結月でございます。
先日、マクドナルドのドライブスルーに行くと、その店員は結構なじい様だった。定年退職して、それから何年かは経っていそうなルックスであったけれど、そんな年寄りがマック店内のやり取りで、
「サンキュー」
なんて言っていて、ものすごく気の毒に思えた。
マックは店員同士のオペレーションの返事が「サンキュー」であるらしいが、それは20代の女の子だと様にはなるが、さすがに70近そうな男だとそのルールを適応させるのはどうかと思う。
「リストラ」という言葉が話題になったのはすでに20年以上前だろうか。日本の終身雇用が崩れ、定年を待たずしてクビになることが驚きでもって捉えられていた。
そんな頃は、マックで50代くらいのおっさんが働いていたら、
「リストラされたんだ…」
なんて感じで、ちょっとダブルチーズバーガーを頼みにくかった。
ところが今はそんな風景はマックだけでなくコンビニでも当たり前になり何とも思わない。
とまあ、高齢化爆進中のニッポンだけれど、それゆえにシルバー民主主義なんてことも言われる。
人口比として高齢者は大きいから、高齢者が喜ぶ政策を打ち出すことが選挙での勝利につながる。そんな風潮に、
「若者は選挙に行って、政治を変えよう!」
なんてリベラル勢は言いがちだけど、人口比を見れば、20代がみんな選挙に行っても高齢者には数では勝てないのであって、シルバー民主主義はまだまだ続きそう。
それは選挙だけでなく、実は企業、特に大きな企業ほどシルバー民主主義かもしれない。
高齢の世代がトップ層に多く、会社を牛耳っているようなところは感覚が古いだけでなく、自分たちが退職するまでは会社を存続させようと考え、つまり短期的視野しか持てない。
それは国民健康保険の負担率が上がることに反対する高齢者にも似たところがあって、現役世代の負担までは目が届かない。
とは言え、年を取ると人間は自分のことを優先しがちであり、自分より若い世代を何とかしてやろうという気はなくなるものなのである。
それはまず肉体が弱くなるから。
自分の体が思うように動かなくなったり、病気しがちになるとどうしても自分のことだけで精一杯になってしまう。他人のことなど思う余裕がなくなる。
あとは年を取ると自分の人生を振り返ってしまうからで、
「いよいよ、自分は」
と思うと同時に、先の短さを考えてしまい、やっぱり自分中心の世界になる。
人間は自己保存の嫌らしさがあるから、社会に対しても会社に対しても「自分が生きている間はなんとか…」と思うものである。
であるからして、高齢者に若い世代のことを考えろというのは無理な話で、それは若い世代が高齢になったときの人生の残り少なさへの寂寥がわからないのと同じである。
そう考えると、政治家のトップには若い人が少なくて、年を取った人が多いのであるからシルバー民主主義以前に若い世代のことを考えられるようには政治はできていなのだろう。
しかし、やっぱりそれは企業も同じで、自分の所属する組織でトップの役員などが年寄りばかりであるなら、将来はあまり良くない、というか茹でガエル状態が終わったとき、ガタッといく確率が高い。
経営者でも末長い長期的視野で考えられる人は少ないもので、いなくはないが大半はトップに就任すると会社ではなく、自分のポストをまもることに一生懸命になる。
それでいて、重要な決定権はそこにあるから、新しいことへの挑戦や改革はやりにくい。保身の心とは新しいものを拒む傾向にある。
と、そういう事実を確認してみると、これから先のことは比較的若い世代が積極的にやっていかないといけないわけである。
今はその組織が年寄りのトップで一応は保たれていても、若い世代が力を持っていないと年寄りのトップがいなくなったときはカエルは茹で上がったあとなのである。
であるからして、若い世代はボケッとしていてはならぬ。若い世代とは体もまだ健康である40代くらいまでであろうか。
ボケッとしていたら、いつの間にか自分だって年寄りになってしまう。10年、20年なんてあっという間だ。今日一日を未来のために費やして生きるべき。
今、高齢者となった人だってわずか20年前は現役だった。でも、誰だって年を取る。だから自分もそうなる。
自分もそうなるのは構わないが、20年後に自分が年老いたとき、会社に、社会に20年後の自分を面倒看てくれる余力がどれだけあるか?
きっとその余力は今よりも少ないであろうから、できるだけそのドツボにはまらないように自らが起業したり、新しい試みをしていかないといけない。ただ乗っかっているだけでは駄目だということだ。
変化を望んでいく。自分という人間が定型になっているなら、そんな自分をぶっ潰して更地にする。そして、新しいものを創る。
それをしっかりと繰り返していると、年齢的には年を取っても古い人間、応用の利かない人間、自分の身辺だけのことしか考えられない人間にはならない。
年を取っても若い人に慕われている人はそういうタイプである。
安住しようとしたら成長は終わる。
安住が見てきたら、安住から離れよう。