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ヴィトゲンシュタイン『青色本』を読み始める。

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結月でございます。

昨晩から読み始めた本は、ヴィトゲンシュタインの青色本。

これはヴィトゲンシュタインの思想では中期に当たる部分で当然、前期は『論理哲学論考』。いわゆる論考と呼ばれるもの。

とにかくヴィトゲンシュタインは超難解であるから大抵は論考で挫折し、青色本までいかない。しかし、さらにその先には後期の『哲学探究』があり、ここまで到達できる人は数少なく、さらに理解しているとなると限りなくゼロに近い数字になる。

様々な哲学者が解説本を出してはいても、理解しているような書き方はなされておらず、あまり解説になっていなかったりする。それくらいヴィトゲンシュタインは難解なのである。

わたしは論考は読んで、それにまつわる本も読んだけれど、やっぱりよくわかっていない。ただ、論考での有名な一節、

世界は起こっている事の総体である」

に関しては、ものすごく理解している。確かにそうだと、実感している。世界は起こっている事の総体なのである。

でも、論考にちょっとハマってを読んだのも随分前だし、今さら『青色本』を読むのも大義があるわけでないけれど、なんだか読みたくなったわけ。そしてKindleで買ってiPhoneで読み始めた。

別にヴィトゲンシュタインを理解したところでそんな難解な哲学は社会では役に立たないし、自分の仕事にも役立たない。それはわかっていても理解不能なほど難解なものを読みたくなったのは、公演のために毎日が緊張状態で、なんとなく苛立っているからだろう。

公演はとにかく大変で思うようにいかないのは毎度のことだし、人に頼まなければならない業務は打てば響く呼吸で動いてもらえないこともあったり、おまけにコロナ禍で緊急事態だから不文律な社会的空気みたいな制限の中で羽を半分切られた鳥のようにやらせない不自由がある。

とはいえ、自分が始めた公演だし、やらされたものでないからすべて納得できていて、苛立ってはいても文句はない。

ただ、公演までに自分がどれだけのことができるのかという自分との闘いがあり、貧乏ゆすりしながらPCの前に座り、立ったり座ったりしている。

とまあ、そんな落ち着きのない精神状態であるから、ヴィトゲンシュタインのような難解なものを読むとむしろ心が落ち着くのである。

あとは自分が哲学がやっぱり好きというわけで、哲学本は読んでいて気持ちがいい。

答えが出ない混沌は無限に探究が続くから一生楽しめる。

さて、公演をやるたびに、

「なんでこんなキツいこと、始めてしもたんやろ」

と思うのであるが、また始めてしまっている。

それはきっと出産と同じで、産む苦しみがあるのに産んでしまってしばらくすると、

「そろそろもう一人…」

なんていう衝動に似ている。

しかし、

「コンサートの仕事はこれで最後!もうやらん。絶対やらん。足洗う。仕事納めや!」

と思っていて、もう次はやらないという気分である。

もうやりたい曲はほとんどやったし、もう十分。よくやった、アタシ!

という今回が最後な気持ち。

とはいえ、あまりアテにならないところもあって、あの宮崎駿だって引退宣言して、もう映画はおしまいなんて記者会見までしておきながら、やっぱりまた映画を作っている。

わたしは宮崎駿監督の気持ちが実によくわかる。世間はホラ吹きとか言うかもしれないが、引退すると言ったときは本当にもう映画はおしまいだと思っていて、十分にやりきったと満足している。だから嘘ではない。

ところが映画を作らない暇な時間を経ると、ムズムズとし出して、映画を作りたい欲望が湧き出てくる。

すると、映画制作は苦しくて仕方がないのにまた始めてしまう。

それと同じようなことがわたしのコンサートにもあって、開催できる条件やチャンスがあると頭の中で音楽が鳴り出し、このサウンドを実現したい!などとドMなことを思ってしまう。

と、気持ちでは今回で音楽の仕事はやめにしようと思いつつ、何年かしてまたしてもやっちまっているかもしれない。

しかし、公演は大変で、やれば毎日苛立っているのに、充実はしている。公演をやっているときの自分のほうが明らかに躍動している。

あとは結果がどうなるかだけ。

できるだけ自分が満足できるな結果になるよう試み続けるだけ。

だって自分が満足に向かわないとお客さんを満足させることはできないから。

そんな頭の中が緊急事態宣言状態でヴィトゲンシュタインを読む。

公演の仕事はあまりにも形而下であるから、ヴィトゲンシュタインで形而上学が心地いい。

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