結月でございます。
60代の俳優と芸人が立て続けに自殺したので、精神科医の話として初老期鬱病なるものがあった。
要するに「喪失感」によって発症する鬱病で、今までの実績や肉体的な強さが60代になって喪失したり衰えたりすると鬱になりやすいとのこと。
まあ、そんなことは精神科医に言われなくても普通に考えればわかるものだが、人間は生きている限り喪失と付き合わなければならない。
女だったら顔にシワが増えたとか弛んできたというのは若さの喪失として感じやすいし、男も体全体が弛んで体力がなくなってきたなんてこともある。
二日の徹夜はできたのに半日の疲れでさえ取れないだとか、酒がガバガバ飲めなくなったとか、髪の毛が文字通り喪失したとか、おっぱいが垂れてきたとか、様々。
精神的にも記憶力が低下して物覚えが悪くなったり、若いときのようなやる気、そして挑戦心が芽生えなくなったとか、喪失はつきまとう。
60代で喪失感が大きな人間は60代までは順調に来ていたのかもしれず、あとはプライドの問題だろうか。
プライドを維持するためにボトックス注射をやめられない女優は多々いるし、栄光は捨てにくく、諦めにくいものなのである。
自殺した人は周囲から見れば、
「あんなに元気そうだったのに」
のようなコメントが多いのは、プライドがあるひとは自分の衰退や自信喪失を見せられないから虚勢を張っているゆえだろう。
とはいえ、60代の自殺が巷で普通とされるほどないのも事実で、初老期鬱病とはどれくらいの割合でなっているのだろうか?
そもそも今は平均寿命で80歳以上生きてしまうので、それはちょっと生きすぎであり、だからこそそういう問題が出てくるとも言える。大昔みたいに60代で死んでいたら鬱病になる暇もない。
と言っても今は医療の進化もあって人間は80歳以上は生きてしまうから、初老期鬱病を予防した生き方をしておかないといけない気がする。
しかしながら、人間は己の性格を変えるのが苦手な生き物で、頭ではわかっていても予定通り初老期鬱病になる人は多いだろう。
それでも予防を考えるなら、できるだけチャランポランに生きて、プライドを持たぬこと。これに尽きるのではないか。
そもそも「喪失」とは失うものがあるから喪失するわけで、チャランポランだと初めから失う素材がない。これは金がない奴からは強盗はできないし、詐欺もできない理屈と同じである。
しかし、プライドというのは余計なもので、これがあるとあまり物事はうまくいかない。
かく言うわたしは昔はプライドの塊みたいな人間で、それはすなわち精神が軟弱であったということ。軟弱であるからそれを隠蔽しようとプライドが高くなる。
いつの頃からかプライドがなくなってきて、随分生きやすくなった。
特に今は銀座にいた頃よりも人に会わなくなったので、プライドを披露する相手先もない。銀座はプライドでできあがった街であるから、銀座ブランドというプライドを持っている人は銀座には多い。
では、プライドが悪いものかというと一概にはそうとも言えず、あれは人間は凛とするし、きっちりともする。要は余計なプライドがよろしくないのだろう。
プライドが高い人間は付き合いにくい。プライドが許さないから、誘ってもプライドゆえに付き合ってくれないなどがある。
そうなると、入ってくる情報が少なくなる。鎖国をしているようなものだから、孤高と言えばかっこいいが、時代遅れにもなりやすい。
女より男のほうが中年期をすぎると時代錯誤に陥りやすいのは、男のほうがプライドが高く、鎖国するからだろう。
さて、そんなプライドがなかったり、チャランポランであること。すなわち駄目人間であるほうが悩むことなく健康に過ごせそうである。
ついでに肉体的にも最初から運動能力がないと喪失がないから悩まない。
「ファイト!一発!」なんてイメージを定着させると喪失は辛い。
わたしは体力・運動能力的に子供の頃からビリケツであるから、それらの能力に関してプライドが皆無。一度でいいから肉体的な優越した気持ちを持ってみたいものである。
しかし、今はエアロバイクに毎日乗っていて、もしかすると以前より体力は増しているかもしれない。以前というのは中学、高校時代を含めてでもいい。
ビリケツだとちょっとエアロバイクが漕げるようになっただけで、
「もしかして、体力UPした!?」
なんてレベルの低い自惚れに酔える。
まるで足し算引き算ができただけで天才だと思うようなレベルである。
そうすると、わたしは60代はまだまだ先であれど、この調子でいけばその頃は意外と体力がついているかもしれない。
あとはサラリーマンでないので出世がない。出世がないから肩書きがない。一応、有限会社結美堂の「代表取締役社長」という肩書きがあれど、それは自分だけの会社だから自作自演みたいなもので、どこかに入社して社内競争に打ち勝って得た肩書きでない。
プライドとして誇る実績もとりわけないし、喪失が発生しない。
とにかくこれまでの生き方があまりにもだらしなさすぎて、実は最近になってようやくちょっとだけちゃんとしてきたなと自覚している始末。最近、やっと大人になれたと思う。つまりやっと二十歳になれた。
やっと成人したから、
「頑張るゾっ!」
なんて思っているから、この調子だと60代になっても喪失感はなく、初老期鬱病とやらにはなりそうにない。
しかし、わたしは猫と一緒にいるときが最も幸せなのであるが、そんな猫たちにも寿命があってわたしより早く死ぬ。猫たちがみんな死んでいなくなったら、わたしの幸せはなくなってしまう。
また飼えばいいじゃないかと言われそうだが、猫がいるがゆえに外国にもあまり行けなくなったので、今の愛猫たちがいなくなったらもう猫は飼うつもりはない。
さて、あとは鬱病にならないためには「好奇心」だろうか。これがあれば人間はいつまでも溌剌と生きていける。
「やりたいことがない…」
なんて呟いていると、そりゃ老ける。
森羅万象に欲情していれば鬱病になる隙はない。なぜなら、やり切った喪失があっても、好奇心が次のターゲットを見つけ続けるから。
ちなみにいつまでもマスクを外せないタイプは鬱病になりやすい性格だと思う次第である。