結月です。
9年ほど前に竹橋の東京国立近代美術館でジャクソン・ポロックの大規模な展覧会があった。
結構、絵画には詳しいと自負していたが、ジャクソン・ポロックのことはそれまで知らなくて、それは絵画はヨーロッパ絵画ばかり見ていて、アメリカのことは何も知らないせいだった。
地下鉄の駅にその展覧会のポスターが貼られていて、その絵に度肝を抜かれてしまい、すぐに竹橋まで見に行った。
それはもう衝撃的で、パリではルーブルやオルセー、その他諸々の美術館でたくさん絵を見ていたのに、それらをすべてひっくるめてもポロックの衝撃には敵わない。
展覧会では図録はいつも買わない。なぜなら、図録の絵は本物とは程遠いからそれを眺めても感動しないし、アカデミックな興味もないから買ってもそれを開くことはないから。
それがわかって図録は買わなくなった。だから、ポロックの図録も買っていない。
でも、ポロックの地下鉄に貼られていたものと同じ代表作のB1サイズのポスターは買ってしまい、これはフレームに入れて視界に入るように飾ろうと思った。
当時は銀座にいたから、結美堂のどこかに飾ろうとしたが、ミュシャの絵ばかり飾っていて、そのアール・ヌーヴォーな空間にはポロックはあまりにも合わなくて、結局買ったままの筒状で放置されていた。
バイオリンや着物を扱う場所としてはポロックはアヴァンギャルドすぎたのである。
ところでミュシャばかり飾っていたから、結美堂に来る人から、わたしがミュシャ好きだと思われたりしたが、ミュシャはもちろん好きだけれど、わたしはガチレズで面食いだからミュシャが描くような美人が好きというのが正確なところ。
画家としてはミュシャはそんなに大したことない。パリのベルエポックの中で独特の美意識が花開いたのは確かだけれど、ミュシャは画家というよりデザイナーであり、チェコに戻ってからの油絵を見るとそんなにすごい絵を描いているわけでない。
だから、ミュシャが芸術かというとそうとも言えず、まあベルエポックの魅力だよね、という感じ。
さて、ジャクソン・ポロックに衝撃を受けてからは、わたしにとってベスト1の画家はジャクソン・ポロック。これは不動なのである。
しかし、思えばたくさん絵を見ていた、それは子供の頃からの経験だけれど、ゾッコンになるほど好きな画家はそんなにいない。
今は東京のブリヂストン美術館にあるらしい青木繁の作品を当時、久留米の石橋美術館で本物を見たときは恍惚となった。特に「わだつみのいろこの宮」は記念切手でしか見たことがなく、本物を見たときは絵の前で思考停止になった。
そして、「わだつみのいろこの宮」のポスターを買ってしまい、今もそれはある。
しかし、ジャクソン・ポロックはそれよりもぶっ飛ばされた気がして、今でも衝撃は新鮮なまま。
「わだつみのいろこの宮」を見て、古事記も読んで、あの絵に関しては「わかった」という気持ちがある。自分の中では処理済みになっている。
ところがポロックはそうでない。自分なりにポロックの絵画について語れることはあれど、ポロックの絵はそんな解釈なんてどうでもいい凄みがある。
これは文学作品ではロベルト・ボラーニョの『2666』を読んだときも同じで、これにもぶっ飛ばされた。これ以上の文学はないと思った。今もこれを超える文学はないと思っている。
さて、そんなポロックを急に思い出し、9年前に買ったポスターを探す。引っ越しでどこに仕舞ったかうろ覚えである。
しかし、比較的簡単に見つかり、美術館のビニール袋に入ったままポロックのポスターはあった。
サイズがB1であることを確認し、Amazonでフレームを発注した。
それはすぐに届いて、今日ポスターをセットし、仕事場に飾った。
思えば、栃木に来て絵は飾っていない。お気に入りの日本画も箱に片づけたままである。
ちなみにこの日本画は銀座5丁目から3丁目に移転したとき、たまたまネットで出ていた舞妓の絵で、青山旦幹のもの。
扱う店がこれまた銀座の画廊で、移転したばかりの結美堂から徒歩で10分ほどのところだった。ネットでみて、すぐに向かった。
画廊に展示された舞妓の絵はネットで見たイメージより別物であるほど美しく、もう我慢できなかった。
即買いである。
一応こちらも商売人であるから、ちょっと価格交渉をして安くしてもらい、そのままUFJ銀行に直行し、分厚い封筒できっかり払って絵を持ち帰った。
画廊に滞在していた時間は梱包をしてもらう時間を入れても15分程度だった。
その後、青山旦幹の「寒牡丹」の絵も購入した。
しかし、栃木にいると、どうも芸術的な気分にならず、箱に入れっぱなし。
ともかく、これからはポロックを眺めながら仕事することにする。今の場所だからこそ、ポロックを飾れる余裕がある。