結月でございます。
今日、食器を洗おうとしたら、スポンジが真っ二つにきれいに割れており、荒い面の部分だけでくっついていた。
「こ、これは…」
と、ビビったのは、それは料理したあとの包丁をスポンジで挟むようにしてその刃の汚れを拭いとったせいだとわかったから。
その包丁はもちろん、アタシの日輪刀、ツヴィリングの「雅」で、結月仕上げで研いだもの。
20年以上はこうして包丁を洗っていたが、いつもの動作でスポンジが真っ二つになっていたのは初めてで、我ながらツヴィリング「雅」の切れ味に感嘆したのである。
しかしよく考えれば、荒い面のところで刃が止まっていたからよかったようなもので、危うくアタシの指が知らずのうちにパックリと切れてしまうところだった。
とは言え、野菜も肉も気持ちいいくらいに切れるアタシの日輪刀は、何よりもそのバランスの良さがたまらなくて、あとで買った最高級品であるボブ・クレーマーよりも「雅」が気に入っている。
さて、今日は欲求不満というか不完全燃焼というか、ただいま、わたしはやらなきゃいけないことが山盛り。それらが各々決定してくれると落ち着くのだけれど、下準備というのは雑多であって、それでいて最重要であるから大変面倒なのである。
それなのに5歳児の歯医者の定期検診に連れて行かなくてはならなかったり、超絶くだらない頼まれごとに付き合ったりして、ここまではやっておきたいということがほとんどできなかったのである。
この下準備は早く決定しなければならないことだらけであるから、一日一日の価値が大きい。明日こそは、あちこち電話かけまくって調査しなくちゃと思っていたら、
「明日は愛娘のワクチン接種2回目なのよね…」
と、保育園を午後に切り上げお迎えに行き、病院に行かねばならぬ。
注射なんてすぐに終わってしまうから、いつもは保育園に行ってくれている数時間を何かして過ごさなければならない。すなわちわたしの数時間が不自由になるわけで、明日は午前中に集中してどこまでできるかというところ。
「あー まったく、めんどくせーよー」
と、ため息混じりの愚痴を垂れつつ、わたしはちょっと今は仕事に集中したいのっ!
あれをやらなくちゃならないって考えている最中に、ああ、そうだ、あれもやんなきゃとタスクが増え続け、あれもこれもやらなきゃと落ち着かない。
しかし、それを決めるまでにはいろいろ調べなくてはならず、調べてからさらにあらゆるパターンを考えなければならず、ようやくのことでひとつに選んで決めなければならず、つまりひとつのタスクも結果的に時間がかかる。
漠然としたイメージを具現化するプロセスは面倒で、そこに金の計算が入ってくるとどこにどう金をかけるか、もしくは削るかが葛藤し、
「めんどくさいなー ほんまに!」
と、イライラしてきて、そんなときに5歳児の歯医者とか仕事と関係ないことが舞い込んでくる。ついでに言えば、次の金曜は保育園が新しい年度になるから、親も交えての役員決めみたいなものがあって、正午で保育園が終わってしまう。
わたしなんかどうせそんな役職をやるわけがないのだから、
「アタシ、別にいなくてもいいよね?」
と言いたい。
わたしという人間がいなくちゃ困るものなら行かなきゃと思うけれど、別にわたしでなくていいことになんでわざわざ出向かないかん?
しかし、そういうものと信じて疑わない保育園にわたしの生き様をレクチャーして理解してもらうことの方が余計に面倒なのでとりあえずは行く。でも、その後はそのまま子供を預かってくれればいいのに、何故に午前保育なのだろう?
と、その日は正午から愛娘を連れて昼ごはんでも食べに行き、あとは映画でも観に行って時間を潰すか。さすがに昼からずっと家の中で5歳児といるのはきつい。奥日光まで遊びに行こうか。
不自由の中に小さな自由があり、その自由の中でできるだけのことをやるしかないのである。