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価値観は最新であるのがいい

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結月でございます。

栃木にいることがまあそれほど大きな不満はない理由は、やはり東京に近いということ。東京までは国道4号線をまっすぐ走れば2時間ほどで着く。

先日まで二日間、京都にいると地方にいる感覚がすごくて、要するに自分が「最新」でいられない気分になってしまう。これが耐え難い。

東京と関わることができない距離。それが地方都市というもの。どうしても価値観が鈍る。

その点、栃木は田舎であれど、北関東として東京に通えるから衛星的に過ご瀬て、価値観を最新の東京に合わせることができる。

ところで、一口に日本と言っても、様々な世代が混在している。若ければZ世代。高齢者は団塊世代。それ以上の高齢者は戦前生まれがまだギリギリ生きている。

その間にシラケ世代や団塊ジュニア、平成生まれという具合に世代があって、それぞれが育った時代、とりわけ小学生から高校生くらいまでの時代的影響がその人の価値観の形成に大きいように思う。

多くの人はそうしてできあがった価値観を持ち続け、それを自分のスタンダードとして無意識に生きる。自分の価値観が古くなったと気づく割合は思いのほか低い。気づいたとしても話のネタが古いアニメやドラマだったりしたときに「あっ、知らないんだ」と若い世代相手にちょっぴり上から目線になる程度。つまり、気づくだけで自分が古くなっていることには意識が至らない。

京都で二日間、自分の親といたわけだが、価値観が昭和のままと感じることがあり、それはわたしが子供の頃とまったく変わっていなくて、つまりわたしの幼少期の時代から価値観が変わってないことを意味する。

しかしそういうことは珍しくなく、よく聞く話である。

どこかのテレビ番組でさだまさしの「亭主関白」やおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」の歌詞に若いタレントがドン引きしたという記事を読んだが、確かによくわかる。

わたしも昔ののヒットソングをランキングするテレビを以前見て、「亭主関白」の歌詞にドン引きした。

「セーラー服を脱がさないで」は当時でもちょっとヤバめであったが、その当時の価値観に対しては新しい価値観の歌詞であったわけである。

民放のBSでよく昭和歌謡を扱う番組があって、老年となった歌手が昭和時代の歌を熱唱する。

今見ると歌詞が粘着質で、ネガティヴで、悲観的で、人情が図々しくて、男尊女卑満載で、まあ気持ち悪くて聞けたもんじゃない。そのあまりの趣味の悪さは公衆トイレに行くと流されていない排泄物を発見したときのようで、それを瞬時に水で流してしまうような感覚でテレビのチャンネルを変える。

しかし、ああいう番組がBSとは言ってもよく放映されているということは、わたしにとっては公衆トイレの流されていない排泄物さながらにしか見えないそれらの歌謡曲を懐かしんで、感情移入する高齢者がたくさんいるということなのである。

要するに結構人というのは変われないものなのだ。

自分の価値観をアップデートせずに日々生きている。日々の時間が進み、社会は変わっているのに自分は変わらず、すなわち自分が古くなっている。

それが読み取れるのは悪名高いYahoo!コメントであって、たまに読むといい加減な主張に溢れているが、書き込みのほとんどが中高年であろうことがわかる。なぜなら、批判のコメントの価値観があまりにも古いから。どうも人というのは年を食うと批判的になるのであろうか。

おそらく自分が持ち続けている価値観と今の現象が合致しないから「そうじゃないんだ」という気持ちになるのだろう。

しかし、好き嫌いに関係なく、「今」を知ることが大事で、今の現象に謙虚な視点は必要である。その姿勢がないと現象を客観的に把握することができないのであり、真っ当な批判はまずその客観的な把握がないとデタラメになる。

だから最低でも「今」の価値観を知るべきで、できれば今の価値観をぶっ壊すようなアバンギャルドな思考を持つのがいい。

新しいものは古いものを壊さないと創造できないからで、古くて機能不全を起こしているようなものには破壊的衝動を抱くところに「誕生」がある。

まだ年齢が若いと経験が少ない分、自然に新しい試みができる。しかし、年を重ねると経験が蓄積されてしまって過去を参考にして思考しがちである。

無論、過去を参考にしたところで社会そのものが「無常」に変化しているのだから太刀打ちできない。

ところでわたしは古臭い考えに出くわすと、ものすごく不機嫌になって踏み潰したくなる。ということであれば、自分は古くなっていないんだと確信する。

しかしながら、10年近く前まではわたしが古臭いものが好きで、価値観を昔に求めていた。でもその頃はまだ古いものへの懐古で賛同が得られた時代で、スマホもまだ普及していなかった。

ところがスマホが普及し出してから、自分が古いことで物事がうまく立ち行かなくなったのである。

それからわたしは完全に考え方を変えて、だから今に至るのであるが、あのまま古臭いままだと何もできなかっただろうと思う。

それは時代に迎合するのではなく、今の時代の価値観にアップデートしながら同時に今の時代にある気に入らないものを壊そうと思うこと。

わたしが気に入らないターゲットは、それを継承する側からすると迷惑なものでしかないが、破壊的精神でもって参入しないといろいろなものが衰退する。

さらに衰退させないように頑張るのもいけない。そういう安っぽい正義感は一番よくない。衰退しようとするものには侮蔑を投げかけるくらいがよく、決して「いい人」にはならないことが重要である。

そして、最低でも価値観は最新。そして、願わくば今よりもさらに先の価値観を持つのがいい。

自分が過去にやったことを思い出すのもよくない。そういう趣味は人間をセピア調にする。考えるべきは未来のこと。

ひとつの経験が終われば次へ行く。そうやって常に次へ次へ行っていたら古臭くはならない。

古臭いものは公衆トイレで流し忘れの排泄物。そんなものはさっさと流してしまおう。

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