結月です。
保育園が休みの土日はわたしにとっては自由のない時間。
24時間体制で5歳児に自分の時間を捧げるのであり、楽しいと言えば楽しいこともあれど、退屈といえば退屈だし、遊具で遊んでいる姿を微笑ましく眺めているようで、
「あークソ退屈!」
と、悪態をついている。
さて、寒いとは言えちょっと暖かくなってきた。春を感じさせるまもなく3月の日。庭を見てみると、たんぽぽの小さな葉が芽吹いていたりして警戒感を高める。
そうなのである。除草剤を撒き始めないと、春になると一気に雑草が生えまくるのである。たんぽぽなんて可愛いようで可愛くない。生命力は強いし、放置しておくと図々しくも庭に生えまくる。
雑草の恐ろしさを知らずに放置してしまった栃木在住一年目だったスペック都会人のわたしはジャンブルのようになった庭に痛い目に遭った。それからというもの、小さな雑草の芽も容赦なく除草剤を顆粒状、液体式の両方を散布しまくる気分はプーチン。
というわけで、春が憂鬱なわたしは明日、早速顆粒状の除草剤を買いに行く。これが意外と値段が高いのもムカつく話で、庭なんて要らないから全部セメントで固めてやりたい。
あとは夏生まれのくせに暑いのが超絶苦手であるため、暑くなることを予感させる春を忌み嫌っていて、最近、仕事が停滞してしまったことに加えてわたしの機嫌は悪くなる。
春が来るたびに一年の早さを感じるのは、日本の学校の入学が春だから? 4月が近づくたびに一年を感じる。
そして、そのペースはますます早くなり、
「意外と死ぬのもあっという間かもね」
なんて思う。
一方、うちの5歳児は一日ですら長く感じる年頃で、去年のことすら忘れている。それは一日で得られる情報量が彼女にとって膨大であるから、小さな子は新しいもの、未体験に満たされていて一日が長い。
こちらはいろんな経験を積んでしまって、新鮮に感じることは少なくなり、好きだったお酒ですら、
「もうあんまり飲む気はしない…」
と、ディミヌエンド。
そんな5歳児を連れて、今日は小山ハーヴェスト・ウォークというかつては遊園地だったらしいところを訪れる。
と言っても、ここはもう何度も訪れていて、定期的なスポット。
栃木県の那須方面に行くか、日光方面に行くか、小山方面に行くか、宇都宮で澄ますか、東西南北があるけれど、いつも気分で選んでいる。気分的に今日は那須方面は乗らないなとか、そういうのがあって、なるほどそれは気分的方位学が作用しているのである。
今日は小山方面気分であったからそうした。
さて、ここにはフードコートがあるから食事は便利というか楽。保育園児と一緒だと、店舗で食べるより広々としたフードコートのほうがいいのは、5歳児が落ち着かないからという同伴者の都合。
そして、小山ハーヴェストにはモンベルもあるため、体力がないくせに結美堂山ガール部創設者、かつ下っ端の庶務というわたしは必要なものがなくとも店内を物色する。
すると子供用の登山服があり、こんな小さなものもあるのだと関心し、それを手に取ってみると小さくて可愛らしく、ミニチュアすぎて笑えてしまった。
愛娘の身長のものがあり、なるほどもうこの子は山登りができるのだと知る。
19センチの登山靴もあり、大人用を縮小させた立派なもので8000円ちょっと。
頼りなさそうな店員の兄ちゃんにいろいろ尋ね、5歳児が登れるような山は栃木にあるかと訊いたところ、
「太平山」
という答え。
知らない山だが、栃木市にあるという。
今度、連れて行ってみようと思い、ウインドブレーカーなど身長120センチのものを羽織らせてみる。ピンク色がすぐに気に入り、
「これ、買う〜」
なんて言い出す。
もう少し暖かくなってからにしようと考えると、わたしに似て暑がりな愛娘にはこれを買ってもすぐに脱ぐに決まってると、春仕様になるのを待つ。
しかし、靴だけは捻挫の危険があるからちゃんとしたものを買う。今度、買う。
というわけで、小学生になったら結美堂山ガール部の「見習い」として参加を認めよう。
なんて偉そうなことを言いつつ、保育園のマラソン大会で7番というわたしの保育園時代にはなし得なかった好記録を打ち出した愛娘のほうが見習いのくせに山ガール部創設者、かつ庶務のわたしより山登りが優れていると予測する。
