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高市さんって関西弁だったんだ。

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結月でございます。

フジテレビのBSを見ていると、自民党の高市さんが出ていて、高市さんが喋っているところを初めてまともに見た。すると関西訛りだったので、Wikipediaで調べてみると奈良県出身で神戸大学とのこと。

高市さんは笑顔の使い方がちょっと恐ろしいところがある。しかし、政策などについては自分の言葉で話していてしっかりしている。そこは岸田首相のように基本軸がない人とは言葉が違う。

そんな高市さんが関西訛りで関西弁で、ちょっとそれがよかった。方言の感性がその人の言葉にちょっとした色彩を与えている感じで、魅力になっている。

関西弁というと吉本芸人の大袈裟なものばかりがテレビをジャックしていて、ああいうのは関西弁ではなく、芸人語であると思うのだ。

関西圏に行ってももちろんああいう話し方を日常でしている人はいないわけで、みんな普通の関西弁。しかし高市さんのそれはベタベタなものでなく、話す主軸の話題に関西訛りが香るのであって、関西弁が先走って主役になっていない。そうなると訛りは色気になる。

関西地方に行けばみんな関西弁であっても、その訛りが色気になる人はそんなにいない。どこから見ても関西人に見えるだけで、訛りが装飾的に聞こえるのは珍しいのである。

それでいて方言ならではの思考があって、言葉はその人の思考を操るから関西弁であれば関西的な発想になる。そこも高市さんには感じられて、でも思考もベタベタに関西に毒されていない程度なところが色っぽい。だから訛りがいやらしくないのである。

吉本芸人やベタベタの大阪のおっさんやオバはんとなると、関西弁という言語に自分が支配されてしまっている。だからちょっと暑苦しく感じるし、東京に出張に来たいかにも関西人がウザったく思える原因になる。

あとは奈良という微妙なところが関西のいやらしさを和らげているのかもしれない。これがベタな大阪だとああはならない。

奈良は田舎だし、平城京の遺産を抜くと大きくアピールできるものはないし、そもそも関西圏でも中心でない扱いで「はずれ」なのである。また大学が神戸大学というこれまた微妙なところで、街は有名でもそれほど都会でもなく、大学があるところはこれまた中心でない「はずれ」で、関西ナショナリズムがないところにいたがゆえに高市さんの関西訛りのルーツがあるのかもしれない。

ところで政策としては高市さんは積極財政派で、完全に財務省に取り込まれている岸田首相とは真逆。ワクチンだけでなく景気にブースターをかけるには積極財政をするのが正解で、逆に言えば岸田政権の財政健全化推進は国民がジリ貧になる。

というわけで、高市さんが首相になるほうがわたしたちの生活には良さそうというわけ。

わたしとしては今年の参院選後に高市さんが首相になればいいんじゃね?と思っているけれど、思えばかく言うわたしは選挙に行かない人だった。昨年の衆院選も結局行かずじまいで、送られてきた投票用紙は衆院選後もずっと下駄箱の上に放置されっぱなしだった。

なのでわたしは眺めているだけの人間。そもそも直接選挙でないから首相を選ぶのに投票できるものでもなく、かといって支持政党もないから無気力なまま放置となる。

しかしながら、岸田政権のワクチンのダラダラぶりは気分としてはムカついていて、菅さんに戻せと思っている。

オミクロン株が急激に増え出してからようやく大規模接種などと言っているが、このペースだとワクチンを打ち終える頃にはオミクロンはピークアウトしていそうである。

ヴィジョンがない人間が上にいるとこうなってしまうのであるが、はっきりものを言わない人間はリーダーであろうがなかろうが付き合うのが面倒なもので、手間がかかる。

さて、思うに人間というのはある程度ガラが悪いほうがいいように思う。

まずガラが悪いと騙されにくい。

詐欺を働こうとする視線から見れば、そのターゲットにガラが悪そうなのは選びにくい。道を聞きやすそうな人を選びたいものだ。動物で言えば、虎には近づきにくいが、ヤギなら頭も撫でられる。

セールスにしまって、気弱でいると長いセールストークを聞かされる羽目になって、最悪、安物を高い値段で購入することを受け入れたりする。

ちなみにガラが悪いわたしはセールスにははっきりと端的であって、セールストークの冒頭部分でいきなり、

「いらん」

と、一言。そして、説明を続けようとするセールスに2秒以内で、

「そういうのはいらんと言ってる」

と、ぶっきら棒に話を切り上げ電話を切る。

そうすると当然ながらセールス電話はかかってこなくなる。セールスとは相手が儲かるからわざわざ電話をかけてくるわけで、こちらが得をすることなんて原理的にない。

ともかく、セールスだけでなく、例えばレジに並ぼうとするとき、ビミョーなタイミングでどちらが先かはっきりしないとき、なんとなくガラが悪いオーラが漂っているほうが先に並べる。

譲り合いもいいが、結局譲ったほうが待たされるわけで、譲られたほうが得をする。それは美徳と呼ばれるほど大きな価値あるものでもなく、ただなんとなく損をしたという感覚しか残らない。

ではガラが悪いとは何か? きっとそれは好き嫌いがはっきりとしていることでないか、と思う。曖昧なところが少ないゆえに自分の主張が明確でいられる。

他人の気持ちを変えさせるのはとてつもない苦労が要るし、そもそも頑張っても成功する確率も低い。となると、それはまるで虫除けを振りかけたように面倒が寄り付きにくい。

しかしながら、いいものも寄り付きにくくなるのは損失であるから、ガラが悪すぎるのはよろしくなく、ガラが悪そうに見えても関心があるものについては聞く耳が大きいくらいがいい。

実はそれくらいのほうがわかりやすく、周囲も付き合いやすい。曖昧なのが一番困るのだから。

さて、高市さんはちょっとガラが悪そうに見える。あの笑みの下に怖さも漂っている。物事がはっきりしている。すべての主張が正しいわけでなくとも、はっきりしている人は自分が納得すれば方向転換もはっきりやる。

きっとそのほうが政治的にもいいのだろう。

今の曖昧政権よりかはずっといいと思いつつ、選挙に投票に行くのとは関係なしにそれは自民党内で決まることであるから、やっぱりわたしは眺めている。

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