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【ジェネオケ】アンチ最適化でいく。

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結月でございます。

コンビニの弁当やおにぎり、サンドウィッチ。あとはコンビニ開発のレトルトだったり冷凍食品。どれもよくできている。

なるほどよく開発されているものだと思うほどで、まずいものがない。おいしいものも多々ある。

では、それが食べて感動するかというとあまりない。コンビニという枕詞をつければ「おいしい!」と言えるところがあって、それは裏側には「コンビニのくせに」というところがあって、コンビニは所詮、一律に大量生産されたもので、食としての根本的な点ではそんなにすごいものでない認識がある。

でも、コンビニの弁当その他は大変よくできている。

それはいかにお客さんに買ってもうらうかのマーケティングがしっかりしていて、徹底した調査もなされているし、売れないものは即やめる合理性があるからだろう。

それはまさしく「最適化」でもって研ぎ澄ましていると言ってよく、とにかく最適化、最適化なのである。

ビッグデータでもって最適化を進めるのであるが、あらゆることに関して情報が容易く、さらに膨大に手に入るネット時代にはたくさんの情報を取り込み、それを精査することがなされる。それによってコンビニの弁当ができあがる。

コンビニだけでなく、そういうやり方は今では一般的であり、様々なジャンルで最適化がなされる。

最適化でできあがったものは優秀で、ソツがない。しかし、どうもおもしろくないものである。

おそらく最適化されればされるほど優秀にはなるが、個性がなくなっていくからだろう。

最適化によってレシピができる。こうやればこんな感じにおいしいものができるというレシピ。

ラーメン屋でクソまずいところがなくなったのは、最適化によってレシピが完成し、まずそれを使っておけばクソまずいことにはならないからである。

すると、全体的な優秀さは上がってくるが、クオリティが平均化して高止まりする。しかも個性が失われたまま高止まりする。

ところで最近、そんな最適化とは正反対の登場をしたのがガーシーである。露骨に個性を発散させて、媚びるところもなく、何かの定型を参考にすることもなく、ただひたすらにバリバリ個性のガーシー。

YouTubeがBANか一時停止されたが、それはガーシーが最適化されない人間だからである。

つまり、YouTubeの規約は最適化であるから。Twitterもすべて規約でもって極端を制限し、最適化を図る。

そんな最適化を拒絶して、ガーシーはそれなら自分のサーバーでサロンをやるとか、独自路線に進む。

メディアとして最適化されているのがテレビである。テレビは台本があり、キャスティングがあり、言ってはいけないコードがあり、番組として最適化される。

80年代のフジテレビなんかはそれがなく、やりたい放題でおもしろかったが今はそういうのが許されないし、クレームは来るし、するとスポンサーが困るというので最適化される。

だから、今のテレビは昔のような思い切ったものがない。

さて、わたしが仕事にしているクラシック音楽も最適化が進んでいる。

今の演奏家は総じて上手い。それは情報がすぐに得られるから譜面を読む前に情報を取り入れるからだろう。答えを知っている弾き方だろうか。

しかし、20世紀の巨匠たちを見ると、最適化されていなくてキャラ爆発である。下手なのか上手いのかわからない。でもキャラがドキつくて、なんだかすごい。

例えば、ヴァイオリニストのヨゼフ・シゲティなんて下手くそと言えば下手くそで、今聴けば笑かすテクニックであるのに存在感が重量級で、上手い下手を超えたもの、あれが芸術なんだなと思わされる。

あの時代は再生機と言ってもSPレコードくらいで、その曲の答えを知ることが簡単でなかった。だからみんな、楽譜だけを頼りに演奏していた。他人の演奏を聴くといっても今ほどコンサートはないし、コンサート情報も少なければ、移動手段も発達していないから今ほど簡単に他人の演奏すら聴けなかった。

だから、ひたすら譜読みをする。そして自分の答えを捻出する。最適化とは程遠い環境。だからこそ、キャラが強くなる。

いわば、CDを聴けば聴くほど優秀にはなるかもしれないが、凄みはなくなる。

というわけで、わたしは最適化すべきところはするが、音楽に関してはアンチ最適化でいく。

プロデュースやコンサートについての考え方、告知のやり方、ジェネオケの方向性などなど最適化とは違うものを目指す。それは整理整頓された小綺麗なものでなく、最適化されたフォーマット的お行儀良さへのアンチ。

最適化して優秀なことをやっても凄みがなくておもしろくない。上手い下手を超越したゴツいもの。そういうのがいい。

だから、演奏者には、

「好きにやっていい」

と伝える。

こちらから一切、抑制しない。

そうするときっとオリジナルなものが生まれるはずなのである。

それができるのはもちろん、ジェネオケメンバーが才能に溢れた奏者ばかりであるからである。

最適化で得られるのは絵葉書のような絵なのだ。誰が見ても不満のない、よくできたもの。

でも、そんなものよりも岡本太郎の絵でありたい。なんだかよくわからないけれど、爆発している。最適化が入り込む余地もないキャラ。

「なんかジェネオケって、すごいことやるよね…」

と、否定なのか肯定なのか定かでないコメントを得られるようにしたい。半分馬鹿だと思われて、半分嫉妬されるようなのがいい。

スリルだね。公演に、演奏にスリルがあるもの。

SDGsなんて言われているときに、ガソリン燃やして排ガス吹かしてタイヤ鳴らして急発進するみたいなね。

そういうほうが音楽っておもしろいんじゃないの?

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