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公演が近づき、忙しさも加速する。

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結月でございます。

冷蔵庫にあったピーマンと筍の細切り、そして玉ねぎ、牛のバラ肉でなんとなくアドリブで料理をしたら、青椒肉絲っぽいものができあがったのだが、

「こりゃ、うまいわ!」

と、自分で食べてもうまかったデ。

隣にいる4歳児も「おいしい」とガブガブ食べていたから、第三者による判定も高評価。

大して方向性も決めず、モーツァルトの旋律を鼻歌で歌いながら、まあこれとこれ、あとはこれも入れとくか、なんて調味料をブレンドして炒める。牛肉はサラッと片栗粉をまぶして、みりんを入れたら少し水分が増えたので、最後にもちょっと片栗粉を追加。

そうやって15分以内、野菜を切る時間を含めたその時間で作った。そういえば、野菜を切る前に包丁も研いだ。

いや、これは料理屋でも出せるデ。と、自分で思う。やっぱ、アタシ、才能あるわ。マジで。こういうの、センスだもん。料理はセンスがないとね。感性が豊潤でないといかんのよ。

とまあ、料理はいつもアドリブで名もなきものを作るのだが、もちろん出来がイマイチのときもある。そういう時は、正直に言うと作る前からいいものはできないと感じていて、それは気分であったり、食材が冴えないものだったりする中でちょっと無理に料理をすると出来が「イマイチ」になる。

さて、公演も日に日に近づき、この間、事務的な業務のちょっと面倒なものが終わって、とりあえず一段落したかと思ったら、まったくそんなことはなかった。

次から次へとやらなければならないことが湧き出てくる。それを順番にこなすから、予定より遅れ気味になっている案件もあり、基本、メールの返事は即日返信のわたしも一日遅れになったりもする。

わかっちゃいる。わかっちゃいるけど、時間がない。

なんて思っていると、あっという間に夕刻にあり、

「保育園にお迎えに行かなくてはいかん!」

と、いそいそとクルマのエンジンをかける。そして、自分で食べてうまいと思う名もなき料理を作ったりする。

予定より業務が遅れるのは、予定外のことが出てくるからで、今日も某新聞社に広告を出していただけませんかという電話。

「ごめん。金ない。広告予算は使い切ったので…」

と、断る。

広告予算を使い切ったのは本当の話で、それも予定よりかなり多く使った。だから金がないのも本当。

これと同じ対応をしたのは、某有名音楽雑誌で、コロナの影響で広告が入らないのか、ものすごくいい場所でカラー一面で、びっくりするほど安かった。正規料金の十分の一ほどかそれ以上の安さ。

多少迷ったが、

「売れてんの?雑誌は」

と、直球の質問。わたしは上方の人間で、大阪商人であるから、まどろっこしいことはしないのである。すると、

「まあ、それはその…」

なんて返事が返ってきて、

「そりゃそうやな。わかる。売れてないのはわかるよ。知ってるよ」

と、声にはしないが、広告効果はないと判断して、

「ごめん。金ない」

と、お断りする。

しかし、カラー一面のあの場所であの値段というのは、よほど困っているのだろうと察した。コロナでないとあり得ない広告料金。

ところでこういう大きな公演をやると、いろんなところが金欲しさにやってくるのである。もちろんそれは詐欺ではなく、きっちりとした広告の提案なのだが、その広告を出してもまるで売れないのならば、

「金返せ!」

と言いたくもなるが、それもできない。広告にかける金はギャンブルと同じで、オッズを考えながら馬券や車券を買うのと同じなのである。

だから、あとから、

「しまった… あそこはやめとけばよかった…」

なんて後悔することもあるのは毎度のことで、広告代理店も、

「広告は水物ですから…」

なんて平気で言う。

とまあ、そんなわけで声をかけられれば一応考えて、返事をしなければならないという業務が日々、わき起こる。

そうこうするうちに、公演当日に配布するプログラムも作らなくてはならない時期だと気づく。

わたしのプロデュース公演はプログラムはシンプルなものにすると決めている。曲の解説なんかやらない。わたしの挨拶の言葉と曲名と演奏者名くらいかな。

曲の解説など今日日、ウィキペディアでそれっぽいものはいくらでもあるし、そもそもわたしは曲の解説が大嫌いである。なぜなら、解説を読んでしまうとそれが先入観になり、それに基づいた聴き方をお客さんがしてしまうから。

