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エアロバイクで哲学書

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結月です。

東京を離れてクルマ生活になると極度の運動不足。いや、運動不足というより、運動皆無、体がほとんど動いていない。

肉体は軟弱化し、両脚の感覚が海綿状。筋肉が衰え、体を動かすのも一苦労。

と、もともと運動能力レベル「クズ」、身体能力レベル「クソ」であるのが、いよいよクズもクソも感知し得ないほど、つまり筋肉が衰え過ぎて「無」の感覚に近づいてしまい、引きこもり体質のわたしもさすがにこれは軽くヤバいどころではないと自覚。

というわけで、「ながら」でもエクササイズできるエアロバイクを購入。昨日組み立て、今日乗ってみると、

「なかなかいいじゃん!」

と、この買い物は正解だった。

エアロバイクの構造上、一度のエクササイズは30分まで。それ以上使用すると、内蔵されているベルトが熱をもち、壊れてしまうという。そういうわけでまずはフルで30分休みなしに漕ぎ続けることをやってみると、それはたやすく達成できてしまった。あと15分追加でもいいくらいだったのである。

しかし、公道を走るのと違い、信号待ちがない。信号待ちはいい休憩になるが、30分間休みなしで漕ぎ続けるのは実は公道ではほぼ無理。

というわけで、30分間休みなしはそこそこハードなのであるが、「ながら」の効果はそのハードさを忘れさせてくれる。

YouTubeを見ながらでもよし、Netflixでドラマを見ながらでもよし。わたしの場合は、哲学書をKindleで読みながらでやってみた。

小説は感情移入が発生するから不向きと思い、哲学書であればもしかしてと試してみたのである。

それはマルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』であり、これは去年から読み始めたにもかかわらず、公演をやり始めるとそっちに意識を奪われて集中して読めなくなってしまい途中で中断していた。そして公演が終わり、続きを読もうとするも以前読んだ部分のことを忘れてしまっていてまた最初から読み始めた。

哲学書は企画書のように一読すればいいというものでなく、何度も前に戻りながら読み込まなければ理解できない。そうやって読んでもすぐに理解できるものでないから、読み終わってもまた読んだりする。

古代ギリシア哲学のプラトンの著作も今でも研究されているもので、2000年以上も経っているのにまだ結論は出ない。

と、哲学はその時代の社会に応じてニーズが変わってきたりもするせいで、文学のように古臭くならないのである。

さて、そんな哲学書を読みながらエアロバイクを漕ぐ現在栃木県在住の人。

30分漕ぎ続け、消費カロリーは255kcal。

チャリ運動はカロリー消費に最適で、ウォーキングやジョギングなんかよりもずっといい。それに歩いたり走ったりするより膝への負担が少なく、さらに有酸素運動としても効率がいい。

30分の運動で真冬でありながら薄っすらと汗ばむ。太ももは血流が蘇ったように活気が感じられ、心肺機能も認識できる。すると、気分も良くなるもので、極度の運動不足の体には快楽と言っていい。

1時間、マシンを休ませ、2セット目に行きたかったが、今日は「趣味・病院」の予定があったため、断念。病院で1時間待たされ、すると保育園のお迎えの時間になった。

明日からは基本、一日2セットをこなすことにする。運動効果は十分に得られていることを実感したから、この調子でいけば暖かくなった5月には結美堂山ガール部で山登りに行ってもなんとかなりそうである。

さて、わたしが買ったエアロバイクは一応、折りたたむことができる。キャスターもついているのでトレーニングを終えると部屋の片隅に置くこともできる。

しかしながら、それでもバイクは18キロの重量があり、毎度折りたたむのは億劫であり、出しっぱなしが基本であろうと思う。

組み立てるとそれなりの大きさがあるため、ワンルームでは窮屈だし、2LDKでもちょっと邪魔になるのではないかと思う。

幸い、結美堂としての一戸建ては十分の広さがあり、そこにわたしのミニマリスト傾向も加わっているからスペースがある。2階の本棚を置いてある部屋にエアロバイクを設置したが、その六畳は本棚以外はCDプレーヤーとアンプしかない。

だから、家でトレーニングをしようと思うと、それくらいの広い家でないと現実的には厳しいかと思う。

狭い部屋にデカいエアロバイクがあるのは圧迫感があって風水的にも良くない。そうなるとせっかく買ったエアロバイクも邪魔になって、結果、使わなくなってしまう。

だから、広い家が鉄則で、広くてもモノが多い家は要らないものを処分すべきである。とにかくトレーニングそのものは楽なものでないから、心地よくトレーニングできる環境を用意する必要がある。

エアロバイクを家に置こうと思うなら、所有物は少なめの一人暮らしでも2LDKは最低必要であろう。

となると、東京の住宅事情ではある程度の収入がないとできない。

そう言えば、今日テレビで東京で5000万円の家を買った人が出ていて、その新築を見てみると、

「5000万払って、これ…」

と、失礼ながらその安っぽさ、狭さに、

「自分なら5000万あってもこんな家に使わない」

と、思った。

とにかく日本の家は戸建てであろうがマンションであろうが、安っぽい。壁は壁紙だし、文化的な香りもなく、重厚感がない。

マンションに限って言えば、中国のほうがリッチで重厚感があり、安っぽさは感じない。

日本はやはりもともとが木造であるせいか、日本人の感性では鉄筋であっても安っぽくなるように思う。

あとはこれはどこの国も共通であるが、住む人に文化がなければ、どんなにいい家、どんなに高い金を出して買った家でも部屋は貧乏臭い。

とまあ、住居に関してはほぼ興味がないわたしにとって住む場所は、

「広くて、モノが少なくて、静か」

この3原則を大事にしていて、その観点からすると今の結美堂がある家は自分としては心地よく、満足していて、よほどこことがない限りはずっといるつもりでいる。

思えば、栃木に来て3年が経ち、買ったモノと言えば、ダイソンの掃除機とYouTube用のホワイトボード、ゲームチェア、そしてエアロバイク、この4点だけで、掃除機と椅子は昔使っていたものと入れ替えたので実質は2点。

モノを増やすよりモノを減らして空間を広くする。これは風水の鉄則であり、要らないモノはどんどん処分するべきなのである。

とまあ、世の中は現金の出番が少なくなるキャッシュレス化も進み、紙の本でなく電子書籍も手に入り、データはクラウドでよろしく、物理的なモノがなくてもいいようになってきている。

そんな流れであるから、モノは本当に必要なもので事足りる。

ところで台所をスッキリさせたいのであれば、中華鍋をおすすめしたい。

台所は調理器具が煩雑になりやすいが、中華鍋はこれひとつで湯も沸かせられ、スープも作れ、炒め物はもちろん、ステーキだって焼ける。中華鍋は調理法の多くを一つで網羅できる汎用性があり、ここに集約すれば台所はスッキリする。

そんな理由でわたしは中華鍋をこよなく愛しているが、もし買うのであれば大きめのものがいい。サイズが小さいと具材を全体的に火を通すことがやりにくく、料理の仕上がりが悪くなるから。

であるからして、風水的にいいキッチンにするのであれば、余計な鍋は処分して、中華鍋を買うべきなのである。

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