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人は良くも悪くも変化する。

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結月です。

やっとお盆休みが終了。それは保育園のことで、4連休あり、その前に金曜が祝日であったから5日間休みだった。

毎年のことながら、5歳児と終日過ごすのが4連続だとくたびれる。もう遊びに行くところは行き尽くしているからリピートばかり。宇都宮にあるショッピングモールやドンキ2店舗はすでに常連化していている。

さらに先日は、那須塩原のドンキも行って、栃木県内にあるドンキには結構詳しいわたしと5歳児。

銀座にいるときよく行っていたドンキ銀座店に今度連れて行ってあげようと思いつつ、でもドンキだから売っているものは大して変わらない。でも愛娘はドンキが大好きなのである。

とまあ、ドンキに行ったり、ままごとに付き合ったり、たくさん買った塗り絵をやったりした。

塗り絵はプリキュアやすみっコぐらし、ディズニーのプリンセスなどいろいろあるが、わたしにもやれと5歳児は言うので、めんどくさいなと思いながらすみっコぐらしとラプンツェルを塗った。

しかしやり出すと凝ってしまうもので、クーピーを使って本気と書いてマジと読むほどやってしまった。

色彩をつけるのはおもしろい。こういう作業は着物をコーディネートするのと同じなのである。

と、グラデーションを駆使したすみっコぐらしにしたり、女を美人にすることには自信があるわたしはラプンツェルはかなりゴージャスに仕上げた。

「あーやっぱ、アタシ、色彩センス、グンバツだわ…」

と、文字通り自画自賛。

こういうのは自画自賛しておかないとね。だって、着物のコーディネートをやってるわけだから、自信がなくちゃ仕事にならん。

と、お盆休みは何をやって過ごした4日間なのか、実はあまり憶えていない。

連日暑かったので、あまり遠出した記憶がないが、ああそうだ、那須には行っていたのだ。これまた行きつけの千本松牧場でモルモットやウサギをたくさん抱っこしたのだった。

そんなわけで盆休み中はジェネオケ旗揚げ公演のための仕事はまったくできず、仕事率ゼロである。

今日、メールを返すだけでも結構な時間がかかり、さらに決めなければならない案件も決めたりして、それでも終わらない。おまけに請求書も届く。

であるからして、MacBook Proを生活スペースに持ち込んで5歳児が寝てから残業である。

しかしまあ、5歳児を眺めていると可愛い盛りで、今が一番可愛い時期なのだろう。そう考えれば貴重な時間を生きている。小学生になればこの可愛さはなくなっていく。

それに愛猫3匹もまだ元気であるし、公演の仕事もあるしで、おそらくは今は自分の人生の中で大変恵まれているに違いない。

愛娘は大きくなり今のようなあどけなさはなくなり、猫は順番に寿命が尽きていなくなる確実な将来を考えると、今は最も恵まれている。

猫がいなくなる頃は愛娘だって千本松牧場には行かない年頃である。

わたしは猫もいない来るべき時間をどう過ごせばいいのだろうか。猫たちがいないなんてどん底の寂しさである。

仕方がないから、外国にでも行くことにする。

外国だと言葉も日本語を話すように楽ではないから緊張感があるし、学ぶことは多いし、猫のことを想う余裕もないだろう。

やっぱりパリかな。それともリヨン。

猫のことが気にならないようになるまでフランスで過ごす。

そして自分という人間を変えちまう。

さて、そんな未来を想定しつつ、今日は久しぶりに京都の着物業者と電話で話した。ずっとコロナで着物なんて着て遊ぶ雰囲気でなかったし、昨年もマロオケ公演で1年が終わったからご無沙汰していた。

「どないしてはるんですか?」

と、開口一番。

今年はプロのオーケストラを立ち上げてコンサートを二つやると言ったら驚いていた。

2年前は熊本に行って、行きつけだったフランス料理店にものすごく久しぶりに電話したら、

「どぎゃんしとっとね?」

と、訊かれた。

そうである。時間が空いて電話するといつもそう訊かれる。弦楽器業者からも、

「なにしてるんっスか?」

なんて訊かれる。

まあね、わたしはひとつのことをずっと続けないから。飽きてくるっていうか、それを続けていても自分が変わらないなと思う頃に自然に新しいことをやりたくなる。そうすると、ちょっと疎遠になる。でも、やめたわけじゃない。今まで培ってきたものはいつでもできる状態にはあって、ただちょっとご無沙汰するだけ。

