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ジェネオケを立ち上げた経緯

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結月です。ジェネオケのプロデューサーというか創設者です。

先日からジェネオケの取材を受けたりといろいろあって、その度に、

「ジェネオケを立ち上げた経緯を教えてください」

と訊かれる。

なるほど、そうか。わたしは当事者だから知り尽くしているけれど、他人というのはそれを知るわけもないし、そこがまず第一の問いかけとして出てくるのだとわかった。当時者というのは意外と他人の心がわからないものである。

立ち上げを決めた時期は確か今年の3月くらいだったと思う。2022年の年が明けて、どんな公演をやろうか考えていた。公演といってもわたしがやりたい曲しかやらないし、やりたい曲があってもタイミングというものがある。例えば、昨年マロオケでやったモーツァルトのレクイエムは、コロナ禍という世界的な出来事がなければやらなかった曲。やりたいとはずっと思っていたが宗教曲だし、極東アジアの日本でやりたいからといってやってもあまり意味がない。単なる趣味になってしまう。でも、コロナで大勢の死者が出たり、生命的な危機を世界が感じたから「祈り」が必要だと思った。そして、モツレクをやるタイミングになった。

そこで思ったのは、タイミング抜きにしてやりたい曲、それはマーラーの6番「悲劇的」だった。別に理由なんてない。マーラーの中では6番が一番好きだし、好きだからやりたい。

だが、マーラーの6番は規模が大きいし、もちろん指揮者のいないマロオケではできない。となれば、在京のプロオケに依頼公演でやる。そう考えて、いくつかのオーケストラの事務局に電話をしたが、6番となるとリハーサルは数日は必要だし、そもそも日程が空いていない。というわけで、問い合わせたオケからは「不可能」の返事を貰い続けたのだった。

すごく残念な気がしたが仕方がない。物理的に無理なものは無理なのである。しかし、そんなことにガッカリしている自分に腹が立ってきた。なぜなら、こちらが演奏料を支払う立場であるのに相手の都合に振り回されている。それにできたとしても外部からのオーダーでオーケストラが本気で演奏するとは限らない。業務的にこなされることも考えられる。こんなやり方は本来の自分の生き方じゃない。

すると、つまらないことをしていたと思うようになった。他人のオーケストラなんかに頼もうとするから駄目なのだ。だったら、自前でオーケストラを作ってしまえばいい。そうすれば自由になれる。それにメンバーも凄腕を集め、馴れ合いのない関係で一公演に全力投球すれば、在京プロオケには出せない音を出せる。

すぐに決まった。新しいプロフェッショナルのオーケストラを立ち上げる。

コンサートマスターは佐久間聡一。彼が学生の時からの付き合いで、これまでも何度もわたしが主催するコンサートをやってくれた。コンマスは彼しかいない。

すると、ちょうど長らく務めていた広島交響楽団を3月で退団するという。ずっと広響でコンマスをやっていた。それが新しいオケを立ち上げるタイミングで退団だったのだから、これは宿命だと言っていい。不思議なことに人間にはそういう関係になる人がいるものだ。

会場を確保するために大急ぎでホールに電話をかけまくった。まずは佐久間聡一のスケジュールが空いている日程でなければならない。それに今年の今年となると、特にいいホールは空きがほとんどない。

しかし、紀尾井ホールが取れた。そして東京オペラシティが取れた。

これも奇跡的なことだった。公演をやればわかるが、場所はそう簡単には押さえられない。在京のプロオケが定期演奏会などで先に押さえてしまっているし、ホールだってそれを優先している。いわば、新規の航空会社が成田空港のメイン滑走路を確保するようなものである。

あとは曲目、演奏者、ソリスト、指揮者である。

演奏者は佐久間聡一が認める人たちに声をかけた。管楽器など少し疎いところはわたしがマロオケメンバーに声をかけ、1stが決まると優れた2nd奏者を連れてきてくれた。

集まったメンバーを見ると、国内トップとして活躍する奏者ばかりである。しかも若手も積極的に採用した。新しいオケだから伸び代のある奏者を多く取り入れたい。と、同時にベテランも大歓迎である。

そして、紀尾井ホールには神尾真由子、東京オペラシティには大植英次。

その決定に至るまでもいろいろあったように思う。佐久間聡一を相談しながら、その二人の世界的アーティストにたどり着いた。

新しいオーケストラを立ち上げようと思ってからまだ半年も経っていない。しかし、その間、何かたくさんのことをこなしていたように思う。そうでないとこうして形にはならないのだから。

だが、どんなことをしていたかはあまり明確には憶えていない。様々な交渉をし、必要な書類を集め、金の計算をし、とりあえずここまで来た。しかし、ホームページもようやくメンバーの紹介を入力し始めたところでまだ完成していない。

発展途上である。ところが発展途上にはエネルギーがある。円熟した組織にはない若さとエッヂがある。

どうなるかさっぱりわからない。知名度が低すぎて客がまるで入らないかもしれない。音だってまだオーケストラとして出したことがない。それができるのは前日のリハである。メンバーだって全員まだ顔を合わせていない。卵からは孵っているが、蛹の背が割れ始めたような段階なのだ。

わたしたちは未知の塊であり、予測不能。しかし、未知の中にこそ、見たことがない可能性がある。

わたしは古びたものの中よりも、実績はないが可能性がある未知の中にいたい。

手堅いことなんて色気がない。無難であるかもしれないが、興奮はない。

在京オケに電話をしていた頃は、手堅さを考えていたのだろう。だからボツになってよかった。もし引き受けてくれるところがあったとしても、既存のものは既存の音であろうし、それに先方のイメージもあるからこちらが思う存分はめを外した宣伝もできやしない。

そんな不自由の中で、他人の立場の中で音楽なんかやってもおもしろいわけがない。それなら可能性が未知で、もしかしたら大失敗するかもしれないジェネオケをやるほうがエキサイティングじゃないか。

さて、初めに戻ると、当時者は自分のことをよくわかっていない。

音楽関係者にこの公演のことを話すと、どうやらこの2つの旗揚げ公演はヤバくて、ド級であるらしい。それは神尾真由子がソロを弾き、あの大植英次が棒を振るからである。

わたしは単純に自分が猛烈に好きなヴァイオリニストにオファーしただけ。そして佐久間聡一が一緒にやりたいと思う指揮者を選んだだけである。

やりたいことをやっているだけ。だから、客観的には考えていない。全主観のエネルギー。

であるからして、客観性を求められるインタビューでは、

「なんでそんなことを訊くのだろう?」

と思うことを質問され、しかしそれこそが他者が知りたいことであり、興味を持つことだとわかった。確かにそこは当時者しか知らないのだからもっと情報発信しなければならない。

だから、全主観の当時者はPRが下手くそである。すべてを知っているから、何を求められているのかを判断できないからである。

であるかして、そういうことは客観化が上手で、情報をうまく提供できる人に任せることにする。

わたしも他人をプロデュースして企画を作るのは得意であるが、自分自身が創ったものをPRはベクトルが逆向きでできないのである。

そんなわけで、ジェネオケを立ち上げた経緯をまとめてみた。本当はもっといろいろあったのだろうけど、今もまだ現在進行形のものだから、すぐに過去のことは忘れる。

人間は未来のことを考えているほうがいい。きっと未来に生があるのであって、未来に死があるのではない。

「生きてることに、歓喜しよう」

これは今回の第九公演のテーマ。

生きているということは現在だけでなく未来を内包している。そこには歓喜できるものはたくさんあるはずなのだ。

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