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ジェネオケ戦記が書けそう。

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結月でございます。

先週末からジェネオケの業務で大変忙しい日々で、それは今日も継続中。

金曜は銀座で神尾真由子さんのインタビューに立ち会った。クラシック音楽のコンサート情報誌として無料配布されている『ぶらあぼ』に掲載されるものである。

これは10月18日発行分に掲載されるので、コンサートホールなどで『ぶらあぼ』を手に取ってぜひ、読んでほしい。

神尾さんのインタビューの後、公演に関するスケジュール調整が発生し、メンバーのみんなに何度も連絡を取り合って、なんとか治まった。わたしの凡ミスが発端で、こういうところに公演に関しての素人さが出てしまう。

でも、メンバーのみんながきっちりと対応してくれて助かった。そして神尾さんも。

みんな、バタバタさせてごめん。でも、ありがとう。みんなのおかげで成り立っていく公演だって実感できた。絶対、この公演は成功させよう。

と、自分の凡ミスが招いた忙しさ。でも、そうすることで学習していく。音楽事務所などで働いた経験がないわたしは、演奏者に公演のやり方を教わりながらここまで来たようなものである。

一段落したと思ったら、今度は誤植が発覚。これはいけない。大至急差し替える。チェックしたつもりが見つけきれていなかった。

言い訳すると、昨年から老眼が一気に進行し、ますます進行し、近いものがまるで見えないのである。老眼化でチェック能力が衰えている。

だから、お客さまからチケット申し込みの電話をいただいたときも座席表を見るのだが、これがまったく見えない。大急ぎでバッグから読書メガネという名の老眼鏡を出し、電話対応する。

去年のマロオケ・レクイエム公演のときは裸眼で座席表が見ていたのに今年はまるで駄目である。

と、そんな見えない目で、今日はこの間の「音楽の友」Web版のインタビューのゲラが上がってきて、読書用メガネをかけてチェック。修正箇所をまとめて編集部に送る。

さらにYouTubeでPR動画を配信しようと思っているので、先日、制作会社にメールしていたが、その返事が来て、電話で打ち合わせ。

大筋が決まったので、今晩から動画のカット割を考えて絵コンテでする。わたしはこれでも今村昌平監督が設立した日本映画学校にいたから、ちょっとは今村組なのである。であるからして、映像の編集は考えられる。

これだけでなく、実はできあがればかなり話題になりそうな企画が進行していて、こんなことをやるのはクラシック業界ではあり得ない試みである。その準備のために奔走。

で、今日は急遽、広告の入稿準備。

そんなことをやりつつ、日曜は東京まで5歳の愛娘を同伴でレッスン。5歳児にも面倒をかけつつ、クルマで往復5時間。

ここ数日は自分が何をやっていたのかよく憶えていないほど目まぐるしく、新しいものの立ち上げはこんな感じだな、と思い直す。

一通りやり切ってしまえば型ができるのだけれど、その型がまだないのである。

哲学者の東浩紀さんの『ゲンロン戦記』というおもしろい本があるけれど、わたしもこの調子だと『ジェネオケ戦記』が書けそうな勢いである。

さて、ジェネオケのことを連日やっていて、いろんな人にも会ったりしていろいろやっているうちに、ジェネオケの旗揚げというのは実はとんでもないことなんじゃないかと自覚し始めた。

最初は「オケを自分で作っちゃおう」という閃きだったのが、その実現のために様々なことをしていると、もしかして、これ、すごいこと?と思い始めたのである。

それはインタビューを通して自分は話したことが記者によって客観的に可視化されることで、ああ、そうだったのか、と思う。

神尾真由子さんが出てくれること、大植英次さんが振ってくれること、最初の企画段階ではイメージで捉えていたものが、実はものすごいことなんだということ。

そして、集まってくれたメンバーが国内トップで活躍する凄腕であること。

オーケストラの実力としては、老舗のプロオケとはまったく引けを取らないし、それどころかわたしたちには「新しさ」という老舗にはないエネルギーがある。そして、まだ音を出していないという未知なる期待がある。

これはものすごい演奏になりそうだ。間違いなく、日本のクラシック音楽界の中でド級に際立ったものになる。

第九だって、合唱団は生粋のプロ集団である東京オペラシンガーズ。他のオケのように「年末、第九を歌いませんか?」みたいに素人を公募したものでない。

そこにカオスを巻き起こす大植英次が登場する。

要するにジェネオケの第九はどこの第九よりも気合い十分。しかも年末行事として第九を捉えていない。そもそも第九が年末のBGM化していることがおかしい。この風潮にガチの第九で殴り込みをかけてやりたい。

ベートーヴェンの第九を大植英次と共に真正面から挑む。ジェネオケの第九は、決して年末行事ではない。

そういう意図は立ち上げ当初からあったから第九をあえて選んだが、準備を進めていくうちにそれがさらに明確になり、これをお客さんに伝えないといけないと強く思い始めた。

旧態依然としたクラシック業界を変えてやりたい。異端のアプローチで、新しいものを見せたい。

日本のクラシック業界は変わらないと将来がない。それは確定している。演奏者は優秀な人がたくさん出ているが、お客さんのほうが高齢化している。

実はジェネオケ窓口でチケットの申し込みを受けている。新聞広告を見て電話してくれた方は、新聞というメディアが高齢者のものだから、お年を召した方が電話をしてくれる。

しかし、電話が介護施設状態だったりするのである。

銀行振込が理解できなかったり、今言ったことをもう忘れてしまっていたり、時には会話が困難な場合がある。痴呆を感じることもある。だから、チケット1枚手続きするのに電話で20分も話したりしている。

