結月でございます。
マロオケ・レクイエム公演の業務はチケット販売の準備段階に差し掛かって、日が経つごとに仕事内容は変容していく。
最初は公演を実現させるための仕事であり、そこにたどり着くためのことをやる。そして、公演が決まれば、今度は演奏者を集めたり、スケジュールを合わせたり、リハーサル場所を押さえたりなどに仕事内容が変わり、そしてそれが確定すると次はチケット販売と告知のための業務になる。
それは家を建てる作業と同じで、そこに家を建てる資金を確保し、建設が決定すれば建設業者を選び、完成日までのスケジュールを導く。そして、まずは基礎工事のために地面を掘り起こし、整備していく。
家を建てるのは見えないところを固めてからで、それができてようやく柱を立て、床を敷き、壁を建て、屋根をのせる。
さて、今日は銀行に行き、懸案だったことを解決。駄目だと思っていたことも駄目元でやってみると、些か面倒な手続きはあったが理解を得ることができ克服。やはり、駄目元でやってみるのは大切で、やってみないと駄目かどうかの結論は出ないのだから。
それから東京メトロの駅に貼るポスターの手続き。これは先日、東京に行ったとき、現場の掲示板をチェックしてのこと。
そして、ぴあに引き続いてイープラスに団体登録。
今回はプレイガイドはチケットぴあとイープラスの2社でいく。
明日以降は座席の配分を決め、それをぴあとイープラスに座席登録をし、こちらで直売りする分とに分けていく。
この作業は面倒というか、いろいろ考えるもので、それはそれぞれの販売力を考慮しての配分になるから、テキトーというわけにはいかない。この配分が的確でないと、集客に大きな差が出てしまう。
というのも今までの経験値でおおよそはわかってはいても、頭のエネルギーをものすごく使う。
思えば、座席登録をしたり、どこの駅のどの掲示板にポスターを貼るかなど、その事務的な実務はやっている時間そのものは短い。座席登録だって、いくら面倒とは言っても今はオンラインの管理画面から入力できるから、おそらくは2時間もあればできる。お願いや指示のメールを書くのも数分しかかからない。
つまり、実務にかける時間は短いものなのである。
しかし、その実務は「これでいく」という決断ができたあとの行為であり、その決断に至るまでの時間がとても長く、猛烈に頭を使う。
いろんな可能性を考えながら幾パターンもシミュレーションし、その多くは僅差であったり、予測不可能なことであったり、それらが複合的に絡み合うものだから、ひとつに決めなければならない決断に時間がかかる。
だから、仕事をしていても多くの時間は寝転がって猫を胸の上に抱いていたり、ゲーミングチェアのオットマンに足をのせながら背もたれを倒し、これまたお腹の上にいる猫を撫でながら、ボーッとしている。
そして不意に猫を下ろして立ち上がると、トイレに行ったり、公演には関係ないショスタコーヴィッチの交響曲をステレオでかけてみたり、シュークリームを食べてみたりする。
このように大半の時間は一見すると廃人のような有様で、きっとニートのほうが頻繁にゲームをしたりと見た目は活動的に見えるはずだ。
手を動かしたり、足で歩いてどこかに行っているなどを実働というのなら、わたしの仕事は時給換算すれば一日で2000円もないかもしれない。
公演を作り上げる仕事はほとんどが頭脳労働で、見た目は廃人、ほとんど動かない生身の銅像みたいなものなのである。
多くの可能性の中から一つだけを選び、次のステージに進み、またそこで一つ選んで進んでいく。
中にはやってみなければわからないものや、結論が出るまで待機時間が長いものもある。
そういうことがあるものだから、見た目は廃人でも内部はイラついていたり、不機嫌であったり、悩ましげであったりとどちらかというとご機嫌斜めの不健康な精神状態にあるわけで、要するに話しかけられたくない過敏にある。
その領域に入ってこれるのは猫だけであって、猫は余計なことは言わないし、来いと言っていないのに膝の上に飛び乗ってくるし、喉を鳴らしながら惚けた顔でこちらを眺めたりと、精神が過敏であるのに猫はまったく神経に触らない不思議な存在なのである。
ところで決断に至るまでのシミュレーションをしたり、その材料になることを調べていたりすると煙草が吸いたくなったりするものだが、一本も吸っていない。
煙草には焼きただれた精神を落ち着かせる効能があるのに吸うまでに至らない。
それは吸ってもいいけど、吸うと口の中が気持ち悪くなるとか、部屋が煙草臭くなるとか、そういうことを考えるとそっちの方が面倒で、吸いたい気持ちが上回らないから。
お酒も同様で、ちょっと前なら頭を使いすぎるとマティーニなんかを飲みたくなったものだったが、今は銀座でなく栃木の田舎にいるせいでオーセンティックなバーはないし、そもそも4歳の愛娘を迎えに保育園まで行かねばならないし、その後は夕食を作り、4歳児に勉強を教えたり、バイオリンを教えたりしなければならないから、お酒を飲む気にならない。
疲れてしまったら取り入れたくなる煙草やお酒が要らなくなったというか、それらが逆に面倒に感じるようになって、随分健康的な人間になったものだと思う。
しかし、克服すべき懸案が次々と出てくるこうした業務もそもそも自分が心底からやりたい公演であるから、大変だと言いながらも公演日の大感動を脳裏に描いて興奮ばかりして、まるで苦痛にはならない。
思い通りにいかない苛立ちや不機嫌さはあれど、やりたくないことをやらされている仕事でないから充実しているのである。
でも、もしこれが毎年となるとさすがに辛そうでできそうにない。
公演は3年ぶりであるけれど、まあそれくらいの間隔がよろしく、頻繁にしないからこそ楽しめるし、頑張れるし、愛することができる。
わたしは音楽は好きでも、オケの事務局や事務所では働けない人間で、毎日何かしらの公演のことを考えるなんて性格的にできない。公演が日常になるとつまらないし、いつできるかわからない非日常であるからこそ、エネルギッシュになれる、そう思っている。
まあともかくも、大きい仕事をやると人間が成長するものであるから、今回の公演をやり遂げたらちょっとは成長してるかなと期待しつつ、他人目から見ると廃人のようなルックス。
とはいえ、それを見られるのも猫だけだから、どうでもいいことであるけれど。