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アウストラロピテクスは小さかった!

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結月です。

先週、5歳の愛娘と上野にある国立科学博物館へ「宝石展」を観に行った。しかしながら、宝石は小さいものだから、デカく展示されるものでなく、胸の高さのショーケースに陳列されるというもので、まあ綺麗であったけれど大した感動はなかったのである。

わたしは宝石が好きだから5歳児が同伴でなければもっとじっくりと見て感銘もあっただろうが、それでも宝石とは眺めるものでなく「所有」する魔力に酔いしれるものだろう。

宝石を見ているとその中に吸い込まれそうな気持ちになるが、わたしは宝石は持っていない。

宝石を所有するよりも、宝石的な魅力を考えたり、実践してみたりするほうが楽しいからで音楽のコンサートをやるのも音の美しさが宝石的だからかもしれない。

さて、宝石展はほとんどスルーするだけで終わり、常設展のほうが5歳児同伴では楽しかった。ダイナミックな恐竜やマンモスの化石は迫力がある。

昆虫の標本のコーナーがあり、そこにはわたしがこの世で最も忌み嫌うもの、すなわち「蛾」の展示があり、遠目で見ただけで鳥肌が立ち、背筋が冷たくなり、思わず5歳児に、

「うげ〜気持ち悪!!」

と、声を出してしまったが、そばに蛾の標本をスマホで撮影している女がいて、ちょっとわたしの率直な気持ちで気分を悪くさせたかなと気の毒になった。しかし、人の好みはそれぞれだと思いつつも、蛾が好きな女とは絶対に仲良くなれない。

でも、蛾が平気な女ならオッケーだと思うのは、もしどこかへ出かけて扉に蛾がとまっていて、その蛾を追い払わないと扉を開けることができなかったら、その蛾を追い払ってもらえる特典があるから。

とにかく、蛾だけは勘弁してほしい。総じて虫が苦手だけれど、蛾は失神ものなのである。

そんな科学博物館で最も印象的だったのは、アウストラロピテクスの化石。人間以前の猿人であるが、化石を見たのは初めてで、その頭蓋骨の小ささに驚いた。こんなに小さいものだとは思わなかった。

そして、肋骨など完全体ではないが復元されていて、そばにはアウストラロピテクスの成人女性を再現した模型があってリアルだった。背丈はうちの5歳児と同じくらいだろうか。

そんなアウストラロピテクスが目の前で生きていたらちょっと気持ち悪いというか戸惑ってしまうだろうなとアホなことを想像し、さらに目の前にいたらまず何と声をかければいいのかと考えたが思いつかなかった。

猿人だから言語はまだ持ち合わせていないだろうし、となると猿のように奇声を発するのだろうか。かと言って、猿にも見えず、人間っぽい雰囲気もある。

しかし、博物館はおもしろい。巨大な恐竜の腹部の肋骨の広がりを見て、

「こりゃ、丸呑みされたらそのまんまやな」

なんて、またアホな想像をしている。

おそらく博物館はそういうアホ想像をする人にとって楽しいもので、想像抜きであれば標本を見たっておもしろいものでないだろう。

しかし、博物館で働く学芸員はそんな想像の中で仕事をしているのだろうか。毎日博物館で仕事ができれば楽しそうだと思うのは素人だろうか。

大学のとき、学芸員の資格も取ろうと思えば取れたが、あまり興味がないので取らなかった。その代わり教員免許だけは取得したが、結局使わずじまいである。

だが、学芸員もまり給料がよくないという話を聞いたことがあるし、教員は今ではブラックな現場だと言われて成り手が少ないらしい。

そんな学芸員が安月給であるのに対し、宝石展で展示されているわずか5ミリほどのサファイアは一体どれだけのお値段なのだろうと少しビビる。

博物館や美術館の展覧会は展示物の総額がとんでもない額になるわけで、あんな小さな宝石なんて展示が終わって片付けるときに紛失しやしないかと思うと安月給とは割に合わない責任の大きさである。

それに宝石の悩殺的な魔力に引き寄せられると、思わずのその無機質な美しさに魔が刺して、小さなルビーをポケットに忍ばせてしまいそうになりそうである。

そう考えると、学芸員なんて怖くてできない。宝石はそれくらい危ない魅力がある。しかし、アウストラロピテクスの頭蓋骨はとりわけほしいとは思わない。

だが、宝石を展示するだけで、あれだけ多くの人が訪れるのだから宝石とは静寂であるのに驚異的な引力を人間に発するらしい。

あれだけの引力もクラシック音楽のコンサートにあればと指をくわえて嫉妬してしまう。

しかし、美術館の絵もそうだけれど、人間は自分の足で歩きながら好きなペースで好きなように見られるのが心地がいいらしく、コンサートホールの席に座ったら自由に立ち上がることができない拘束がある音楽はそこが不人気、というかニッチになるのだろう。

あとは人間は聴覚よりも視覚のほうがわかりやすいので、目で見える具体に軍配が上がる。

とまあ、そんな博物館でアウストラロピテクスを見て、こんな素っ裸じゃ、さぞかし寒かっただろうとこれまたアホなことを想像する。

とはいえ、人間が快適に過ごせるようになったのはつい最近の話で、どこの家にも暖房も冷房もあり、誰しもベッドで眠れて、調理をするにもガスをひねれば火がつく。そんなのはここ数十年ではないか。

日本人が着物で過ごしていた時代なんてタイツもなくて、煎餅布団で冬はとてつもなく寒かっただろうと想像する。家屋だって鉄筋コンクリートでない木造で、庶民となれば江戸時代だって隙間風だらけに違いない。

そう思うと何と自分は幸せな時代に生まれたのだと思うわけで、アウストラロピテクスの素っ裸の復元人形を見て、300万年前に生まれなくてよかったと胸を撫で下ろす。

とまあ、博物館はそんな進化の歴史を見ることができ、すなわちこれは今の時代に生きていることの幸せを実感できる。

こんな素敵な時代に生きているのに不幸せを感じているメンヘラ気味な人は、是非とも国立科学博物館を訪れて、アウストラロピテクスの標本を見るのがよろしい。そうすれば進化の果てに生まれた自分を愛することができるだろう。

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