これは2016年にサントリーホールでマロオケをやった時にはなかった現象なのである。

つまり、この6年で例えば当時70歳だった人は76歳になり、75歳だった人は81歳になっているのである。

クラシックを聴いてくれていた人たちがスライド式に高齢化が進んでいる。それでも電話をかけてくれるならいいほうで、実際のところは電話をかける気力もなかったり、体が動かなかったりしている人も多いはずだ。

クラシック業界はこれまで高齢になった世代に頼りすぎていて、新規の開拓を怠ってきた気がする。やってきたつもりであっても的外れなことばかりしてきたのではないか。

それはクラシックを担う立場の人も高齢になっていて、若い世代に通じるセンスを持ち合わせていない。どこのオケの役員を見ても年寄りばかりじゃないか。

年寄りが考えるものが若い世代に響くわけはなく、「クラシックはすばらしい」と自分たちにしかわからない価値観を唱えていただけじゃないか。

それに音楽の雑誌だって、クラシックのマニアックな話題ばかりで、内輪ネタばかりである。そんなオタクな内容で音楽に馴染んでもらえるわけがない。

自分たちの音楽観を述べること自体は研究としては意味はあるが、そこにはどうやったら自分たちの音楽を聴いてもらえるか?という視点が抜けている。

質も良くて美味しい料理が作れるというのに、食材の産地を熱く語っているようなものだ。

お客さんにとっては「うまい!」が大事であり、そこに感動がある。食材の詳細、どこの産地で、どのように採ったかなんて知識は感動にはつながらない。それは料理人が美味しいものを作るために探究するネタである。

つまり、クラシック業界は自分たちのほうばかり、内向きにばかりなりすぎていた。そこに来てくれるのはスノッブな観客ばかりだった。

ジェネオケとしてはとにかく新規のお客さんを増やしたい。もちろん、往年のクラシックファンも大歓迎だけれど、クラシックを聴いたことがない人にたくさんアプローチしたい。

でも、馴染みやすい曲を選んで、敷居を低くするなんてことはしない。音楽に関しては本気のガチでいく。そして、最高品質を提供する。

どう呼びかけていくか、である。

問題はそこであって、クラシックをマニアックに語ることではない。

ジェネオケのことをいろいろやりながら、そしてうまくいかないことにも直面しながら、だったら、もっと違うことをやっていかなければ駄目だという意識が強くなる。

そこにアイデアが出てくる。それは古い感覚の音楽関係者からすると眉間にシワを寄せるものかもしれない。

でも、わたしはむしろ、古い人間からは嫌われたい。嫌われるということは、古い人間にはないセンスでできている証拠だから。逆に古い人間から共感されると、それは古臭いことをやってしまっている証拠である。

もしかすると将来、メンバーからもついていけないと離脱する人も出てくるかもしれない。

それは仕方がない。どんな物事もすべての人に共感してもらうことは無理だから。

でも、古い価値観を壊す革命的なものは煙たがられるものなのである。

音楽だって、モーツァルトやベートーヴェンは今でこそ古典だが、当時では型破りなアバンギャルドだった。到底、受け入れられないほど彼らの音楽を嫌悪した人は多かっただろう。

シェーンベルクだってそうだ。あんな音楽、音楽じゃないと初めは思う。聴いているだけで気持ちが悪くなる。でも、十二音技法は新しい音楽として確立された。

だから、批判が起ころうとも気にしない。批判があればあるほど目立っているのだから、いいじゃないか。もっとも駄目なのは、批判も称賛もないもの。

どんどん既存の価値観をぶっ潰していこう。既存の価値観なんて大事にしたところで、新規のお客さんが増えるわけでもない。だったらぶっ壊して新しい試みをするほうがいい。どうせ駄目だとしてもやってみるほうがいい。何か新しいものが生まれることに賭けたほうがいいに決まっている。

そういう意味で、ジェネオケが「特異」なオケに思われるようにしたい。普通とか、どこにでもあるとか、それあったよね、なんかおもしろくもなんともないのだから。

まだまだやることがある。やることがきっと湧き出てくる。そうやって変化、いや変容しながら前に進みたい。

ゴールはなし。完成形もなし。得体の知れないものであり続けよう。

神尾真由子の独奏、大植英次の第九、どちらもとんでもない公演になるだろうから、ぜひジェネオケ旗揚げ公演に来てほしい。

今すぐ、チケットぴあ、イープラスにアクセスしてほしい。

ジェネオケホームページ(まだ作成途中)から、各プレイガイドのリンクがあるから、今すぐアクセス。

希望の席がない場合は、ジェネオケ窓口まで電話を。わたしが席を案内します。

japan-go.tokyo

 

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