結月でございます。
ファイザーとモデルナのメッセンジャーRNAワクチン。こんなすごくて、すばらしいものがコロナが騒がれ出してたった一年ほどで世界に供給されるようになったのはとんでもなく画期的なこと。
これは人類の叡知の最高峰と言えるようなもので、歴史的な出来事なんじゃないかな。
有効性が90%以上で、世界的に接種されて重い副反応がないという安全性。
日本は出遅れたけれど、成果が着実に出ている国々を見ると、コロナ禍も過去になるのは間近といった感じ。
しかし、日本も政府と厚生労働省も本気になったのか、接種率がうなぎ登りでちょっとびっくりしている。日本はこういうことには煩雑な手続きや役所の縦割り構造でうまくいかないお国柄なのにとてもよくやっている。
これもオリンピックがあるおかげともいえ、もしオリンピックがなければ従来の日本のお国柄のままワクチンもダラダラとし、世界から周回遅れで経済も立て直す機会も失っていただろう。
オリンピックを中止すべきという意見もあるようだけれど、わたしはオリンピックが結果的にあったよかったと思う。オリンピックの開催のためにこれだけワクチンが進み始めたのだから。
と、スポーツには興味がないわたしはオリンピックなんて開催されてもテレビも見ないだろうが…
しかし、1964年の東京オリンピックを知っている世代は、思いのほか東京でオリンピックがなされることを楽しみにしていて、テレビで観戦したいという人が多いようだ。
きっとそれだけ衝撃的で思い出深いものなのだろう。なんとなく気持ちはわかる。
とまあ、オリンピックの後押しで日本のワクチン普及が本気モードになってくれたわけだけれど、一方で反ワクチンのカルトみたいなのとか、ガセ情報を信じてmRNAワクチンで死ぬ可能性があるとか、流産するとか、副反応が怖いとか、呆れるような人たちもいる。
副反応は重いものは出ないと世界的に証明されているし、抗体ができるプロセスでちょっとした発熱が出るとか、それは心配するようなものでないのに、なぜかワクチンを恐れる。
普通に考えれば、コロナに感染したときの危険度のほうがはるかに上なのだけれど、ほとんど安全で、稀にしか出ない副反応を怖がってワクチン接種を躊躇するなんて、どれだけ頭が悪いんだと思ってしまう。
厚生労働省にも丁寧に説明されていて、mRNAワクチンがどのような作りをして、どのような仕組みでコロナ感染しなくなるかが書かれているが、そういうちゃんとした情報は見ないで、SNSのガセネタを見ちゃうというのは、
「嘘を嘘だと見抜ける人でないとネットを使うのは難しい」(byひろゆき)
というわけ。
あとは科学的な知識という基礎学力がないといくら厚生労働省やちゃんとした医者がmRNAワクチンの仕組みと安全を説明したところでわかってもらえないという問題。
それは一桁の足し算しかできない子供に三次関数を説明するようなものなのかもしれない。
結局、科学的な会話が成立するには共通レベルの基礎学力、基礎知識がないといけないわけで、それがないと反ワクチンのガセ情報に取り込まれてしまう。
あとはワクチンを打つか打たないかは個人の判断みたいなことが言われていて、これも困る。本当のところは全国民が義務で受けるのがいい。安全が保証されているワクチンであるからなんの問題もない。
打たない人の意思を尊重する、みたいなカッコつけたエセヒューマニズムがあるようで、
「いやいや、あんたみたいな知識のない人の意思なんか尊重するわけにはいかんよ」
とわたしは思う。
わかりやすく言えば、看護師の立場なのに副反応が怖いとか言ってワクチンを躊躇ったりするのがいるらしいが、それは感染リスクが高い病院という場にいる患者の立場になると、
「おいおい、ワクチン打っておいてよ、看護師さん!」
となる。
保育園の保育士、介護現場の介護士も同様で、効果が高いワクチンがあるのに打たない人間がその職に就いていて、ノーガード状態で子供や老人の面倒を看られちゃ困るよ。
ワクチンが開発されてない段階なら仕方がないにせよ、あるのに打たないというのは社会悪だと言っていい。
そんな個人の意思を尊重してワクチンを打たないことを野放しにして、自分が関わる患者や子供に感染させてリスクを負わせるのは、逆に人権の侵害であるから。
個人の意思尊重以上に社会的善というのがある。それは古代ギリシア哲学のプラトンの国家論から言われている。
