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今の飲食店は平均は高いけど、キャラは薄い。

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結月でございます。

月に最低2度はリンガーハットに行っている。それは4歳児と栃木県内のショッピングモールにあるフードコートに行くのが定番であるからで、いつもリンガーハットなのである。

4歳の愛娘がリンガーハットのちゃんぽんがお気に入りで、わたしがたまには別のものが食べたいのに「ちゃんぽんがいい」と言われて押し切られてしまう。

しかし先日、ちゃんぽんでなく皿うどんな気分であったわたしは4歳児と交渉。すると4歳児は渋々、

「じゃあ、皿うどんでいいよっ」

と、まったくしょーがねーな感を醸し出して答えた。

メニューと見ると「彩り野菜の皿うどん」という野菜たっぷりなものがあり、それがいいという。

「こんなゴージャスなものでなくて、皿うどんなんかフツーのやつでいいじゃん!しかもこれ、値段も高いし」

と、わたし。

でも、ちゃんぽんでなく皿うどんに妥協してくれた4歳児に、

「やっぱりちゃんぽんにする」

なんて言われるのも困るので、仕方がないから「彩り野菜」にした。

しかしこれはノーマルのものとはまるで違っていて、カボチャやじゃがいも、ミニトマト、マッシュルーム、さらにはパプリカまで入っていて色も鮮やか。そして食べてみると、普通の皿うどんより断然うまかったのである。

どうも大人は金のことを考えるからいけない。子供は金のことを考えないから写真を見て素直にうまそうなものを選ぶ。

ノーマルの皿うどんと彩り野菜の皿うどんの価格差は210円。思えば大したことはない。210円をケチったところでお財布がホクホクになるわけでもなし、ということはダメージがあるわけでもない。だったら、色鮮やかな彩り野菜の皿うどんを気分よく食べて、幸福感を味わったほうが安上がりだとも言える。

貧乏臭いケチな買い物をするとなんとなくジメジメとした憂鬱が漂うもので、たかが210円で貧乏臭い気持ちになるのは幸福度を下げる。

ところで4歳児を連れていくフードコートの他にもう一つフードコートを兼ね揃えた場所があり、そこにもリンガーハットがある。

毎度思うが、後者のほうのリンガーハットのほうが俄然うまいのである。同じちゃんぽんを注文しても出来が違う。

野菜のシャキシャキ感が明らかに異なる。

推測するに 、いつも行くほうのリンガーハットはスープの温度が高すぎて、その結果野菜がフニャッとしてしまうのではないか。

しかし、リンガーハットはよくできた会社だと思う。

大学生のとき、大学の前にリンガーハットがあったから、よく通った。関西出身のわたしは熊本でちゃんぽんなるものをまともに食べたのだが、その頃はどうってことないと思っていた。

リンガーハットは九州にしかないと思っていたら、東京にもあって懐かしくて入ってみると、

「あれ?こんなにまずかったっけ?」

と、厨房を見ると電子レンジで調理していた。そこにはいくつもの電子レンジが並んでいた。

それはもう随分前のことだが、合理化でレンジを使っている話を聞いた。

すごくガッカリして、それ以来食べなかったリンガーハット。それを栃木に来てフードコートで食べるようになり、それは大昔東京で食べたときのものと違って、ちゃんとしたものになっていた。

きっと調理法をまともにしたのだろう。

さらに言うと、大学生の頃に食べていたものより美味しくなっていた、かもしれない。と、同時に整えられすぎているとも感じる。いや、昔のほうがもっと肉が入っていた気もする。

おそらく昔は機械で調理せず、店の人がガチで中華鍋で作っていたのではないか。だから、「料理」を出されている感覚が常にあった。

しかし今のリンガーハットは均一性は高まっても一杯のちゃんぽんにキャラがないというか、マシンメイドの味なのである。それは当たり前で、ぐるぐると回転する筒状の調理器具が野菜を熱しているのだから。

まあ、それが今という時代なのだろう。平均点が高く、粗相がなく、人間味はない。

そういう話は他にもあって、総じて効率よく、手間なく、量産化されるようになったから。

大学生の頃にリンガーハット以上にお世話になったのはジョイフル。ジョイフルは大分の会社だから九州には多い。

この頃のジャンボチーズハンバーグはそれはそれは美味しかった。しかし、栃木に来てこちらにもジョイフルがあるのを知り、当時3歳の愛娘を連れて行ってみたがメニューにはジャンボチーズハンバーグはなくなっていたし、それに近いものを食べてみたけれどガッカリしてしまった。

人間的な個性が出てしまうことを極力避けるのが今という時代で、平均化されていく。さらに広く言えば、それがグローバル化につながる。

とにかく、あらゆるものでレベルは上がった。出来損ないを見つけるほうが難しい。失敗がないから安心だとは言え、おもしろいかと言えばそんなにおもしろくもない。

平均点以上のレシピが様々なジャンルで確立されている。そして、そのレシピも情報が拡散していて、要するに特殊な技能、特殊な努力がなくともある程度はできてしまう。

たまにテレビのインタビューで小学生くらいの子供が答えるのを見る。実によくできた回答で、粗相がない。

しかし、それは大人の社会で流通したフォーマットのある答え方で、自分がどう思ったかを己のハートで語った言葉ではない。表向きの、ちょっと優秀に見える、薄っぺらな言葉。

そういうものが飲食にも普及していて、世の中は美味しくなったけれど、つまらなくはなった。

しかし、そのほうが「優秀」だと評価される。

リンガーハットも店舗によって差のないシステムを構築して全国展開する優秀さを持っている。

だからこそ、優秀でないものが食べたくもなる。決して料理としては洗練されていないんだけど、キャラがあって無比なもの。

美味しさを求めるのではなく、キャラを求める。

優秀でなくていい。多少不味くてもいい。でもキャラがあるもの。

昭和の時代にはそういうものがたくさんあった。

時代が洗練されるにつれて、反時代的に逆行する。いや、昭和がいいとは思わない。昭和のものがほしいとも思わない。ただ効率よく、平均点の高いものがちょっとおもしろくない、そう思うだけ。

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