なので、

「どないしてはるんですか?」

と、訊かれることはいいことだと解釈している。いつも同じような仕事、同じような商材を売れたら発注してということを長く続けていないから。

思えば、周りの業者さんはみんな変わらず続けている。電話してもちゃんといる。変化がない生き方もあれば、わたしみたいに変化しながら生きる生き方もある。

どっちがいいかはわからない。

でも、わたしは変化していかないと生きていけない。と同時に昔からの付き合いも大事にするほうで縁が切れないように用がなくても連絡する。コンサートをやるときは来てもらう。

来月、熊本に行くときは、わたしのフランス語の恩師である教授と会う。もう20年くらい会っていない。

先生はちょうど今年、退官して大学院のほうへ移ったらしい。もうそんな時期になっていたのかと驚く。

もうひとり、わたしの恩師がいて、最大の恩師と言える先生である。わたしに古代ギリシア哲学を教えてくれた教授。もう10年ほど前に退官していたが、2年前、熊本に行ったときに会おうと電話をしたら鬱病のようで、

「悪いけど、会えないんだ…」

と、ほとんど話すことなく電話が切られてしまった。

そして先日、もう一度かけてみたら、わたしの名を言っても先生はわからない。耳も遠くなって聞こえにくいのだという。

iPhoneに向かって大声を出すと、ようやく聞こえたようだが、わたしのことは誰だかわからないという。

いくつも過去にやってもらったことを話すと、

「そういうこともやった気がする…」

と、少しずつ思い出し、

「確か、東京でバイオリンの製作をやっていたんじゃなかったかな?」

と言うから、

「製作でなく、販売です」

と言うと、

「そうだったか、販売だったか」

と、思い出してくれる。

しかし、記憶は朧げのようではっきりとわたしの像は思い浮かんでいるか怪しい。

2年前は鬱病でも名前を言うと、

「ああ、君か」

と、すぐにわかってくれたがたった2年で悪化していた。

愛弟子であるわたしのこともわからなくなるのだから、痴呆が始まっているのだろう。

「わたしですよ、わたし!」

と、大声で言っても、

「悪いけど、あなたのこと、わからないんだ…」

と、最初に言われたのはショックだった。紛れもなく先生の声なのにわたしのことをわかってもらえない。

それでも少し思い出してもらえたから、会いに行っていいかと尋ねると、少し迷うというか狼狽した様子で、

「ああ、でももう外には出ていないし、会えないんだ、悪いけど…」

と言われてしまった。

鬱病であるからあまり無理をさせてもと思い、引き下がった。また熊本に行くときは電話していいかと訊くと、

「ああ、まあ… お元気で…」

と言われ、電話は終了した。

あれだけ頭脳明晰で、倫理学者として偉大で、白熱教室が出てくるずっと前から白熱教室のような授業をしていた。そんな先生が耳が遠くなり、声も老人そのもので、かつ鬱病で痴呆も始まり、わたしのことすらわからなくなっている。ものすごく衝撃的で、その日はわたしまで元気がなくなり、5歳児に話しかけられてもあまり答える気にもならなかった。

先生は生きてはいるけど、もう会えないんだと思った。来年電話したって同じ問答になるか、完全にわたしのことを忘れてしまっているかだろう。しかも精神科に通っているとなると、抗鬱剤などで薬漬けに違いない。こうなるともう元には戻らない。それくらい抗鬱剤は人を破壊する。

とてつもなくショックだったのは、先生はわたしにとって死んでしまったも同然であると悟ったからだろう。寿命や老衰で本当に死んだなら逆に納得できる。でも先生は生きているのに死んでしまったようだと思うと堪える。

先生がわたしに教えてくれた古代ギリシア哲学。先生とはプラトンの「弁明」「クリトン」「ゴルギアス」「プロタゴラス」、そして「国家」を読んだ。そしてアリストテレスの「ニコマコス倫理学」も。

先生にはもう会えなくなってしまったけれど、先生が教えてくれた哲学や倫理学はしっかりとわたしの中に溶け込んでいて、わたしが在る。そう思えば、先生はわたしが生きている限り、わたしの精神の中で生き続ける。

そう思うしかないと思った。

研究はもうやってないのかと尋ねたら、

「こんなだから、もうやってないんだ…」

と、言われた。

何が原因でそうなったのかわからないが、国立大学の法人化に猛烈に反対していた先生は重要な役職までやらされたからそれが悪かったのかもしれない。

とにかくもう会えない。会わないほうがいいのもわかる。先生だって自分の姿は見られたくないだろう。

人は変化する。

変化に乏しい生き方をしていても、否が応でも変化するのである。

だからこそわたしはただ古くなってしまう変化でなく、自分を更新し続ける積極的な変化で生きていきたいのである。

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