結月でございます。
今日も現在進行中の企画の実務のため、あちらこちらに電話。電話しては断られたり、NGだったり、条件が合わなかったりとする中、ひとつだけヒットし、そこに決める。
コロナの影響で本来ならOKなところがことごとくNGだったため、大変難しかった。決めたところもギリギリのラインで、しかも経費も3倍かかっている。しかし、今、押せておかないと時間がない。ここでケチるわけにはいかないのだ。
と、とりあえずひとつの案件をクリア。大事な案件だったのでひとまず安心する。
しかし、毎度のことながら物事は簡単にはいかない。10のうち8くらいは落胆で、残りの2で勝負する。
思えば、小さな奇跡を起こしながら前に進んでいる。今日のことだってクリアできたのは奇跡みたいなもの。コロナの制限いっぱいの中でよく取れたと思う。
駄目だ、駄目だ、どうしよう、どうしようと言いながら、不安の中で小さな奇跡を起こす。
とはいえ、まだ根源的な案件のOKがまだ確定していないから、この企画は実現できるかまだわからない。
でも、小さな奇跡は企画に関わってくれる人の力のおかげで、わたしだけの奇跡じゃない。いろんな人の協力があって少しずつ前に進んでいる。
わかったのは、大きな奇跡というのは、こうした小さな奇跡の積み重ねなんだということ。
宝くじで一等が当たるようなものじゃない。とても地味な作業が悶々として続いて、達成に至るまでの案件をすべて克服できたゴールに大きな奇跡が結果として現れる。
ところでフランスの諺にこんなのがある。
On ne fait pas d’omelette sans casser des œufs.
「卵を割らなきゃ、オムレツは作れない」という意味で、要するに、
「やってみなくちゃ、事は進まない」
と言えばいいだろうか。
企画の実現は、巨大なオムレツを作るような作業であり、企画は大小様々な卵をかき集めて、割り続けなければならない。
卵を割ってみればその殻が入って取り除かないといけなかったり、そもそも卵が腐っていて使えなかったりもする。
しかし、オムレツを作るには卵は割らなきゃいけない。躊躇していてはならないわけ。
とまあ、わたしは企画を立ち上げ、卵を割り続けている。最高品質のオムレツを作るために卵を求め割り続け、しかしその卵を買おうと思ったら他で売れてしまっていたり、するとまた別の店に出かけてまた卵を探す。
そして、今日はやっとオムレツに必要な卵をひとつ手に入れることができた。
でも、まだまだ卵は足りない。この企画を満たすだけの卵をまだ探し続け、それはきっと企画が達成されるその直前まで続く。オムレツができあがっても、オムレツを食べてくれる人を探さなければならない。いくらいいオムレツができても食べてくれる人がいないと何の意味もない。
さて、コロナ禍だからこそ、立ち上がったこの企画。
コロナの状況によってはポシャる可能性だってある。
しかし、冷静に分析して、多分コロナは落ち着いていると予測している。それはオリンピックに関する政府や都知事の発する言葉の裏側を読み取ってのこと。
タイミング的には大丈夫だと踏んでいる。もし予測通りになれば、これもひとつの奇跡。
ただ、コロナに関係なく、根源的な案件をパスしなければ「なかったこと」になる。
そんな緊張の中、ちょっと弱音を吐いたら、メンバーの一人から、
「信じて待ちましょうよ」
と、励まされた。
そうだね。そうしよう。そうするしかないもんね。
またみんなと仕事がしたい。
奇跡を信じて、邁進しよう。