ともかく、小さなうちから山は一緒に登るようにしよう。それはわたしの教育方針の一環であり、つまり勉学は大事だが、肉体が軟弱で、文系に進むと人は左翼になりやすいから。
得てして左翼は文系に多く、実はわたしもどちらかというと文系左翼っぽいところが昔はあったが、それは運動をしていないからだと思った。
運動をしない軟弱は、肉体的なリアルを知らない。だから理想に走る頭でっかちになるというわたしの理論。
しかし、例外もあってかつてダンス甲子園で肉体美を見せつけ、メロリンキューとして大ブレイクした山本太郎が極左になったのは、きっと彼が真面目すぎてセンチメンタリズムに陥ってしまったからだろうという推測。
あとはビジネス経験が大事で、ビジネスとは常に現実との戦いであり、現実との折衷であり、現実への直視であり、理想の諦めと妥協の中での最善を求める。この現実感がないのと左翼になり、現実的に不可能な公約を打ち出してしまったり、無理難題を訴えかけたりしてしまうのであり、肉体的弱さとビジネス経験の皆無は左翼的人間を生み出してしまう。
文化人がその傾向が強いことを見れば明らかで、文化が好きなわたしは文化を担っている人々の現実感の甘さや根拠のないセンチメンタルな主張に正直うんざりしている。
文化が存続できるその裏側には現実に向き合うビジネスがあるのであり、そこを無視して、もしくは軽視して理想的なセンチメンタルを言われても困る。
と、肉体的軟弱&ビジネス的現実に欠落していた頃のわたしはその傾向通り左翼っぽい人間だったけれど、2016年にサントリーホールで大きなコンサートをやってからというもの、現実の大事さを思い知らされ、芸術をやるには現実の土台がないと駄目なことに気づいた。
さらに体力レベル「クズ」で、今までまともに体を動かしたことがなかった軟弱派のわたしは男体山に取り憑かれ山登りを始めたわけだが、その過酷さに自分の体が文字通り「死にそう」なことを経験し、いかに自分が肉体的現実を無視して生きてきたかを思い知らされたのである。
それを克服するにはトレーニングをするしかなく、家で本を読んでいてできることではない。自分の体の限界を知ることで現実的な目標が見えてくる。左翼の無理難題な主張とは山登りできない体のくせに今すぐ富士山の頂上を目指そうというのに近い。
と、肉体とビジネスの重要さを痛感したわたしはそれを愛娘に5歳のうちから伝授しておきたいのである。少なくとも足腰は鍛えておけ。その肉体的な強靭さが勉学に邁進するスタミナにもなる。
というわけで、春になったら5歳児を連れて、安全度の高い山に登ってみよう。それができれば、土日の時間を潰す一つの選択肢にもなるし、内容もいい。少なくともショッピングモールでアイス食ってるよりはいいはずだ。
そして山登りは金がかからない。装備だけ揃えればあとはガソリン代くらいでいい。
それだけでなく、わたし自身の肉体にもよろしく、積年の運動不足はエアロバイクで解消されていても、アウトドアのリアル体験で磨きをかけたほうがいい。
そして、山ガール部創設者のくせに体力がビリケツという情けない状態も改善されるかもしれない。
と、自分は少しずついい方向へ進んでいると自覚する。
お酒飲んで酔っ払いながら、開高健なんか読んでいた頃よりはずっといい。今はお酒を飲んだとしても少し飲むと、
「ああ、もうええわ…」
と、酔った体の重さが自分で嫌になるから少量に止める。
長年の不摂生に祟られていた肉体は栃木に来て、あとちょっとでヤバかったときに発見され、ヤバくなることが回避され、趣味・病院で健康体である。
無頼派を脱皮したほうがやりたいことを着実にやれる。そんな当たり前に今更ながらに気づいたわたしはやっと二十歳になれた気分。
そんな自分を反面教師にして、5歳の愛娘に接している。
肉体と現実。この二つを大事にして、決して根っこの乏しいセンチメンタリズムには陥るな。
理想というのは肉体と現実の上にあるちっぽけなものでいい。ないのもいけないけれど、ありすぎるのもいけない。富士山の天辺に積もる雪くらいの割合でよろしく、それくらいが一番美しく見えるのである。