結月でございます。
昨日まで熊本にいたわたし。金曜から三日間であったが、土曜は大分までクルマを走らせたりと充実していた。しかし、忙しなさの中にいたから、三日間でも足りないというところ。
大分では医学部出身で現在開業医をしている大好きな先輩にも20年ぶりに会え、その奥さんはわたしの可愛い後輩であるのだが会えてよかった。今度は大分の別府あたりで温泉宿を取ってゆっくりしたいとも思った。
今回のメイン、熊本復興音楽祭もよかったし、そのあとは学生のときは一番世話になった先輩とも会い、しかも飲んだ店はあまりにも懐かしすぎるビアホール。そこからバーに行き、2時くらいまで飲んだ。
そして大分から戻ってすぐ、行きつけのフランス料理店に行き、シャンパンをボトル一本飲んで、あとはフォアグラなどいろいろ。
ちょうど他の客がいなかったので、マダムともシェフともたくさん話すことができた。こういう戻ってこれる店があるのはいい。
熊本には思い出がありすぎて、それでいながら訪れると当時のままの感覚になる。記憶が古びることがない。あのままである。
それは会える人々がまだ元気だからに違いなく、あと20年後となると変わってくる。シェフやマダムもさすがにその頃は店ができないだろうし、いろいろなものが血の通わない枯れた思い出になるのだろう。
今から20年前がそんなに長い時間でなかった感覚がある。となれば、自分が死ぬのもそんな遠い話でもないんだなと実感する。
過去20年間に何をしてきたかいまいちはっきりとは憶えていない、というか満足できたこともない気がするので、過去20年間のようにこれから先の20年間を過ごすと死ぬときに後悔しそうだから、もっともっと、もっともっと目一杯やらなきゃね、と少し反省する。
さて、熊本から自分へのお土産として「辛子蓮根」を買った。これは熊本の郷土料理で、蓮根の穴の中に辛子味噌を詰め、それを黄色い衣をつけて揚げたものである。
熊本にいた頃はこんなもののどこが美味しいのかわからず、でもそれは他の学生も同じで、宴会がなされたら辛子蓮根はほとんど誰もが手をつけず哀れにも残されていた。
しかし、東京に来て、熊本が遠いものになり、年をとるごとに味覚も変わったのか、熊本に仕事に行った際、空港で興味はそれほどなかったのにとりあえず買って食べてみた。それがすこぶる美味しく、一気に大好物になった。
今日も一本入りの辛子蓮根の半分を食べてしまったが、2箱しか買っていない貴重なものだからそれでもセーブしたのである。
しかし、ケチりすぎると鮮度が落ちて美味しくなくなるから、早めに食べたほうがよい。
辛子蓮根はスライスしてそのまま食べるが、醤油をたらすとさらにいいというのがシンプルだけどわたしの最上のレシピである。
こんな美味しいものなら毎日でも食べたい。とは言え、辛子蓮根はそんなにお安いものでない。一本で1,000円ほどはする。
実は高級品である辛子蓮根を学生のアホは、宴会で出されたのにそれに手をつけずに放置し、唐揚げなんかを率先して食べていた。幼い味覚は罪である。
熊本は食文化が優れていて、なかなかに美味しい。
食文化が優れていない栃木にいるせいか、それが余計に際立って感じられる。これは断言できるが、栃木の食文化は蕎麦以外はひどい。ただし栃木は地味だけれどいい酒蔵が結構あるのだけれど、あまり知られていない。
さて、阿蘇山にも行ったりと、随分とレンタカーを走らせた。熊本には他にもたくさん見所があって、天草にもゆっくり訪れたいし、水俣もいい。
「時間と暇」
十分な時間と忙しなくない暇。それを手に入れたとき、熊本でゆっくりと過ごしたいと思う。
これから20年。この20年をどう生きるか。
そこまでたくさんの時間は残されていないものだな、と20年前の熊本を思い出して感じたこと。