい。
ともかく、慣れちゃったものというのはつまんないものなんだ。考えなくていいから楽かもしれないが、つまんない。
しかし一方で習慣化したほうがいいものもある。
それは得てして、自分がやりたくない、できればサボりたいと思うような種類のもので、わたしにとっては日々のエアロバイクである。
運動がそもそも好きでないわたしはエアロバイクを習慣化している。そうでもしないと極度の運動不足で体が重く、筋力も衰え、立つ座るの基本動作も億劫になるからである。
そんな楽しいものでないけどやる。やらないと生命力が落ちるから。
しかしそれも運動が嫌いであることに慣れちゃったド文系であったわたしが慣れてないことをやろうとしているとも言える。
さて、慣れる前にやめる、ということがあり、すなわち三日坊主である。
三日坊主は三日間の無駄でもあるし、そこまで根気がないと何をやっても駄目に違いない。三日でやめるコンビニのバイトとか、そんな話も聞く。
ちなみにわたしが大学時代、ラテン語の授業を選び、一応単位は取ったのであるが、ラテン語は三日坊主でやめておけばよかったと思う。ラテン語なんて使わないし、頑張って1年間、講義に通った時間は他のことに使えば有意義だったと今にして後悔。三日で損切りが正解だった。
ちなみにヨーロッパの人はラテン語にコンプレックスがあるらしい。であるから、英語をうまく話せずバツが悪いときには、
「ごめんなさい。英語は苦手なんです。ラテン語ならできるのですが…」
と言うと、英語を話せず馬鹿にされていたのが、一目置かれるというお話。