音楽なんてそもそも答えがないわけで、それは各々が各々なりに感じればいいので、そこに価値があるのであるから、余計な知識はお断りなのである。

ステージで奏でられる音を聴いてほしい。それだけ。どう感じたかは自由。聴いた人に感性に任せる。

というわけで、プログラムの原稿は来週中にやらなければならない。

明日の日曜日は東京でレッスンをやり、コロナ制限解除でお酒を飲みに行く約束をしており、その翌日はマロさんに会う。というわけで、日曜は銀座に一泊することになった。さすがにこのスケジュールでわざわざ栃木になんか戻れない。

銀座のホテルを予約するも、その値段の安さに驚く。そういえば、公演当日のために蒲田のホテルを取ったが、これもものすごく安かった。一応、名のあるホテルである。

緊急事態宣言が解除されても積極的に出張に出かける雰囲気ではないせいなのと、リモートワークが定着したせいもあるだろう。東京のホテル業界はこれからが受難である。

コロナ前に比べて価格が3分の1以下でないかと思う。それでも満室にはならない。

しかし、14年間、銀座にいたわたしが銀座のホテルに金を払って宿泊するのは変な気分で、それは実家で泊まるのに金を払うような気分だし、卒業生が母校を訪れる感覚でもある。

だが、いくら銀座のホテルが安くなったと言っても、その値段の何倍もの家賃を毎日払っていたのだと考えるとちょっと恐ろしくなった。そんな金、よく毎月14年間も払っていたな、とビビるわけで、銀座にいた頃の記憶はまるで幻想のようである。

とはいえ、テンションが高まっていると後から考えたらビビってしまうことも平然とやってしまうもので、きっと今回のレクイエム公演だって後になってよくあんな規模のコンサートをやったものだと自分にビビるに違いない。

真っ只中にいると気づかないものは、離れてみて初めてそのすごさがわかるものである。

公演企画は5月に立ち上げたものだが、すでに6ヶ月経過し、その6ヶ月間のことはあまり覚えていない。なんだか日々、イライラしながら、ピリピリしながら何かをやってきたという気はするが、具体的に何をやっていたのかよく覚えていない。とにかく大変だったという朦朧があるだけで、今もまだなんか知らんけど大変だと感じて忙しくしている。

それはわたしが忘れっぽくて、具体的なものも咀嚼して輪郭を失わせるのが早いせいかもしれない。人によっては具体的に事細かく覚えているものだろう。

と、今日は2016年のサントリーでの東京初公演、そして2018年の船橋公演でチケットを申し込んでくれた方に100枚ほどDMの宛名書きをした。

5年前のことなのにリストを見ると、名前を思い出す。5年前もチケットを送るのに住所を聞き、宛名を書いて郵便局に何度も通っていたから。

DMの宛名書きは手書きである。

やり方によってはシールにしてまとめてプリントして貼るのが楽だろうが、うちにはプリンタがないし、シールにする手間が面倒くさい。書いたほうが早いと思うし、以前来てくれた愛すべきお客さんたちだから、シールで済ませたくないとこだわってしまう。

最初はボールペンで書いていたが、どうもボールペンは好きでなく、自分に合わないからだんだんストレスになってきて、やっぱり万年筆がいいと思い立つ。

しかし、万年筆もしばらく使っておらず、インク瓶を探しても見当たらず、仕方がないから文具店までクルマを走らせ買いに行った。

やはり万年筆がしっくりくる。

明日は愛娘の保育園が休みのため、あまり仕事はできないが、DMの宛名書きはできるだけやる。

今回は平日公演だから、仕事で来れない人も多いかな、など考えながらも、東京初公演、そして船橋公演で来てくれた方がまた来てくれたらうれしいという思いで万年筆を握る。

会って顔がわかるわけがないのだけれど、過去の公演に来てくれたのは間違いない人たちだから、マロオケの名演奏で感動してもらいたい。

さて、今回は平日の夜ということもあって、遠方からは来れない人が多い。しかしそれでも遠くから、例えば滋賀県から、例えば山梨県から申し込んでくれた方もいる。そして、もちろん熊本からも。

コンサートが近づいてくるにつれ、広告予算が尽きるのと同じく、やれることはなくなってきて、やらなければならないことも少なくなっていく。すると、あとはもう公演当日だけの気持ちになって、今回はコロナの影響もあって思うように集客が捗らないことに苛立ちつつも、それでも来てくださる方が大勢いるのだから、自分は幸せ者だという気持ちになってくる。

あとはマロオケメンバーに任せた。東京オペラシンガーズに任せた。4人のソリストに任せた。当日、たっぷりと最高の演奏をしておくれ。わたしは客席でそれを見ておしまい。

そんな終盤に差し掛かった気持ちの中で公演が近づいている。

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