安全性が高いと科学的に証明されているのにガセネタを信じて接種しないというのは、個人の意思の尊重なのでなく、間接的殺人未遂に近い。
と、こんなことを言ってもテレビのワイドショーを見ている水準とか、SNSのガセ情報を嘘だと見抜けない水準には響かない。いくら言っても、ガセネタのほうを信じる。
だから、ワクチンをしっかりと広めるには正攻法ではダメで、理解してもらおうなんて思っちゃいけない。そこまで手間はかけられない。
ワクチンを接種すれば吉野家のタダ券がもらえるとか、サーティーワンアイスクリームの無料券がもらえるとか、そういうやり方が本当はいい。
結局、嘘を嘘と見抜けない層は逆を言えばタダ券には容易に動くレベルだったりして、あまり人を馬鹿にするのはよくないけれど、そんな現実がある。
あとは上皇陛下が打たれるとか、国民的な尊敬を集めている人がワクチン接種した情報をオープンにすること。
上皇陛下までいかなくとも、有名人や大物実業家など、名がある人が打つと意外とガセネタを信じていた人も打つ気になるに違いない。
ともかく、メッセンジャーRNAワクチンという技術的にはちょっとすごすぎるものを人類は開発できたのだから、これはいち早く接種して、うんざりするようなコロナ禍を終わらせなければならない。
しかし、反ワクチンとかガセネタを信じる人はおそらく世界から、社会から落ちぶれていくだろう。
なぜなら、海外の渡航にもこれからワクチン接種の証明を渡航先で求められるから、それがなければ海外旅行にさえ行けない。海外に行ける身分にもなれないのだ。
あとは接種しないと、ちょっと近寄ってほしくない人に認定されるわけで、こんな差別があってはならないとかいう意見もあるが、それは差別ではなく、己の無知が呼び込んだものだからさっさとワクチンを打つのがいい。
しかし、これもコロナやワクチンに関係なく、基礎学力があったり、ワクチンをちゃんと理解できるレベルの人は、要するにちゃんと学校を出ていたりしているわけで、学歴と収入がほぼ比例するという社会学的事実を見ても、ガセネタを信じてしまう層は知識や学力がない層、いわばテレビのワイドショーがターゲットにするレベルなのである。
そうなると低収入層、低学歴ほどガセネタを信じるというこれまた社会学的事実が出てきて、ワクチンを打たない人はやっぱり落ちぶれる。
どうでもいいような副反応を恐れてワクチンを打たず、その結果、コロナに感染して重症化したらアホとしか言いようがないし、そうなることはアホだよね、というところが低学歴ほど理解されない、通じないとなってしまう哀しさ。
だから、ワクチンは強制接種が本当はよく、それでコロナ禍を終わらせ、失った経済を復活させ、経済を回して全体の所得を上げ、失業率を下げる。そうあるべき。
いずれにせよ、メッセンジャーRNAワクチンを理解できなかったり、それを懐疑的に思ったり、ワクチンの微々たる副反応とコロナ感染の苦しさを天秤にかけてどっちがお得かがわからないとなると、やっぱり吉野家かサーティーワンアイスクリームの無料券でやるしかない。
アメリカの大リーグ・マリナーズが球場に訪れたファンがワクチン接種できるというのは大衆というものの本質をよく理解したやり方。
さて、ファイザーとモデルナのmRNAワクチンは2回接種で90%以上の防御力。1回だけだと変異株にもよるが数十%に留まる。
つまり、2回打てばほぼ無敵になる。そんな無敵に早くわたしもなりたいとワクチンを望んでいるのに、栃木県は全国でもビリケツな遅さらしく、情けないったらない。
栃木の県民性はわたしが思うに「ボーッとしてる」であって、それゆえ土地のナショナリズムがないから住むのが楽とは言え、こういうときにボーッとしているのは困る。もっとシャキシャキやらなきゃ。
喘息持ちということで早めに接種して自慢しようと思っていたのに、栃木にいると自慢どころか妬ましい立場になりそう。
とはいえ、栃木の田舎にいるわたしはそもそも感染するような生活をしておらず、仕事といえば事務所に引きこもって猫といるだけで、人と接触しない。
というか、田舎には人がいないじゃないか。
すなわちワクチン以前にウイルスがない。
なんだ、わたしはワクチンを打たなくてもあまり関係ないじゃないか。
でも案内が来たらすぐに打つ。
人類の叡知の最高傑作を体内に取り込んで、コロナのことなんか気にしなくていい状態で生きてることを楽しむよ。