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新しさの中にいるのが快感

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結月でございます。

マロオケ公演のチケット販売を始めてから、毎日チケットの申し込みの電話が鳴る。

マロオケ専用ダイヤルにガラケーなるもの、つまりパカっと開く懐かしい携帯電話にしたのだが、やはり電話専用機だけあって、電話として使いやすい。

しかしながら、スマホライフに慣れてしまっていると、この懐かしすぎる携帯電話は使い方を思い出すのにちょっと時間がかかり、ガラケーなのに画面に思わずタッチして操作をしようとしたりして、感覚を10年前に戻すのはやや苦労した。

さて、そんなガラケーにはストラップが取り付けられる。これもスマホにはないもので、先日、4歳の愛娘と宇都宮のショッピングモールに行ったとき、子供用の文房具を売っている店で首からかけられるストラップを買った。

それは黄色いストラップで、チケット受付の専用ダイヤルであるから金運を願っての黄色なのである。

黄色だからって効果があるわけはないにせよ、商売はげんを担ぐもので、常に気持ちを前向きにしておきたい。

そんな黄色のストラップがついたガラケーを出かけるときはいつも首からぶら下げていて、チケットの申し込みがあればすぐに電話に出られるようにしている。

とはいえ、車の運転中はNGであるから首にはぶら下げていない。

そして、申し込みをしてもらったお客さんの座席や住所を咄嗟に書けるように新しいメモ帳も買った。

やはり新しい公演であるから、メモ帳も新しいものがよく、そしてカバンに入れていてもボロボロになりにくいものがいい。

そう思い、4歳児と手をつなぎながらその文具店を見ると、アナ雪のエルサのメモ帳があった。

うちの愛娘はエルサのことが大好きで、先日もアナ雪2をDVDで観た。

4歳児、当時は3歳児に言われて始めて観たアナ雪。最初観ると、センスはいいけど、どうってことない映画だななんて思っていたけれど、数回観るうちに愛娘がエルサが好きだという理由というか、その感覚がわかってきた。

と、家にはエルサグッズがたくさんある。

それに少し触発されて、わたしはエルサのメモ帳を買った。

4歳児からも感化されるものである。

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しかしそれだけでなく、実用面で気に入ったからで、まずリング式であること。そうでないとすぐにボロボロになる。そして決定打はマグネット式に閉じられるようになっていてページがパラパラしないし、外装も丈夫。あとはサイズもちょうどいい。

このページの大きさだと、お客さんの座席や住所などを1ページあたり一人記入するのにちょうどいい。

1ページに複数書いてしまうとごっちゃになって座席を間違ったりする可能性があり、間違う可能性を引き起こす要素は極力なくしたかった。

そして、ボールペンも新調した。

ボールペンなどたくさんあるとはいえ、ここも新しい公演をやるのだから真っ新なペンで始めたかった。

いろいろ試し書きして購入したのはパイロットの「ジュースアップ」なるもので、それの0.5mm。

たった220円であるのにこの書き心地は抜群。極めて滑らかで、ボールペンだとは思えない上質感。まるで書き慣れた高級万年筆のようなのである。

そしてインクがゲルインキというものらしく、インクの出方を見るといわゆるボールペンではない。まさしく万年筆に近い。

今はスマホで入力するばかりで、すっかり手で書くことはなくなったけれど、わたしは万年筆党で、中学生の頃からペリカンを使っていたが、銀座にいるとき伊東屋でパイロットの蒔絵シリーズの極細を手にしたらジャストミートのフィーリングでペリカンは一切使わなくなった。

インクもパイロットの色彩雫シリーズの色は「紺碧」。この色が大変美しく、そして書き心地もいい。

そのパイロットが作っているとだけあって「ジュースアップ」は色彩雫シリーズの色合いと同じで、220円で見た目は安っぽいのに書き心地とインクの色彩はとてつもなく上質。

思うに日本のボールペンは世界一であると思う。

それはひらがなとカタカナ、そして漢字を使う日本語であるせいで、アルファベットだけの欧米とはまるで異なる複雑さ、さらには絵画性が言語にあるからだろう。

ひらがなの柔らかな曲線、カタカナの直線、そして複合的な漢字など日本語は書き言葉として表現が豊かなのである。

だからこそ、そこに対応するように開発されている日本の文具は世界の中でも優れていると言いたい。

とまあ、そんなペンをエルサのメモ帳のリングに突き刺して座席表と共に持ち歩いている。

何ページあるのか知らないけれど、願わくば2冊目のエルサのメモ帳がすぐに買えるよう、1冊目を早く埋めたいものだと思う。

しかし、新しいことを始めるときは、新しいもので始めたい。

そういえば、昔はお正月の度に箸を新しくしたものだった。子供の頃、京都の伏見稲荷に初詣に行くと箸が売られていて、そこで家族分を買っていた記憶がある。

今はお正月気分もなくなり、箸を新しくするような雰囲気でもなくなった。でも箸は毎年新しくしたほうが本当はいいように思う。

新しい考え、新しい商品、新しい挑戦、新しいスマホなどなど、新しいものはやはりいいものだ。

特に新しい考えは常に更新され続けるのがよろしく、そうしないと人間はマンネリになるし、マンネリのまま日々を過ごすと老ける。時代は進んでいるのに停止状態のままいつしか年寄りになる。

古臭いことをネチネチ言う人には近づきたくないもので、なぜなら価値観が使用不可なほど古いのにそれが使えると思って話されるから困る。

新しさの中で生きていると、知らないことに晒され続けるから頭も使うし、未知と対面できる新鮮さがある。

と、今回のマロオケ・レクイエム公演。これもプログラムも無比なものだし、マロオケとしても新しい試み。

やっぱりこういうことをやらなくちゃね、と思う。

だって、企画した当の本人、そして演奏者たち、さらにはお客さんにとっても未知なものなのだから、どんなものになるか知ることができないときめきがあるから。

企画っていうのは、手垢がついたようなものをやってもつまらないんだよね。

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