結月でございます。
学者の話っていうのは、その専門分野に興味がないとまったくおもしろくない。なぜなら、学者は知識で喋るから。
学者は知識欲が強い人がなるもので、そのニッチな分野に異常な知識欲を抱く変態だから専門分野を掘り下げることができる。でも、そんな話が巷でなされておもしろいかというとやっぱりおもしろくない。
芸術もそうで、芸術そのものは知識でないものであるけれど、芸術も歴史が蓄積されてくると知識になってくる。だから評論家なる種族が出てくる。
知識がおもしろくないのは飛躍がないからだろう。あまりにも淡々としすぎている。
コロナで騒いだときだって、ちゃんとした感染症の専門家の言葉は世間にあまり響かなかったのは言っていることは正確であれど、それらは知識であるから普段日常を過ごしている多くの人々にはおもしろくない話だったからに違いない。
それよりも知識に基づかないトンデモなワクチン陰謀論のほうが話はおもしろいし、ウイルスの特性の小難しい話よりも空気中を消毒液を噴射して除菌しましょうみたいなトンデモのほうが効果があると思いがち。
だから、一番いいのは正確な知識をバックグラウンドにしたユーモアのあるトークであり、日常生活にリアルを感じられるネタでありながら知識が溶け込んだ話がいい。
それができるのは才能の領域であり、トークする人そのものがおもしろいキャラでないとできない。学んで習得できるようなものじゃない。センスとはそういうものである。
そんなセンスが稀有なものであるから、学者をはじめ、知識に向かおうとする人が多い。知識とは覚えれば済む簡単なもので、とりあえず知ったつもりになれるから。
知識があってもあえて知識を語らないで、知識を発酵させたことを喋るとおもしろい。思わず聞き入ってしまう。
ジャパネットの高田社長がまさしくそれであり、ハンディカムのスペックはそれほど語らず、
「このカメラがあればお子さんやお孫さんの運動会、一生懸命走っているその姿、それがズームで撮れるんですよ!これは思い出になります!」
とやるわけである。
ジャパネットでカメラを買えば、あなたの人生はこんなに楽しくなりますということを宣伝している。カメラの性能ではなく、大事なのはあなたの人生です。
日本の家電メーカーが軒並み駄目になってしまったのはスペックにこだわりすぎて、メカに弱い主婦のおばちゃんには使えないものだったから。そもそも使いこなすのに分厚い説明書を読まなければならない。
欲しいものは使いもしないハイスペックではなく、朝の連ドラが簡単に録画できるビデオデッキだった。
それはグローバルになってますます相手にされないものになる。なぜなら、発展途上国だけでなく、先進国だってちゃんとして基礎教育を受けていない層があり、そうしたところはそもそも説明されてもわからないのである。
ダイソンの掃除機がグローバルで成功しているのは、ダイソンのスペックはただの土台にすぎず、その説明書に言葉がないこと。つまりどんなアホにでもわかるような絵だけで取説にした。紙切れ一枚で使い方がわかる。
中国の家電製品だって、とりあえずどの国でも使えますよ、というスタンスでスペックを簡略化したから世界で売れる。簡略化しているからコストもかからず安い。
とまあ、昔の日本の家電製品みたいな話をする人は思いのほか多い。
ビジネスとなると商売であるから、相手に難しいことを言っても通じず、それだと商売が成立しないからビジネス系のほうが人に優しい。
文化、芸術関係は最も知識に走りやすく、フェミニズムがあまり広がらないのもフェミニストの話は知識に偏りすぎていて生活のリアリティがないから。
音楽も抽象表現であるがために実に知識に走りやすい。何某という作曲家がどのような生い立ちで、どのように過ごして、どういう系統であり、どんな音楽を構築したかなどなど。
もちろん音楽を研究するにおいては必要な知識だし、演奏家にとっても知っておかなければならない知識ではある。
でも、そんな知識を音楽を聴いてもらおうとする人に話したってどうもピンとこない。話している人が知識に酔っているだけで、聞く側は退屈なのである。
それよりもこれから演奏する音楽を聴いてもらうことで、あなたの生活、あなたの人生をどう変えてくれるかを嘘でもいいから聞きたい。
Eテレの日曜美術館などもつまらないのは同様な知識で解説されるからで、感動がない。知識は頭で理解するものだからハートが源泉になっていない。
知識とは伝えやすい部類のもので、工業製品の作り方を伝えればどの国でも同じ製品が作れるのはそのためである。
これだけ物質的に豊かであるのに、そこそこいいクオリティのものが100円ショップや3COINSで買えるのに潤いが感じられないのは、知識で生産した商品であるからどこでも作ることができ、価値があまりないからであろう。
それはつまり知識で話すトークがつまらないことと同じである。
今の人気ユーチューバーの動画を見ると、知識で話す動画で再生数が凄まじいチャンネルはない。彼らはみな、頭ではなく頭以外のところで話している。
知識の話はよほどそこに興味がないとつまらない。大抵は興味を持てない話ばかりなのだから、知識はバックグラウンドに隠しておいて、正確さの貫禄として漂わせ、その上でハレンチなことでもいいから人々の人生に響く話をする。
ちゃんと勉強してきた知識が裏側にあれば、説得力があるから。それがないとデタラメな陰謀論にしかならない。バレると一気に信用を失う。
とはいえ、これはやっぱり才能なのだ。
そして大事なことは、その才能によるトークは今の時代をしっかりと捉えておくということ。